フェイスブックで、吉野家が、福島県の白河市に『吉野家ファーム福島』というのを設立する、というニュースを見つけた。
復興支援、白河でコメ生産 吉野家 農業法人を設立
【福島民報】2013/10/02
吉野家ホールディングス(HD)は1日、白河市の農家と共同出資し、コメなどの生産を手掛ける、
農業生産法人「吉野家ファーム福島」(白河市表郷金山)を設立した。
主要食材の自社生産を強化し、コメなどを安価で安定的に調達する狙い。
本県では、食品の放射性物質検査態勢が確立されており、安全性に問題はないと判断した。
平成26年度から、生産を開始する。
耕作放棄地などを借りて、26年度から、牛丼などに使うコメをはじめ、ハクサイ、キャベツ、青ネギなどを生産する。
当初は、約4・3ヘクタールの農地で生産する。
農地は順次拡大し、29年度までに、約13ヘクタールの規模を見込む。
コメは、同年度に、年間35トン程度の収穫を目指す。
生産物は、全量を、吉野家HDが買い取る。
吉野家ファーム福島は、地元から、新規雇用5人程度を計画している。
同社の資本金は、1000万円。
吉野家HDの出資比率は、議決権ベースで49%。
地元農家2軒が、共同出資した。
吉野家HDは、神奈川県でも、農業を営んでいる。
本県での事業を、東日本大震災の復興支援につなげる。
吉野家ファーム福島の森本桂次社長は同日、県庁で畠利行農林水産部長に、設立を報告した。
森本社長は、
「福島の農家が、農業に自信を取り戻せるよう、微力ながら貢献したい」と語った。
畠部長は、
「心から歓迎します。しっかりと支援していきたい」と応じた。
森本社長は、収穫した食材について、「店舗は限定していないが、少なくとも、東北地方では提供したい」と語った。
◇ ◇
県内では、カゴメの農産物生産販売子会社いわき小名浜菜園が、いわき市で、ジュースなどの加工品や、生食用のトマトを栽培している。
キユーピーは、白河市でTSファーム白河を運営しサラダ菜、レタスなどを栽培している。
外食チェーンのサイゼリヤは、西郷村でレタスを生産している。
↑以上、転載おわり
このニュースを読んで、白河市という名前に聞き覚えがあったので、調べてみた。
今から約1年ほど前に読んだ記事の中に、この白河市の名前が再三出てきてた。
それは、民の声新聞発行人・鈴木博喜が書いておられるブログ『民の声新聞』に、掲載されてた記事やった。
それをここに載せさせてもらう。
白河市からの自主避難は「放射脳」か~妻子逃がす男性の怒りと落胆
2012年11月02日(金)
妻や3人の娘を被曝から守るため、周囲の冷笑と闘っている男性が、福島県白河市にいる。
妻子を、新潟市内に母子避難させているが、周囲からは、「大げさだ」と嘲笑されている。
依然として、放射線量が低くなったとは言えない白河市。
むしろ、場所によっては、高い値が計測されるのにもかかわらず、むしろ、同じ福島県人から、非難の言葉を浴びる現状に、男性の怒りは募る。
男性は問う。
「どこまでの惨事なら、白河市からの自主避難が許されるのか」─。
【西郷村で目の当たりにした〝黒い雨〟】
短い動画がある。
1年7カ月前の、あの日の午後。
経験したこともない揺れに、白河市内の店舗前のアスファルトには、一瞬にして亀裂が入った。
道路は波打っていた。
電線が、ビュンビュンと音をたてて揺れていた。
店舗内は、あらゆるものが倒れ、大きなダッシュボードが、いとも簡単に位置を変えていた。
とっさにカメラを回したAさん(40)が、近所の人を前に叫んでいる。
「これはやばいっすよ」
だがしかし、この揺れが、長い被曝との闘いの幕開けになろうとは、知る由も無かった。
「あれだけの揺れですから、学校も倒壊していると思っていました。だから覚悟はしました。きっと死んでるだろうと」
妻は、卒業間近の長女のクラス会のため、小学校に出かけていた。
携帯電話は不通。
ようやく、ツイッターで、妻や娘の無事を知ったのは、しばらく後のことだった。
2人の妹は、下校途中で、急な下り坂で揺れに遭遇していた。
今年で10周年を迎えた店舗の倒壊も、家族の死も免れたのは、不幸中の幸いだった。
しかし、安心したのもつかの間、徐々に、被曝への関心が強くなっていく。
避難への思いが一気に高まったのが、一通のメールだった。
店の顧客に宛てられた、福島原発の労働者からの言葉は、衝撃だった。
「全県避難になるかもしれない。事態はそれだけ深刻だ」
逃げよう─。
慌てて、妻に荷物をまとめさせた。
妻と2台の自家用車に分乗し、3人の娘とともに、幼馴染の親戚のいる、南会津を目指した。
途中、西郷村で、〝黒い雨〟が降った。
「何だ?この真っ黒い雨は?」
危機感はさらに高まった。
南会津に着いた時、ワイパーは黒くなっていた。
結局、知人の親戚宅には一泊もせず、さらに西へ向かうことになった。
「南会津でも近いんじゃないかと思って、新潟に向かいました」
Aさんは、妻と娘を被曝させるわけにはいかない、という想いで一杯だった。
3月15日。
死を覚悟した未曽有の揺れから、4日が経っていた。
激しい揺れであらゆる物が倒れ、散乱したAさんの店舗。
幸い建物自体は倒壊しなかったため、現在は営業を再開している=白河市内(Aさん提供)
【「中越沖地震で世話になった」と支援申し出た男性】
北陸自動車道・黒崎パーキングエリアに、ようやくのことで着いた時、日付は変わり、午前1時になっていた。
辺りは雪。
途中、磐越自動車道は利用できず、大渋滞の一般道で、新潟を目指した。
津川インターチェンジから、高速道路に入った。
ほっと一息をつけたPAは、深夜にもかかわらず、福島ナンバーの車が目立った。
知り合いなどいなかったが、誰彼かまわず、情報交換をした。
誰もが、危機感を抱いていた。
何がどうなっているのか、どこまで逃げれば被曝を免れるのか。
ガソリンスタンドでは、2-3時間は並ばないと給油できない、という話もあった。
仕事柄、燃料だけは潤沢だったことは、幸いした。
夜が明け、Aさんは再び、車を走らせた。
娘たちは、身を寄せ合って寒さをしのいだ。
着いたのは、激しい風雨が吹き荒れる、新潟市巻町。
かつて、原発新設の是非をめぐって、日本初の住民投票が実施された町。
通年営業の民宿を探し、一泊した。
翌日、地元の不動産業者をまわり、アパートの賃貸契約を結んだ。
福島からの避難だと話すと、厚意で、敷金や礼金は免除された。
一緒に巻町まで逃げた友人は、数日して、白河市に戻った。
ここで、思いもかけない出会いがあった。
コインランドリーで洗濯をしていたときのこと。
1人の男性が入ってきた。
辺りを見渡し、Aさん夫妻に話しかけた。
「外に停まっている福島ナンバーの車、おたくの?」
Aさんが、原発避難者だと告げると、男性は、
「中越沖地震のとき、福島の人々には、本当に助けてもらった」と、ポケットから小銭を出し、洗濯機の代金を支払った。
副業として、このコインランドリーを管理しているオーナーだった。
同い年ということも手伝い、意気投合するのに、時間はかからなかった。
男性は、Aさんが恐縮する言葉に耳も貸さず、契約したばかりのアパートの住所を聞くと、
翌日、ワンボックスカーに一杯の、家財道具や食料を積んで現れた。
クーラーボックスの肉は、あふれ出しそうになっていた。
使いきれないほどの、布団も毛布もありがたかった。
この男性とは今も、交流を続けている。
都市ガス業者は、Aさんがガスコンロを持っていないことを知ると、無料で貸与してくれた。
新潟の避難生活は、比較的、温かい雰囲気で始まった。
だが今、Aさんは、激しい怒りと悔しさを抱えている。
福島原発から、80kmも離れた白河市からの自主避難が、どれだけ白眼視されるか、思い知らされることになったからだ。
白河駅周辺では、依然として、0.4-0.5μSVの放射線量が計測される。
原発から80kmも離れているが、被曝の危険性は低くない。
【「金に余裕があるから逃げるのではない」】
改めてアパートを借り、妻子を残して、Aさんは白河市に戻った。
娘たちには、「いのちを守るためだ」と話した。
アパートは、民間借り上げ住宅となり、光熱費だけの負担で済むようになった。
転入した学校の給食費も、負担しなくて済んでいる。
だが、厳しい視線が〝身内〟から浴びせられる。
白河市で、耳までふさぐことのできるマスクをして、生活しているAさんに、
近所の人は、「放射脳」だと冷笑する。
「俺はここに住んでいるんだ。放射能と口にするな」と怒られたこともある。
娘ばかり3人の父親だけに、被曝回避には、全力を尽くしてきた。
「この危機感は、他人にはわからないでしょうね」とAさん。
「金銭的に余裕があるから、逃げられるんだよね」という言葉は聞き飽きた。
地区の会合では、嘲笑のタネにされることが多い。
「奥さん、まだ帰って来ないの?大変だねぇ」
「新潟って、そんなに居心地が良いの?」
「家賃を払ってもらっているんだろ?結構なご身分だな」
避難先には、福島県人が少なくないが、大半が、福島市や郡山市からの避難者。
白河市からの避難に、「妻は、少なからず負い目を感じている」とAさんは話す。
白河市内は、原発事故の影響をあまり受けていないように思われがちだが、
Aさんの店舗外の地表に線量計を置くと、今でも、0.4-0.5μSVを計測するという。
私の線量計でも、小峰城で、同様の放射線量を計測しており、被曝の危険性は決して低くない。
避難先で、定期的に開かれる、自主避難者の集いでも、
「福島の現状、自主避難者の想いが、あまりにも伝わっていない」という声が多いという。
「どこまで酷い事故なら、逃げることが正しいと言ってもらえるのか?もし4号機が倒壊したら、みんな逃げるのだろうか?」
9月、小学校3年生の末っ子の、尿検査を依頼したら、放射性物質は不検出。
避難させて本当に良かった、と実感した。
妻子を守る闘いは、始まったばかり。
原発事故後、佐藤雄平福島県知事には、失望させられることが多かった、というAさん。
「仮に、放射性物質がゼロになったとしても、妻や子を、あんなリーダーがいる県には戻したくない」
(了)
↑以上、転載おわり
みなさんは、どう思わはりますか?
わたしは、吉野屋が言う『安価で安定的に調達する狙い』ということにひっかかってます。
復興支援いうて、地元から雇用するのは5人程度……。
今現在の、白河市の線量は、0.25~0.5μSVだと、福島県の線量マップには提示されてますけど、
県が出してる提示線量はいつも、実際のより低めやとも聞いてます。
なんかモヤモヤするなあ……。
復興支援、白河でコメ生産 吉野家 農業法人を設立
【福島民報】2013/10/02
吉野家ホールディングス(HD)は1日、白河市の農家と共同出資し、コメなどの生産を手掛ける、
農業生産法人「吉野家ファーム福島」(白河市表郷金山)を設立した。
主要食材の自社生産を強化し、コメなどを安価で安定的に調達する狙い。
本県では、食品の放射性物質検査態勢が確立されており、安全性に問題はないと判断した。
平成26年度から、生産を開始する。
耕作放棄地などを借りて、26年度から、牛丼などに使うコメをはじめ、ハクサイ、キャベツ、青ネギなどを生産する。
当初は、約4・3ヘクタールの農地で生産する。
農地は順次拡大し、29年度までに、約13ヘクタールの規模を見込む。
コメは、同年度に、年間35トン程度の収穫を目指す。
生産物は、全量を、吉野家HDが買い取る。
吉野家ファーム福島は、地元から、新規雇用5人程度を計画している。
同社の資本金は、1000万円。
吉野家HDの出資比率は、議決権ベースで49%。
地元農家2軒が、共同出資した。
吉野家HDは、神奈川県でも、農業を営んでいる。
本県での事業を、東日本大震災の復興支援につなげる。
吉野家ファーム福島の森本桂次社長は同日、県庁で畠利行農林水産部長に、設立を報告した。
森本社長は、
「福島の農家が、農業に自信を取り戻せるよう、微力ながら貢献したい」と語った。
畠部長は、
「心から歓迎します。しっかりと支援していきたい」と応じた。
森本社長は、収穫した食材について、「店舗は限定していないが、少なくとも、東北地方では提供したい」と語った。
◇ ◇
県内では、カゴメの農産物生産販売子会社いわき小名浜菜園が、いわき市で、ジュースなどの加工品や、生食用のトマトを栽培している。
キユーピーは、白河市でTSファーム白河を運営しサラダ菜、レタスなどを栽培している。
外食チェーンのサイゼリヤは、西郷村でレタスを生産している。
↑以上、転載おわり
このニュースを読んで、白河市という名前に聞き覚えがあったので、調べてみた。
今から約1年ほど前に読んだ記事の中に、この白河市の名前が再三出てきてた。
それは、民の声新聞発行人・鈴木博喜が書いておられるブログ『民の声新聞』に、掲載されてた記事やった。
それをここに載せさせてもらう。
白河市からの自主避難は「放射脳」か~妻子逃がす男性の怒りと落胆
2012年11月02日(金)
妻や3人の娘を被曝から守るため、周囲の冷笑と闘っている男性が、福島県白河市にいる。
妻子を、新潟市内に母子避難させているが、周囲からは、「大げさだ」と嘲笑されている。
依然として、放射線量が低くなったとは言えない白河市。
むしろ、場所によっては、高い値が計測されるのにもかかわらず、むしろ、同じ福島県人から、非難の言葉を浴びる現状に、男性の怒りは募る。
男性は問う。
「どこまでの惨事なら、白河市からの自主避難が許されるのか」─。
【西郷村で目の当たりにした〝黒い雨〟】
短い動画がある。
1年7カ月前の、あの日の午後。
経験したこともない揺れに、白河市内の店舗前のアスファルトには、一瞬にして亀裂が入った。
道路は波打っていた。
電線が、ビュンビュンと音をたてて揺れていた。
店舗内は、あらゆるものが倒れ、大きなダッシュボードが、いとも簡単に位置を変えていた。
とっさにカメラを回したAさん(40)が、近所の人を前に叫んでいる。
「これはやばいっすよ」
だがしかし、この揺れが、長い被曝との闘いの幕開けになろうとは、知る由も無かった。
「あれだけの揺れですから、学校も倒壊していると思っていました。だから覚悟はしました。きっと死んでるだろうと」
妻は、卒業間近の長女のクラス会のため、小学校に出かけていた。
携帯電話は不通。
ようやく、ツイッターで、妻や娘の無事を知ったのは、しばらく後のことだった。
2人の妹は、下校途中で、急な下り坂で揺れに遭遇していた。
今年で10周年を迎えた店舗の倒壊も、家族の死も免れたのは、不幸中の幸いだった。
しかし、安心したのもつかの間、徐々に、被曝への関心が強くなっていく。
避難への思いが一気に高まったのが、一通のメールだった。
店の顧客に宛てられた、福島原発の労働者からの言葉は、衝撃だった。
「全県避難になるかもしれない。事態はそれだけ深刻だ」
逃げよう─。
慌てて、妻に荷物をまとめさせた。
妻と2台の自家用車に分乗し、3人の娘とともに、幼馴染の親戚のいる、南会津を目指した。
途中、西郷村で、〝黒い雨〟が降った。
「何だ?この真っ黒い雨は?」
危機感はさらに高まった。
南会津に着いた時、ワイパーは黒くなっていた。
結局、知人の親戚宅には一泊もせず、さらに西へ向かうことになった。
「南会津でも近いんじゃないかと思って、新潟に向かいました」
Aさんは、妻と娘を被曝させるわけにはいかない、という想いで一杯だった。
3月15日。
死を覚悟した未曽有の揺れから、4日が経っていた。
激しい揺れであらゆる物が倒れ、散乱したAさんの店舗。
幸い建物自体は倒壊しなかったため、現在は営業を再開している=白河市内(Aさん提供)
【「中越沖地震で世話になった」と支援申し出た男性】
北陸自動車道・黒崎パーキングエリアに、ようやくのことで着いた時、日付は変わり、午前1時になっていた。
辺りは雪。
途中、磐越自動車道は利用できず、大渋滞の一般道で、新潟を目指した。
津川インターチェンジから、高速道路に入った。
ほっと一息をつけたPAは、深夜にもかかわらず、福島ナンバーの車が目立った。
知り合いなどいなかったが、誰彼かまわず、情報交換をした。
誰もが、危機感を抱いていた。
何がどうなっているのか、どこまで逃げれば被曝を免れるのか。
ガソリンスタンドでは、2-3時間は並ばないと給油できない、という話もあった。
仕事柄、燃料だけは潤沢だったことは、幸いした。
夜が明け、Aさんは再び、車を走らせた。
娘たちは、身を寄せ合って寒さをしのいだ。
着いたのは、激しい風雨が吹き荒れる、新潟市巻町。
かつて、原発新設の是非をめぐって、日本初の住民投票が実施された町。
通年営業の民宿を探し、一泊した。
翌日、地元の不動産業者をまわり、アパートの賃貸契約を結んだ。
福島からの避難だと話すと、厚意で、敷金や礼金は免除された。
一緒に巻町まで逃げた友人は、数日して、白河市に戻った。
ここで、思いもかけない出会いがあった。
コインランドリーで洗濯をしていたときのこと。
1人の男性が入ってきた。
辺りを見渡し、Aさん夫妻に話しかけた。
「外に停まっている福島ナンバーの車、おたくの?」
Aさんが、原発避難者だと告げると、男性は、
「中越沖地震のとき、福島の人々には、本当に助けてもらった」と、ポケットから小銭を出し、洗濯機の代金を支払った。
副業として、このコインランドリーを管理しているオーナーだった。
同い年ということも手伝い、意気投合するのに、時間はかからなかった。
男性は、Aさんが恐縮する言葉に耳も貸さず、契約したばかりのアパートの住所を聞くと、
翌日、ワンボックスカーに一杯の、家財道具や食料を積んで現れた。
クーラーボックスの肉は、あふれ出しそうになっていた。
使いきれないほどの、布団も毛布もありがたかった。
この男性とは今も、交流を続けている。
都市ガス業者は、Aさんがガスコンロを持っていないことを知ると、無料で貸与してくれた。
新潟の避難生活は、比較的、温かい雰囲気で始まった。
だが今、Aさんは、激しい怒りと悔しさを抱えている。
福島原発から、80kmも離れた白河市からの自主避難が、どれだけ白眼視されるか、思い知らされることになったからだ。
白河駅周辺では、依然として、0.4-0.5μSVの放射線量が計測される。
原発から80kmも離れているが、被曝の危険性は低くない。
【「金に余裕があるから逃げるのではない」】
改めてアパートを借り、妻子を残して、Aさんは白河市に戻った。
娘たちには、「いのちを守るためだ」と話した。
アパートは、民間借り上げ住宅となり、光熱費だけの負担で済むようになった。
転入した学校の給食費も、負担しなくて済んでいる。
だが、厳しい視線が〝身内〟から浴びせられる。
白河市で、耳までふさぐことのできるマスクをして、生活しているAさんに、
近所の人は、「放射脳」だと冷笑する。
「俺はここに住んでいるんだ。放射能と口にするな」と怒られたこともある。
娘ばかり3人の父親だけに、被曝回避には、全力を尽くしてきた。
「この危機感は、他人にはわからないでしょうね」とAさん。
「金銭的に余裕があるから、逃げられるんだよね」という言葉は聞き飽きた。
地区の会合では、嘲笑のタネにされることが多い。
「奥さん、まだ帰って来ないの?大変だねぇ」
「新潟って、そんなに居心地が良いの?」
「家賃を払ってもらっているんだろ?結構なご身分だな」
避難先には、福島県人が少なくないが、大半が、福島市や郡山市からの避難者。
白河市からの避難に、「妻は、少なからず負い目を感じている」とAさんは話す。
白河市内は、原発事故の影響をあまり受けていないように思われがちだが、
Aさんの店舗外の地表に線量計を置くと、今でも、0.4-0.5μSVを計測するという。
私の線量計でも、小峰城で、同様の放射線量を計測しており、被曝の危険性は決して低くない。
避難先で、定期的に開かれる、自主避難者の集いでも、
「福島の現状、自主避難者の想いが、あまりにも伝わっていない」という声が多いという。
「どこまで酷い事故なら、逃げることが正しいと言ってもらえるのか?もし4号機が倒壊したら、みんな逃げるのだろうか?」
9月、小学校3年生の末っ子の、尿検査を依頼したら、放射性物質は不検出。
避難させて本当に良かった、と実感した。
妻子を守る闘いは、始まったばかり。
原発事故後、佐藤雄平福島県知事には、失望させられることが多かった、というAさん。
「仮に、放射性物質がゼロになったとしても、妻や子を、あんなリーダーがいる県には戻したくない」
(了)
↑以上、転載おわり
みなさんは、どう思わはりますか?
わたしは、吉野屋が言う『安価で安定的に調達する狙い』ということにひっかかってます。
復興支援いうて、地元から雇用するのは5人程度……。
今現在の、白河市の線量は、0.25~0.5μSVだと、福島県の線量マップには提示されてますけど、
県が出してる提示線量はいつも、実際のより低めやとも聞いてます。
なんかモヤモヤするなあ……。