ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

もううんざり!!

2011年05月14日 | 日本とわたし
これは読売新聞。

『東京電力は14日の記者会見で、2,3号機の原子炉について「最悪の場合、1号機と同様のケースが想定できる」と説明し、核燃料全体の溶融(メルトダウン)の可能性を初めて認めた。
1号機では、11日に水位計を調整した結果、炉内の水位が低く、燃料が冷却水から露出して溶けたことが確実となった。
2,3号機の水位計はまだ調整していないが、1号機と同じ仕組みのうえ、もともと1号機より低い水位を示している。
ただ、東電は炉内の温度などから、2,3号機は1号機より燃料の損傷が少ないと推定している』


これは朝日新聞。

『東日本大震災に被災してメルトダウン事故を起こした福島第一原発1号機で、東京電力は14日、原子炉建屋地階に大量のたまり水があると発表した。
原子炉を冷やすために注いだ水が汚染されて漏れ出しているとみられ、東電は格納容器に水をためて冠水させる作業を事実上断念し、漏れ出した水を再循環させて原子炉を冷やす検討を始めた。
事故収束に向けた工程表の大幅な見直しが迫られる。
また、13日に無人ロボットを使い、これまで計測していなかった1号機原子炉建屋1階南東側の放射線量を測定した。
事故後計測した空間放射線量では最高の毎時2千ミリシーベルトを原子炉圧力容器につながる配管近くで計測した』


いつまでこんな報道をちんたらちんたらやるつもり?
アホちゃうの?
なんで東京電力にまだ任してるわけ?
あんな、想定外のことにオロオロして、ちゃんと現実を見る事もできんと、推定推測ばっかで、挙げ句の果てに、あ!こんなことになってましたって……。
いつでも後出し。知らんかったふりばっか。嘘つきの集団。
しかも、こんな事態になった今も、自分らの暮らしをなんとか守りたいと思える太々しさを、隠そうともせん恥知らず。

もう二ヶ月以上も経って、その間にどんだけ汚染したと思てるん?
海に囲まれた国の、どっか一部からとてつもない毒まいて、それが自分とこの会社だけでなんとかできると思てるん?
政府もええ加減に、原発事故専門の、こういう事態を経験して対処したことがある人間に、世界中から福島に集合してもろて、現実をまずきちんと把握することから始めたらどないやの?

知らんかった。調べられへんかったで済むことちゃうねん。
どうしようもなかったで済むことちゃうねん。
それを、たった数行の記事で、メルトダウンとかいう言葉も一言で、しかもいっつも東電の発表を垂れ流してるだけ。
いったいそれにどんな恐ろしい意味があって、どんな影響があって、そやから関東東北圏に住む人達はどういうことに気をつけなあかんのか、どういう覚悟をもって対処せなあかんか、
そういうことを調べて、あるいは聞き取り調査でもなんでもして、事細かに書ける記者がひとりもおらんの?
そういう記事を書かすことができる新聞社は無いの?
そういう事実を報道できるテレビやラジオの局は無いの?

もともと作ったらあかんもんを無理矢理作ったんや。
それに関わった人間、全員出て来い!
人間が調子に乗って、なんでもできるつもりになって、それで事故が起きて、手に負えん事態になって、その責任を取るべき人間や組織が、こんなことになったら、わたしらもうお手上げですわってあっさりあきらめて、あとはもう地球全体が破滅に向かって一直線。
映画で何回もそういう話を観たことあるけど、それが現実に起こって、しかもそれが母国日本やなんて、ほんの二ヶ月前までは想像もしてなんだ。
しかも、活断層の真上や近所に、スリーマイルやチェルノブイリの事故が起こった後も、どんどんどんどん増やし続けた日本の電力会社と政府。
ここにもたいがいぎょうさん原発があるけど、事故の後は新規は一基も無し。活断層の上にあるやつは遠の昔に停止してる。
まあ、この震災が起こらんかったら、新規がボコボコ建てられる予定にはなってたんやけど。

日本の電力会社は、ほんの二ヶ月前まで独占企業で、原発を建てまくって儲けてきてんから、みんなでこの際庇い合ったらどうなん?
今後も日本のどっかで同じような事故が起こる確率はめちゃくちゃ高いんやから、今までみたいにグルになって助け合ったらええやん。
原発どうしようもないお手上げ互助会でも作って、今からでも積み立てして、まかり間違うても電気料金を今以上に上げるってな暴挙をせんように。
電力会社全社の役員、それから原発を推進してきた政治家、自治体のえらいさん、融資でわんさか儲けた金融機関、ウソの垂れ流し記事を書いてきた記者、それを掲載した報道関係者、あんたらで責任を分け合え!
コメント (2)
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母の大きな一日

2011年05月14日 | 家族とわたし
旦那母が個展を開いた。
以前にも一度、小さな個展を開いたが、今回のは規模も内容も格段に違う。
だからデビューなのだ。
母が陶芸に目覚めたのは旦那が生まれて数年経った、まだ彼が幼児だった頃のこと。
陶芸教室に通い始めて数年が経った頃には、裏庭に、自分で小さな窯を造り、そこで食器を焼いて販売し始めた。
四十代に入ってすぐに、大学で色彩について学び始め、食器や家具の陶作から壁掛けのアート作品に移行し、三十年後の今年、とうとう個展にこぎ着けた。
一貫して、自分の色、形を求め、自分自身を奥深くまで見つめ直し、人よりも生きるのが難しかった過去を振り返りながら、こつこつと創り続けてきた母。
その過程でやっと、そのままの自分を認め、赦し、愛してあげることができるようになったのだと思う。
彼女の作品はみな、慈しみと愛に満ちあふれている。
彼女自身がその作品によって癒されているのと同時に、その作品を観る人達も、知らず知らずのうちに癒される。

彼女の作品の写真をここに載せることができないのがとても残念だけど、
自分の作品の色と質感、そして全体からかもし出される印象を、間違って受け取られたくないという彼女の気持ちはよくわかるので、我慢することにする。

朝から相変わらずどんより曇っている空。すでに音楽コンクールで往復3時間の運転をしてきたわたしは、今回は助手席に陣取らせてもらう。


途中で寄った、どこにでもある高速道路の休憩所。


大勢のトラックの運ちゃん達が、ここで仮眠を取る。トラックそのものがめちゃくちゃデカイので、その様は壮観。


トラックの積み荷の重量を計る所。一瞬、あそこに立ったら「軽過ぎて計量できません」なんて言うてもらえるんかしら……などとしょうもないことを考えた。


母の個展が開かれている会場の教会は、父が長いこと理事長を勤めていた大学の敷地内にある。ここはその大学の入り口。


教会は古い煉瓦造り。


レセプションはもう始まっていた。
「ピアノの生演奏だったらわたしがするのに」と言うと、「こういう場所では大学の音楽科の学生に弾かせてあげることになっているので頼まなかった」と父。


来場してくださった方々を前に、スピーチをする母。小柄なので首から上しか出ない。


その晴れ姿を眩しそうに見つめる父。


いつもなら、縁の下の力持ちの母が、こうやって壇上の父を見つめていることが多いのだけど、今日は違う。母が主役その人なのだ。

母の経歴紹介。


そして作品……はまあ、もしチャンスがあれば、直接見ていただくとして(それはめっちゃ少ない確率のチャンスなんだけど……)、
父が予約してくれたお祝いディナーまでにはまだかなり時間があるということで、旦那とわたしはちょいと近所を散歩することに。
なぜかきれいに紅葉しているもみじの木を発見。


旦那のお気に入りペイントの家。


その向かいにあったワイルドなペイントの家。


学生の町らしく、共同住宅ならではの郵便受けと電気配線。


お店は閉まってるのに、こんなふうに放っといていいんだろうか……。超~元気そうな朝顔を見つけた。欲しかったけど、まさかお代を置いておくわけにもいかず、泣く泣くあきらめた。


↑この記事を今朝読んだ旦那が、「このスタンドはどこから来たか知ってる?」と聞いてきた。
そりゃあんた、この花屋の店の中からっしょが。と心の中で思いながら「知らん」と答えると、


↑この絵を見せてくれた。超~有名な一こまなんだそうな。
ついでにこれも。


旦那姉(といってもわたしよりは6才年下)のアードリィと母。


もういっちょ、色違い。母は来た人来た人から質問攻めで、かなりお疲れの様子。170人近くの来場だったらしい。


ここで美味しい夕食をいただいた。


実家に戻ってからもひとしきり個展の話で盛り上がり、新入り猫ピーターとも仲良くなり、早めに就寝。
翌朝の今日はまたまた曇り空。しとしとと雨も降り出した。
昨日の今日なのに、母はやっぱり早起きして、朝食をせっせと作り始めていた。
わたしはいつものごとく一番の寝坊助。パジャマ姿のまま二階のキッチンに行く。
カナディアンベーコンとスクランブルエッグ、トーストとコーヒー、そしてメロンとイチゴ。
せめて食器洗いぐらいはしようと片付けていると、わたしの小指が心配だからと、「新しく学んだ神経ヒーリングの治療をしてあげよう」と言い出した母。
悪いとは思ったけれど、「これはわたしにも楽しいことだから平気。遠慮なんかしないの」と言われ、あっさりとお願いすることにした。
母がしてくれるマッサージは、それがどんな種類でも大好き!よく効くのであ~る!
新しい電動式のマッサージテーブルを、それはそれは嬉しそうに見せてくれる母。
また新たな講座を受けに、フロリダに行くらしい。
母はいったいどこまで進化していくのだろう……。

帰り際になってやっと挨拶に来てくれたリリー。


庭はどこも雨に濡れた緑が美しい。


またね~ペンシルバニア!



コメント (4)
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