ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

それぞれに大きな意味があった日

2010年09月25日 | 家族とわたし
ついさっきまで、ブログに名前を書くのを躊躇していたのだけれど、なぜ躊躇しているのか自分でもあまりはっきりわかってなくて、だからいつも頭文字を打ち込むたびに、なんでこんなことをしているのかなあ……などと思いながら、TとかKとかBとか……。
でもたった今、いきなりもう、名前を出そうと思った。出そうが出すまいが、いったいそれを誰が気にするのか……誰も気になんてしない、と思う。
気にするどころか、きっとわたしと同じように、なにかしらの『けったいな感じ』を味わっているに違いない、と思う。

なので、唐突ですが、家族の紹介。

わたしは眞由美。
けれども、海という存在、感じ、音が大好きで、一時期眞海と改名していたことがあった。このブログの中では眞海でいたいのでまうみ。

旦那はビル。
これは呼び名で、正式にはWilliam(ウィリアム)。Willというのをドイツ語発音で読むとヴィルになるところからBillと呼ばれるようになったらしい。
彼はおじいさんの名前をもらった三世。なので、おじいさん、おとうさん、彼は、みんな同じ名前。

息子Tは拓人。
彼がこの世に誕生する直前まで女の子と思い込んでいて、まったく男の子の名前を考えていなかった。大難産の後、意識が戻り、チューブだらけのベッドの上で5日間朦朧としていたが、やっとテレビを少しなら観てもいいと許可が出て、その時流れたコマーシャルから「メットインTAKUTO!」という元気な声が聞こえてきた。
タクト、いい音だなあ。好きな漢字『拓』を使い、そこに『人』を足した。

息子Kは恭平。
彼の時も女の子とばっかり思っていて、けれども前回のお産があまりにも酷かったので、検査がたくさんあり、男の子と判明。その日またまた、たまたまテレビに出ていた柴田恭兵さんを観て、こんな渋い男になってくれたらなあ~とふと思い、『兵』の字を平和の『平』に替えて命名した。

一瞬、長男の名前をバイクのコマーシャルからつけたんだから、その時流行っていた軽自動車のアルトにしようかな~などとも思ったが、長男がバイクなのに次男が軽自動車だと、後々文句言われるかなあ~とか、アルトは合唱の女性パートだから、それでいじめられたら可哀想だ、とか思ってやめた。
でも、よくよく考えてみたら、タクトだって、指揮者に思いっきり振り回される指揮棒なんだけど……。

というわけで、いきなりの、どうでもいい紹介でした!


で、本題の大きな意味とは……。

昨日は拓人の、新居初お泊まりの日なのだった。
前にひとりでアパートに行った夜、台所で遭遇した二匹のゴキブリに仰天した拓人。
何が苦手って、ちっちゃなゲジゲジでも悲鳴を上げてドタドタと逃げてくる男なのだ。なので、ゴキブリなんてモッテノホカなのだ!
早速ネットでゴキブリ駆除のキットを手に入れ、その使用方法を熟読し、ゴキブリがどこで死ぬのかをクヨクヨ考えながら、会社からアパートに初帰宅をした。
 
わたしはその頃、リハーサルと、リハーサル後のお疲れさん会で盛り上がっていた。

そして恭平は、かれこれ数年に渡り、正露丸を詰め込んで痛みを誤摩化していた親知らずの歯を、痛みの無い物も含めて4本、いっぺんに抜歯した。
こちらではこの4本いっぺんというのが普通で、恭平のように手術が必要な場合に限らず、大抵は全身麻酔が施される。
なのに彼は、ユーチューブで自分と同じような状態の歯を持った人が受けた手術の様子を映したビデオを観て、あんな悲惨なことを、寝てる間にやられるのは困る。などと、わたしとは真反対の意見の持ち主で、局部麻酔を選ぶと言い張った。
でも、本音のところではきっと、全身麻酔にかかる費用500ドルを、自分がほんの1時間我慢することでゼロにできるなら、と思ってくれたに違いない。
それに、全身麻酔だと送り迎えが必要で、そのことも彼は考えたのだと思う。
とりあえず治療と手術は無事終わり、今は痛みと格闘中。出血も半端じゃなかったので、少しボォ~ッとしている。

わたしはやっぱりその頃、リハーサルと、リハーサル後のお疲れさん会で盛り上がっていた。

今日はこれから、恭平のための味噌粥を作り、それから旦那とふたりで、ぶっといロープ持参で拓人のアパートに行く。
拓人が知り合いから譲り受けたマットレスをもらいに行かなければならない。
そしてブルックリンのIKEAに行き、家具とカーテンを買い、生活に要る細々とした物を揃える予定になっている。

それが終わったらいよいよコンサートに集中できる。
拓人は当分ここには帰ってこないだろうし、恭平の痛みに歪んだ顔を見ることももう無い。

一安心と淋しさが入り交じった朝。今日もまた暑い。






コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよあと一週間!

2010年09月25日 | 音楽とわたし
来週土曜日の、カーネギーホールでのコンサートのための最終合同リハーサルが終わった。
みんなそれぞれに、先月末の演奏よりとても良くなっていて、なんだか嬉しかった。
ピアノを弾く人達に、ちょっとお節介だとは思ったけれど、この1週間でなんとかなりそうな事柄だけを選んで注意した。
例えば今日、わたし自身があさこから教わってとても役に立ちそうだと思ったこととかを。


今日の彼女の例えは新体操。
「うーんとさ、ほら、新体操とかあるじゃない。(と言いながらすでにリボンの新体操の演技に入っているあさこ)でね、こういう動きをしている時に(腕を大きく広げている)、棒の先端はこういう弧を描くのだけど、その後からリボンがヒラヒラヒラヒラっと。音ってなんていうのかなあ、尾っぽがないとだめなんだよね、彗星のようなさ」
「歌うとよくわかるんだけど、ドスンドスンと音符をひとつずつ音にしちゃうと、もうそこで終わっちゃうわけ。だから、そうならないように、どんなに短い音でもどこに行きたい音なのかがわかっていなければならないし、そのわかってるってことが音に出せないとだめなの」


ピアノはある意味打楽器でもあるので、鍵盤を押し込んでハンマーが弦を叩くと、それっきり音の響きは弱くなっていく。
声や弦楽器や吹奏楽器のように、のばした音の強弱を自由自在に変えることはできない。
なので、息の長いフレーズに限らず、ほんの3音のレガートでさえも、本気でつなげようとしないと、レガートには聞こえなかったりする。
あさこは、そういうピアノ特有の物理的な問題を充分ふまえた上で、それでも意思とイメージを強く保ち、全身で、特に腹の底から歌えば、わたしがそのフレーズのどこの音までを目指しているのか、どんなふうに歌おうとしているのかが、必ず聞いている人達に伝わると教えてくれた。

幸いなことにわたしは吹奏楽を長年やっていて、息を使う楽器の、微妙に心地良くズレる感じ、というのを知っている。
ほんとうに、この世に無駄な経験は無い。


「わたしは客席の正面向いて響きを飛ばせるけど、まうみは横向きじゃない。でもさ、横向きだってなんだって、そっからビューンって飛ばしちゃって!」
「で、大切なのは、飛ばしたい響きをちゃんと出したかどうかなんだよね。だから、それをちゃ~んと聞くこと。確認できてないのに焦って次を弾いちゃったらだめ。そこで音楽は終わっちゃうから。そんなのほんの0.1秒のことじゃない。歌うことにもっと貪欲になること」
「でね、もしうまく出せなかったとしても、あ~やっちゃった~……なんて気にしちゃだめ。ひとつ気にしちゃうともうそっからどんどんどんどん細かい所が気になっちゃって、歌どころじゃなくなるの。そんなのはもういいの。パッと切り替えて歌うことに専念するの、最後の最後の音まで」
「まうみのソロの部分はさ、もうまうみの世界なんだから、誰にも気を遣う必要なんて無いでしょ。好きなよ~に、ど~じゃ~!って感じで弾ききらなきゃ」



今夜のマンハッタンは、国連の行事が続いているからか、世界からの要人だらけで、道路はどこも異様に混んでいた。
旦那は、リハーサルの開始時間ギリギリにわたし達を車から降ろし、そのあと駐車できる場所を探しに出たのだが、黒塗りの、窓から外に向けて銃を構えているSPが乗った車やパトカーや救急車が賑々しく走るパレードに出くわしてしまい、焦っていたとはいえ、事もあろうに、中央の車線からいきなり右折をしてしまい、めでたく再びチケットをいただいた。


いよいよコンサート本番が近づいてきた。



ザンケルホールのピアノはどんなのだろう。そしてそれはどんな響きが出るのだろう。ドキドキとワクワクが同じぐらい。心臓さん、しっかりね!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする