ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国必殺仕置き人事情

2010年07月18日 | 米国○○事情
昨夜はエアコンの意地悪から避難するべく、わたしは一階のお客部屋で寝た。
朝、旦那が入ってきていきなり、「海に行こ!」と明るく宣った。
確信犯なのであった。
わたしは起き抜けに何か言われると、あまり考えること無く(というかボケまくっているので)、「まあええけど」と答えてしまう癖がある。
それでも旦那は一瞬ひるんだようだ。だって、わたしが海に行ってもいいなんて言う確率は、いくら寝ボケていてもいいとこ半々だろうと思っていたからだ。

とにかく、行くと決めたのだから、起きてまだ意識もはっきりしていないのに、とりあえず日焼け止めを塗った。
タオルや道中の食べ物飲み物は、旦那がせっせとかき集めてくれた。
A子から教えてもらったUV90などという、とんでもない数字の日焼け止めクリームを買いに近くのCVSに寄り、その間に旦那は、隣のダンキンドーナツに入り、アイスコーヒーとオールドファッションのドーナツを買った。
とりあえず今日は、いきなりの海行きなので、普通にドライブして45分ぐらいの所にあるビーチに行くことにした。
ナビに行き先を入れ、いざいざ出発!

あれ?ちょっと、ガソリンめちゃ少ないやん!
まあ、あそこまでぐらいやったら多分大丈夫……やと思う。
うちって、こういうパターン、多過ぎひん?
(聞いてないふり)

そしてそれはやってきた。


見渡す限りの大渋滞。そりゃそうでしょ。休日の、暑くてたまらない晴天の、あんまり早く無い朝なんだから。
で、ガスは?

や、やばいかも……。

気温103℉(39.5℃)の中、エアコンを止めて窓を開け、じりじりと歩くような速さで進む車は、瞬く間に動くスティームサウナと化した。
「いやあ、一足お先にビーチだぜぃ~」とやせ我慢を言いながら、せっせと日焼け止めクリームを塗りっこする健気な夫婦を、気でも狂ったか?と眺めている周りの方々。
いえね、わたし達だってね、好きでこんなことやってんじゃありませんよ!いくら自業自得だからって、こんな暑い思いしたくなんかないですよ!
少しでも下りっぽい道になるとニュートラルに入れたり、最寄りのガソリンスタンドをナビで探したり、いよいよ事態は緊迫してきた。
いくらなんでも、イカ焼きを焼いて周りに売って歩けそうなぐらい熱い鉄板(車体ですね)を押して、この渋滞の道を進むのはいやだ!絶対に!
やっとのことでガソリンスタンドを見つけ、ホッと一安心。ねえ、学ぼうよ、わたし達。そして向上しようよ

当たり前だけど、すごく混んでいた。結局45分で済むはずの所に3時間かけて着き、初めての場所なのでどこに駐車するのがいいのかわからないままどんどん海に近づいて行き、このままだと駐車料金ぼったくられるんちゃう~と心配していると、あらあら、ビーチ直前のロータリーに無料の駐車場があって、そこにポッカリ一台分空いていた。ラッキー!

熱で身体がおかしくなっていたので、ひとまずボードワーク沿いにあるレストランに入り、そこでひと涼み。
水着を着ていたので、行くのを我慢していたおしっこも無事終了。でも、女性ならわかってくれると思うけど、めんどっちぃよね~あれ!
浜辺をパノラマで眺めながらいただいた、『よく我慢したで賞』牡蠣のいろいろセットと白ワイン。


だいぶ気分も落ち着き、よし、ちょっくら泳ぐべか、という気力も出てきたので、ビーチに降りようと思ったのだけど、待てよ、ビーチタグいくらなん?
ニュージャージーは海沿いに南下している州なので、そりゃもういろんなビーチがあるのだけど、大抵は5ドル前後のタグを買って初めて浜辺に降りられる。
そんなに長居するつもりはないのに、5ドルとか払うの損だよな~と、検問所に降りる直前のボードの上で躊躇していると、海から上がって来たマッチョな男性が、「あ、これ、よかったらあげる」と言って、自分達のタグをわたし達にくれた?!ありがとぉ~!!
こんなのです。


さすがに今日のビーチは混んでいた。


ボードワークの板の下が陰になっていてわたし向きだったので、そこにビーチタオルを敷いて早速昼寝開始!
ププッ!なんじゃなんじゃ?
いきなりの砂攻撃に飛び起きると、横の旦那が上を指差した。


「だってほら、あの板の隙間から、上を歩いてる人のサンダルについた砂が落ちてくるねん」……なるほどごもっとも!
まあ、砂ぐらい大した問題ではないではないか!帽子を顔に被せて再び昼寝開始。

ふと目が覚めると、旦那は一足先に泳ぎに行っていた。
どちらかが残って荷物の見張りをしなければならないので、次はわたしだとせっせと用意しているところに、旦那が戻ってきた。
が……、なんだか様子がおかしい……

「どないしたん?」
「肩、外れた」


なんとかして自分で治そうとする鍼師のプライドも空しく、試してみてはククゥ~ッと身体をくの字に折って苦しむ旦那。
痛みに苦しみながら「引っ張って引っ張って!!」と叫ぶので、慌てて手首を持って引っ張ろうとするのだけど、おたがい日焼け止めクリームを塗りたくってあるので、ヌルヌルして引っ張りにくいのなんのって。うなぎの綱引きか!などとひとりでツッコンでみる。こういう時こそユーモアは大事なのであ~る!

「ライフセイバーのお兄ちゃんに頼んでみたら?」
「いや、もう人を呼んでもらうように頼んである」

そしてどんどん人が寄ってきてくれた。
こういうジープや、砂浜用の巨大タイヤのはまったバイクに乗って、次々と人がやって来てくれるのだけど、誰ひとり治せる人がおらず……。


最後にやって来てくれた整体師さんにも、浜辺で治療はできないからとすげも無く断られ、その間にもまた痛みに襲われた旦那から「引っ張って」とせがまれたので引っ張ると、「そんなことはしてはいかぁ~ん!」と思いっきり叱られた……ほんなら、あんたがなんとかしたってよぉ~!
送ってあげよう、という皆さんの気持ちだけありがたくいただき、自分達で近所の病院に行き、救急で診てもらうことにした。

こんな時にまで写真を撮ろうとするわたしのことを、やれやれ……と言わんばかりに首を振りながら病院に向かう旦那。右肩の下がり具合が哀愁を誘う。


「海に入って一番最初の波にやられた。タイミングが悪かったのか、いろんな角度に揉まれた挙げ句、砂地にしこたま打ち付けられた」
旦那が事故の様子を説明すると、病院のスタッフは皆、「この病院には毎日、あなたのような人がやってきます」と気の毒そうに慰めてくれた。
そんなふうに慰められてもなあ……
例のごとく散々待たされ、診てくれた見習い女医さんの説明はあんまりよくわからず、とりあえずレントゲンを撮ってもらい、様子を見ることに。
帰りの運転はもちろんわたしが担当した。幸いなことに、渋滞はそれほど酷くなかった。でも、また痛みが戻ってきたらどうしようかと心配しながらの運転は、なかなかに気疲れのするものだった。
家に着いて記念写真。これは旦那からのサービス。今日はいったい何しに海に行ったん??のわたしへのお詫びの印らしい。


そしてきわめつけはこれ。本邦初公開!病院がくれた旦那のレントゲン写真の写し。今時は、レントゲン写真もCDに入れてくれる。時代は変わった。
それにしても、こんなセクシーな旦那は見たことが無い!


なんて……ふざけている場合ではない。どうやら米国には、海の中に、必殺仕置き人が潜んでいるようだ。
しかし……旦那はいったい、どんなことをしでかしてお仕置きをされることになったのか……。





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この夏はアクリルたわし!

2010年07月18日 | 友達とわたし
昨夜、寝室のブウブウとうるさいエアコンの解決策をついに見つけたわたし。
プラスティックの枠とフィルターを外すと、エアコンの内部が丸見えになるのだが、モーターのすぐ前に金属のコイルがうねうねとついていて、そのうねうねコイルのすぐ前に蜂の巣を非常に細かくしたような金属板がついている。
その金属板を恐る恐る圧してみると、ブウブウビイビイがとりあえず消えた!
おぉ~!これを押さえてたら静かやん!
けど、一晩中エアコンの前に立って、そこを押さえといてね~などと頼める人などいるはずもなく、さて、どの部分が一番効果があるかを緻密に検索すること5分。
見つかった!なんのことはない、一番下の部分が一番良いとわかった。
そこなら、なにか挟むのに適当な厚さの物を見つけて、下の部分の鋼鉄製の細い枠とその板の間に差し込みさえすればなんとかなりそうだ!ラッキー!
う~んう~ん、なにか挟む物……とりあえず自由自在の形になる物が良さそうだと思ったので、旦那の部屋から治療用のコットンをちょっくら拝借。
ギュウギュウと詰め込めるだけ詰め込んだ。さあどうだ!かかってこい!
し~ん……(←これは全く音がしなくなった意味でのし~んではなくて、モーターのブ~ンという振動音はしっかり鳴っております)
いやあ、これはいい!アメリカ一静かなエアコンだと言えよう!がっはっはっ!

なかなかの満足気分で眠りについた。
カッ!ブビッ!ブォ~ン!
え?なに?どしたん?サーモスタットで休憩していたエアコンが再び動き出した時、この音が鳴り、眠ってからまだ間もないうちに起こされた。
ふぇ~ん……かんべんしてよぉ~……。
いや、エアコンは全然かんべんなんかしてくれなかった。その後も何回も何回もその音をきちんと出し、わたしはそのたびに起こされた。(号泣)

そんなんで、なかなかにタフな闘いを経て朝になり、旦那とふたりで、久しぶりにモントクレアのファーマーズマーケットに行きがてら、お気に入りのパン屋さんで『アーモンドクロワッサン』とカフェオレをいただいた。

今日は、長い間、会おう会おうと思いながら会えないままでいた、S&J夫妻とEちゃん(6才の女の子)家族と一緒に食事をすることにした。
Jがガスパチョを作って持ってきてくれるというので、こちらは旦那がタコスを作ることに。そしてわたしは、ひたすらライムを絞って、マルガリータ作り。
どれもこれもとぉ~っても夏らしくて、ビタミンてんこ盛りで、ハーブの香りが爽やかで、それはそれは美味しい夕食になった。
シラントロ……ラブ♡(どっかの誰かさんが、カメムシみたいな匂いがするからイヤ!なんて言ってたな……)

食後、お茶を飲みながら、退屈してきたEちゃんの秘密兵器、最新のDS登場!彼女の一年生の漢字の書き取りや、ドラエもんの『ドラがな』で盛り上がる。
ひらがなのバランスが悪くて何回も書き直しさせられる旦那。書き順が違っているのをSに指摘されても、頑として自我流を遠そうとするJ。『田』の字の書き順を間違えたわたし……。そして全く同じ書き順をしてたT……。おいおい……。
みんな、小学一年生に戻るかぁ~?

そしてお片づけが始まった時、突如アクリルたわしの話が出た。
わたしは手のひらと指先が妙に敏感で、市販されている食器洗いの洗剤を使うと瞬間に皮膚がビリビリとしてきて、しまいには手全体が痺れたようになる。
なので、洗剤を買うのはちょっと苦労する。ビリビリしない洗剤が見つかるまで、あれこれと表示を読んでは買い、試しに使ってみる。
ダメだった物は、全然こだわってない人にあげたり、車を洗ったりする時(滅多に無いけど)に使う。
とりあえず、こちらに引っ越してからも、その洗剤探しをして、やっと一社、全く平気なのが見つかった。
そんなことも知ってるSは、「まうみのような人こそ、アクリルたわし使うべきやわ」と言いながら、食器を洗ってくれていた。
ちょっと待って。もしかしてアレがそうかも……。
実は、大津に住んでいた頃のご近所のおばあちゃんが、葉っぱの形の編み物を持って来てくれて、「これ、いっぱい作ったからお裾分け。コップ洗いに使ってみ。洗剤いらんしきれいになるで」と言って3枚くださった。
わたしはそれを後生大事に仕舞い込んで、それっきりになっていたのだけど、なぜだかアメリカの荷物に入っていて、けれども用途をすっかり忘れてしまい、今は急須の下敷きに使ったりしているだけだった。
「なあ、もしかしてコレ?」
「あ!それそれ!まうみ、持ってるんや!」
「え?まあ、持ってたことは持っててんけど……」
鉄瓶の急須に敷いていたので、あちらこちらが黒ずんでいるソレを、Sはさっそく手に取って食器を洗い始めた。
ほんまや、きれいに洗えてるわ!
Sと交代して、初めてその葉っぱで洗ってみた。心の中で、おばあちゃんごめんな。15年以上も経って、ようやく使わしてもろてます、と詫びながら。

アクリルたわしにもいろんなのがあるんだなあ。
なんかわたしも作りたくなってきた。




そして寝る前のお楽しみ、ブログ訪問をしていると、chi-koちゃんの記事に、トイレ掃除用のアクリルたわしの話が書かれてあった。
ほぉ~、トイレにだってアクリルか。
コップ洗い用に、アクリル毛糸を何本も三つ編みして、それを束ねて作ったポンポンを歯ブラシの先っぽにつけて作ったたわしがあった。
もしかして、頑丈なプラスティックの棒さえ見つけられたら、トイレたわしを自分で作れるかも……。きゃ~!!いきなり楽しみになってきた!


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夫婦間カンショウ論

2010年07月16日 | 家族とわたし
カンチョウ(浣腸)ではありません、カンショウ(干渉)です、あしからず……

今も『ダーリンは……』を、いつになく熱心に読んでいる旦那。
先日、少し青ざめた顔で、一巻のページを開いて聞いてきました。
「こ、これ、なんて読むの?」

そこには『相手に干渉しすぎない』というでっかい文字が載っていて、旦那の震える指は(←大げさ)『干渉』の文字を指していたのでした。

「かんしょうやん」
「かんしょう?」
「え?まさか……知らんかったん?」
「聞いたことない……」(やや落ち込む)
「そっかなあ~、そんな干渉せんといて!って言われたことない?」(わたしからいっぱい言われてそうなのに)
「言われたこと無い」
「ふ~ん」
「で、どういう意味?」
「ええとええと~……人のことに行き過ぎた口出ししたり、かまったりする……みたいな……」
「英語で言うたら?」
「ええとええとええと~……干渉の単語は知らんけど、干渉せんといてっていうのは Leave me alone ちゃうかな?……」(自信少なし……)

で、旦那の好奇心はプクプクとふくらみ、この本を勧めてくれた超バイリンガル夫婦のSちゃん&C夫妻と、メールで干渉論議が始まりました。

でもね、でもね、わたしだってね、漫画の中のふたりのように、向かえ合わせにさんまの塩焼きなんかを食べててね、大根おろしだけ一方的にパクパク→完食、それから魚の身だけをパクパク、なんてふうに目の前で食べられちゃ~、黙っていられませんよ!実際、黙っていませんでしたけどね。

「あのさ~、その大根おろしはさ~、魚の身に乗っけて一緒に口の中に入れてくれませんかねえ~。そのためにガシガシすったんやからさ~」
(すでに、わたしが余計なお世話っぽいことを言い出したと感知し、思いっきり無視する旦那)
(それを見て見ぬふりして、もういっぺんまったくおんなじ言葉をくり返すわたし)

いきなり思いっきりの緊張感が漂う食卓……

「ちょっと、聞こえてる?」
「別にどういうふうに食べてもいいやん……」
「けど、そんな大根おろしだけ食べるんやったら、それって大根おろしっちゅうおかずになってまうやん」
「???……」
「その大根おろしは、焼き魚のための大根おろしなんやから、焼き魚と一緒に食べてよ!」
「食べてるやん!」
「別々やん!」
「お腹の中では一緒やん!」
「美味しないやん!」
「ボクには美味しい!」
きぃ~~!!


まあ、いろんなこだわりがそれぞれにあり、それにそぐわない事をしたり言ったりされた時、カッとしちゃいますよね。
でも、カッとするのはやっぱり身体にも心にも良くないし、周りの空気も汚すし、血だって濁っちゃいます。
なので、うちも、トニー&さおり家のように、『相手に干渉しすぎない』を肝に銘じて、日々をできるだけ楽しく過ごせるように努力しております。

ただ……これからしばらく流行るだろうなぁ~、『干渉』って言葉……。

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お好み焼きでいっとこか

2010年07月15日 | 家族とわたし
たま~に、薄い豚バラ肉をカリッカリに焼いたお好み焼きがめちゃくちゃ食べたくなる。
生地の中身はシンプルに、みじん切りしたキャベツ、ネギ、紅ショウガ、それと干しえび。かなり少なめの粉に人数分の卵と牛乳少々を入れて混ぜ混ぜ!

「今夜はお好み焼きやしな」と威勢良くご機嫌に言うと、
「……」どぇ~めっちゃ暗いし

「ボクは……お好み焼きっていう気分じゃない」
「なんでよ?」
「脂っこいし……」
「ほな、いつもより早い目に食べるんやったらどうよ?」
「まあ……」
「何時ぐらいやったらええん?」
「6時とか6時半とか」

結局その晩は、お互いが7時過ぎまで仕事だったので、お好み焼きはあきらめて、適当に軽い物を食べた。

次の日、再び挑戦。いっぺん食べたくなったら、どないしても食べたいのがお好み焼きなのだ!

「今日はわたし、仕事が4時に終わるねんけどそっちは?」
「6時半」
「じゃあ、お好み焼き作ってもいい?」
「う~ん……ボクが6時半に帰ってきてすぐに食べられるんやったら」
「大丈夫」
「あ、でも、半分しかいらんし」
はいはい、どうにでもお好きなようにしておくんなはれ。わたしはバッチリ1枚丸々食べるし。


理想を追い過ぎたらあかんのはわかってるけど、「今日はお好み焼きやで~」「お~ええなええな~」「カリカリに焼いた豚玉やで~」「お~ええなええな~」と、シンプルに会話が終了する男やったらどんなにええか……などと思ってしまう。

旦那は健康管理ということについては、自分にも他人にも真剣。どれだけいい眠りを得られるか。それがすべてにつながるので、眠りを妨げる可能性があることにピリピリと反応する。
眠る直前までのパソコン、脂っこい食事、または遅過ぎる時間帯の夕飯、プラクティカルな会話(いわゆる、この支払いは終わってるの?とか、軽く聞いても×)を、親の仇のように毛嫌いする。
もう20年近く一緒にいるので、たいがいのことは慣れたし、わたしも同化したことはいっぱいあるけど、たまに、この神経質さにイラっとくる。

6時半にすぐ食べられるように……と気を張っていたら、旦那からチャットが来た。
「あ、今日さ、ランチが遅かったから、6時半にはお腹が空かないと思う」
「で?」
「6時半に家には戻るけど、それから軽くストレッチしたり散歩したりするから、7時でいいし」
「はいはい」

かくして旦那は6時半に帰ってきた。が、台所でうろうろ、リビングでうろうろ、一向になにもしようとしない。
なんやねん?!どないやねん?!と、横目で様子を伺いながら焼き始めるタイミングを計るわたし。
すると……冷蔵庫を開けてビールを飲み出したではないか?!
むっかぁ~

健康オタクなくせに、欲望にコロリと弱い。なんか最悪ちゃうん?

ご希望通り半分に切った。わたしは丸々一枚食べたかったけど、なんか気疲れして焼く気が失せた。
「青のりはどこ?」
「あっ……切らしてるかも」
ごそごそとお多福ソースを探し出してきた旦那、ふと見ると、もう片方の手に黒いブツを持っている……。
「なにすんの?」
「え?青のり無いから」
「それ、焼き海苔やん」
「いっしょやん」
「ちゃうやん」
「海苔やん」

記念写真撮っといて、という旦那の要望に応えて。


「今日のは特別うまい!」

今頃褒めてもあかんわい!

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ふたりの師匠

2010年07月15日 | 音楽とわたし
わたしには、ふたりの師匠がいます。
ひとりは、8才からティーン過ぎまでの間、飽くなき探究心と忍耐力と情熱でもって、わたしのピアノの基礎を築き上げてくれた人。女性です。
もうひとりは、いろいろとあって大人になって、夢とピアノをスッパリあきらめたわたしがズブズブと入っていった川に、信じられないほどの忍耐力でもって橋をかけ、わたしをすくいあげてくれた人。男性です。

子供の頃の師匠T先生は、ついこの間、マンハッタン留学しているA子を訪問がてら、こちらにも訪ねてきてくれました。
巨大な会場で一緒にゴスペルを歌ったり、A子のアパートメント近くのリバーサイドパークを散歩したりしながら、いろんな話をしました。
彼女は、それはそれは素晴らしいピアノ教師であり、物事を明るい方向に捉えたり、人のいい所を見つけることの天才です。
彼女の家に電話をかけると、その時彼女がどんな気持ちでいようが、どんな体調であろうが、『本日は晴天なり!そして気分は爽快なり!』的な、それはもう気持ちのいい声が返ってきます。真似しようったってできないすごい明るさです。

「わたしね、自分で言うのもなんだけど、教え子の持つ潜在的な能力、性格や知能なんかを総合的に見抜いて、家庭環境などとも照らし合わせながら、その子供のどういう部分を伸ばしてあげられるか、それにはどうしたらいいか、そういうことが最近はおもしろいように、手に取るように見えてくるのよ」と、静かに、けれども熱く語ってくれた師匠。
彼女が、自分の経験のひとつひとつを無駄にせず、大事に保存したり、引き出しから出して再考したり研究したりしてきたことのご褒美だと思います。
「まうみちゃん、例えばさ、音の長さをどうやったらうまく教えることができると思う?」
「う~ん、いろいろやってみたけど、今は音符を木に例えて、木の本数を数えるのは木を見た時やけど、長さはその木と木の間で、だから、ふたつ伸ばしたい時は3本目の木まで数えた時に、指を鍵盤から離してごらんって感じかなあ」
「それだとややっこしくない?わかりにくいって思ってる子いない?」
「いるいる!」
「音符の長さはすごく抽象的だから、いっそのこと、定規とかを使って、本当の、目に見える長さで説明してあげてごらん?それで、その長さを指で辿っている間、お腹を使って息をふうーっと吐かせたりするといいよ。ほら、実感しやすいでしょ?」
目からウロコ……パラパラパラァ~!

「M子さん(←生意気にもわたしは、最近先生と呼ばずに名前で呼ばせていただいております)、お願いだから、そういういろんなノウハウを公開レッスンとか講演とかで、世の中にどんどん伝えていって欲しい!!真剣にそうして欲しい!!お願い!!」
「いや、でも、それがわたしにはできそうもないのよ」
「そこをなんとか!!」
「う~ん、多分だめ。しないと思う」
ううぅ~……わたしが彼女の近くに住んでたらなあ……もうガンガン長時間インタビューなり突撃レッスン見学なりを重ねて、一冊の本にしちゃうのにぃ~!きぃ~!


そうしてもうひと方、大人になってからの師匠から昨日、突如、「スカイプしよぉ~?」というお誘いがありました。
へ??スカイプとな??
彼のスカイプ名を聞き、急いで登録を済ませ、一日の疲れがドドッと出たまんまの顔でしたが、エイッとばかりにカメラの前に座りました。
おお懐かしやぁ~!Kちゃん!(さらに生意気さが増したわたし、ずいぶん前からH先生のことをKちゃんと呼ばせていただいております。おいおい)

「いやあ、全然お変わりなくて~(もう妖怪の域に達してるのではないかと……)お元気そうでなによりです!」
「まうみちゃん、ちょっと痩せた?」(うっふっふっ……これ、前に母とのスカイプでゲットした、暗めの照明でナニゲにちょっと痩せて見せる手を使いました)

いろいろと、彼のコンサートのこと、仕事のことなどを話しているうちに、彼がなんと67才であることがわかりました!見えねぇ~!!
「ぼくね、これからうんとピアノを弾いて、もっともっと成長していくよ。それが自分に与えられた使命だってわかったから」
67才というと、わたしの父が亡くなった年です。
父は亡くなる少し前に、試せることならなんでも試したいと、当時アメリカで開発された、癌に対する新しい細胞治療を受けられないものかと、わたしに聞いてきたことがありました。
父はその時すでにいろんな方法を試した後で、すでに身体が衰弱しきっていて、今さらこんな体調で長時間の飛行機など耐えられるわけがないと、したり顔で父を言い負かしてしまいました。
「もういい意味であきらめよう。もうあれこれと足掻くのはよそう。それより、どうしたら穏やかに、いい形で、残された日を過ごせるかを考えようよ」
父はそれっきり、二度と、新しい治療について懇願したり質問したりしなくなり、わたしはそれを勝手に、ああ、やっといい意味で踏ん切りをつけてくれた、などと思っていました。
父はその後、二週間ばかり経った寒い冬の、とても晴れた日の午後に、静かに、けれども最後まで生きたい気持ちを持ち続けたまま亡くなりました。
パソコンのモニターに映るH先生の若々しい顔を眺めているうちに、同い年でこの世から去らなければならなかった父の無念と執着心を、やっと理解できたような気がしました。
なんて酷い言葉を投げかけてしまったのでしょう。惨いことをする娘もいたもんです。
H先生と父は、同じ誕生日の同じ干支。丁度ひとまわり父より若いのです。
父は、生きている時から、自分のために翻弄された娘をなんとか救おうと、生き仏になってH先生にわたしを救って欲しいと念じたのでしょうか……。

もしかしたら、8月の上旬に、今度はH先生がアメリカに来てくださるかも、という話があがりました。
今年は師匠の年!
「いやあ、世界はほんと、すごいね。こんなふうにまうみちゃんとライブで、しかも顔を見ながら話せるようになるなんて思ってもいなかった。ああ楽しい!」
「ほんと、ありがたいです!ほんの10年前には考えてもみなかったことがどんどんできるようになって」
「ねえ、スカイプでレッスンしよっか?」
「げげっ!!」
いきなり脇の下にジワリと汗をかくようなことを最後に言って、師匠はニヤニヤしながら画面から消えていきました。

練習が全然できてないのにレッスンだとか、演奏会の本番だとかが迫っている夢を見そうだと心配でしたが、とりあえず無事に朝まで眠れたようです。やれやれ。


今日から晴れの日が続くという予報が出ました。久しぶりに追いかけっこして遊ぶちびっ子リスちゃん達。
穴を掘ってはカリカリ、また掘ってはカリカリ、追いかけっこの合間にカリカリ。かわいいけれどせわしぃ~!せわしいけどかわいぃ~!







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ちらし寿司悲話

2010年07月14日 | 家族とわたし
Tが言った。
「かあさん、知ってた?ちらし寿司に刺身が混ざってるのあんねんで?!」

きたか……こういう日がいつかやってくるとは思てたけど、とうとうきたか……。

「あんな、今日な、友達がちらし寿司頼んでん。ほんで、チラッと見たら、刺身乗っとってん!有り得へんし!」
Tよ、それがマコトのちらし寿司なんよ。今までだまし続けてた母を許しておくれ~よよよよぉ~

家族のため、自分のために働き続けて早30年。主婦歴も同じく30年。子供達がちっこい時は、仕事と家事と育児で精一杯だった。
そこにプラス、することはするけど最低限のことだけ&できるだけ安くお腹をいっぱいにできるもの=料理、というトホホな母親のわたし……料理のレパートリーも内容も、おのずから決まってくる。

お米を三合炊き、インスタントの素を混ぜたらいいだけのちらし寿司は、今日はどないしても時間が無い!気力も無い!という日にうってつけのメニュー。
普通はその素に、もうちょっとなんだかんだと工夫したり、多分刺身とかを足したりするのだろうけど、わたしはいつも錦糸卵だけ。お客さんに出す時は、さすがに海老の甘煮を足したりしたけど……そんなのはよほどの特別なことなので記憶には無いのだろう。

「いや、実は、ちらし寿司っていうのは、刺身のネタが散らされてるからちらし寿司って言うねん(息子と目を合わさずにボソボソと言う母)」
「え?マジ?そうなん?いやぁ~、オレ、ずっとちらし寿司ってうちのちらし寿司みたいなやつかと思とった!」

許しておくれぇ~我が子よぉ~

というわけで、母は心に誓いました。この夏、本物のちらし寿司を食べさせようと。

でも、よかった……友人と行った先で発覚して……。

だって、もし、Tに日本人のガールフレンドができて、
そのガールフレンドの家に遊びに行かせてもらうことになって、
そこで、「じゃあT君、せっかくだから晩ご飯食べていらっしゃいよ」ってなことを言ってもらって、
その食卓に、こともあろうに本物のちらし寿司が出てきて、
それを見たTが、「これはなんという食べ物ですか?」などとアホな質問をして、
「あらあらT君、アメリカ生活が長過ぎちゃったのかしら。ほほほ、ちらし寿司ですよ」ってな答が返ってきて、
「えぇ~?!ちらし寿司にこんなお刺身が入ってましたっけ~?」などとスットボケタことを再び聞いたりして、
へ?と、周りに居る皆さんのひんしゅくを買うようなことにならずに済んだ。

さて、どんなちらし寿司を作ってあげようか。これはお勧め!というちらし寿司レシピをいろいろと調べてみよう!



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雨降りの合間に

2010年07月13日 | ひとりごと
うちの後ろ側の庭は、大げさな例えではなく、正真正銘のジャングルです。
そこにじゃあじゃあと雨が降ると、ほんとにジャングルの真ん中に家を建てて暮らしているような気がしたりします。
まさに『大草原の小さな家』のジャングル版。『野生の動物が、安心して住んでいられる土地が好き』な大草原一家のとうさんと同じく、うちの旦那もやはり、このジャングル風庭がかなり気に入っています。
まあ、わたしも子供の頃、木のツルにしがみついて『ターザン遊び』をしていたぐらいなので、嫌いな方ではありませんが……。

雨がひとしきり降った後、急に日が射してきた庭には、いつもより増して、どこからか、いろんな鳥がやって来ます。
濡れた羽根を繕っている鳥さん。頭のてっぺんが焦げ茶色の渋い色調。


背中に白い点々が可愛い、これも名無しの鳥さん。


と……あそこの奥に見えるボニョボニョとした陰はなんじゃ?慌ててズームズーム!あぁ~っ!メタボオヤジ出現!


ひょえ~!!わたしの愛するハーブをムシャムシャ、美味しそ~に食べているじゃあ~りませんか!
「おらぁ~!あんたに食べてもらお思て育ててるんちゃうわいっ!
わたしとオヤジの距離はすごく離れているのだけど、きっとわたしのメラメラと燃える怒りがレンズからレーザー光線のごとく彼に届いたのでしょう。
あ、やべっ!見っかった!殺気を感じたのでしょうか、オヤジ、こっちを直視しております。


確かめに行くと、パセリの葉っぱだけが全部跡形も無く消えていました。お~の~れ~、グランドホーグ!いくら庭の主だといえど、無断で食うなぁ~!
まあでも、「あんたの育ててるパセリ、めちゃうまそうやん。ちょっと食べさしてぇ~な」などと言われても、「ハイハイどうぞ」とは言いませんけどね。
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世界には、知らないことが多過ぎる

2010年07月13日 | 世界とわたし
今日の昼過ぎから降り始めた雨は、強くなったり弱くなったり、けれどもずっと降り続いています。
湿気が高く、とてもじめじめとしていて、そんな中、エアコンが壊れた中、ピラテスのクラスを受けてきました。
いつもの3倍は汗をかいて、なんとなく得した気分です。

最近、ネット新聞で、こんな記事を見つけました。
キューバにおける、医療教育の取り組みと実績のリポートです。
アメリカに暮らしていると、キューバはなんとなく印象が良く無い国に思えてしまって、オバマ政権になってからは、それも徐々に改善されてきているようですが、細かい部分までは伝えられていないのでとてもグレーな世界のままなのです。
だから、余計にこの記事がわたしの心に引っかかりました。そして読み進めるうちに、なんとわたしには知らないことが多いことよ……と唖然としたり感心したり、いろんな感情が押し寄せてきました。

ここに遊びに来てくださるみなさんの中には、そんなこととっくに知ってるよ、と思われる方もいらっしゃると思いますが……。
素晴らしい取り組みが、キューバという国で為されていることをどうしてもお伝えしたかったので。



『キューバの小中学校の朝礼では、生徒に声を合わせて「セレーモス・チェ!」と言わせるのだそうだ。
その意味は「チェ・ゲバラのように社会に貢献し、勇敢で偉大な人になる!」ということだが、医者であったゲバラは貧しい人々に医療を施すことによって社会を根底から明るくした。
その意志はその後、カストロ氏によって引き継がれ、キューバの精神にまでなった。

折からの激しい豪雨となった29日の午後、キューバの高度医療を支えるもう一人の『ESCUELA LATINOAMERICANADE MEDICINA』(ラテンアメリカ医科大学)の学長・フアン・カリーソ・エステベス氏にも話しを伺うことが出来た。

同医科大学は1998年、「ラテンアメリカ5カ国の生活/医療の向上」を狙うカストロ議長の提案により開校し、現在では周辺諸国から多くの学生を集めながら、キューバが世界101カ国、30万人にも及ぶ国外医療派遣を行なうための基盤ともなる学校にまで成長を遂げ、世界から注目される医療の専門大学となっている。


★以下は、その医科大学のユアン学長に聞いた驚くべき学校の医療教育への取り組みと実績である。

◎現在のところ、生徒の実数は約10000人。現キャンパスには3300人の学生達がいる。課程は6年制で、3年になると他の大学や病院に行っての教育実習制度になっている。

◎1998年の開校後12年が経った現在、卒業生の数は7300人(内、アメリカ人は33人)。ほとんどが貧しい家庭の出身で卒業すると皆、カリブ海の小さな島や母国の無医村や僻地に赴任する。

◎大地震で問題となったハイチには、学校からは一番乗りで医師を送り込み、今もなお150人の医師が派遣されている。「医者は困っている人を助けるのが仕事なのだ」と言う事を常に生徒には叩き込んでいる。

◎教育内容には全部で57もの専門学科があるが、メインはやはり医療全般をカバーする「ゼネラル」学科。3年生になる以前でも、夏休み(7月24日~8月31日)になると、全員が各国の僻地/無医村地域を訪問し医療ボランティアを行なっている。

◎6年間の学費は、食事、衣服、履物、宿舎のシーツに至るまで総てを国が負担。入学者は各国からの推薦の形で来校し、最初は6ヶ月間のトレーニング。その後に入学試験を行い約8割が合格。落ちたら帰国。6年間の課程を無事修了して卒業に至る生徒は全体のおよそ75~77%。卒業出来ない者は留年して次に賭ける。

◎教師は17000人のキューバ人だが、カストロ氏のコンセプトは「キューバだけではなく、学校の運営は周辺諸国と共に協調してやっていく」ことが目標。

◎医療のニーズは総てのカテゴリー(科目)だが、肝心なことは「医療のシステム化」と「予防医療」が特に大切と考え、これに取り組んでいる。


★キューバの街中にはほとんど救急車の姿が見えない。その理由を聞いてみたところ……、

◎キューバ国内の医師は総体で64000人。国民の156人に一人の医師の割合で「家庭医の制度」を作って「予防医療」に当たっているので、ほとんど救急車の必要性が起らない。(歯医者さんは900人に一人の割合)

◎NGO活動は、これまで30万人(医者と看護師)の医師団が101カ国に国外支援に出向き、今現在は26000人が70カ国に分散して支援活動(2年交代)を行っている。また、タンザニアやイエメンなど4カ国の大学では、キューバの医師の派遣によって医学部を作っている。

◎キューバの医療に向ける国家予算は何と全予算の30~35%(関連予算)で、内16%が実質的医療予算である。政策の中心が医療であり、医療が政策の基盤となっている。


★以上のように、医療が国策と外交手腕の中心となっているキューバの徹底した医科大学の運営ぶりに、ただただ驚くばかりだった』


という記事でした。
もちろん、その国の在り方、主義などの違いによって、実現の可能、不可能があるとは思いますが、この世にこういう医科大が存在するということ自体が、わたしには驚きなのでした。
特に、このアメリカに暮らしていると……うらやまし過ぎます……
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肉のカーテン悲話

2010年07月12日 | ひとりごと
わたしは見てしまった
というより、視界に入ってきた
それは、なにに例えたらいいだろう
なにかしっかりした物に包まれた上質のゼリー
いや、違う、ただの皮に覆われたただの脂肪のカタマリだ

それが、見事に、まるで合成画像のように、ぷるんぷるんと左右に大きく揺れた。

ボクシングオタクのTが(大学では実際にボクシング倶楽部に入っていた)、冗談混じりによく、わたしの背中や腕に向かってパンチを食らわす構えをする。
たとえその手がまっすぐに伸びても、ほとんど当たらないし、届いたとしてもかする程度だ。当たり前だけど……。
それが昨日は……たまたまに距離を間違えたか、すすいだ食器を食器立てに置こうと伸ばしたわたしの二の腕に軽くパンチが入った。
指先が食器を掴んでいても、肩から肘にかけて見事に弛緩しているわたしの腕の肉、いや、絶え間なく緩んでいるとも言えるあの部分に……。
そしてその、実際に「ぷるんぷるん」という音が聞こえてきそうなぐらいの、芸術的とも言える『ぷるんぷるん振動』が、ものの見事に発生したのである。

一瞬の静寂の後、わたしは濡れた手のままTを追いかけゲンコツをかまし、Tは「ごめんごめん!」と言いながら大笑い。
「けど、Bはなんで笑わんかったん?ボク、てっきりBも笑てる思て顔みたけど笑てなかったし……なんで?」
「いや……もごもごもご……」
あんたら、ふたりとも退場~!!


わたしの息子は、ふたりとも、旦那に言わせると、母親をとっても愛しているそうだ。
そして、日本人男子特有の照れもあって、ほんとは触りたいのに、ほんとは抱きしめたいのに、それがどうしてもできなくて、それが二の腕攻撃に変格活用(わたしの息子は『あのねのね』か!)する、というのが旦那の持論。
Kが小学生の頃、わたしの二の腕に指が届くようになってからというもの、一緒に歩くと必ず、わたしの二の腕の柔らかい部分をつまんだ。
ちょっとつまむのではなく、ずっと……。まるで、迷子になるのを心配するあまり、母親のブラウスやスカートの端を握る子供のように……。
そんなのを後ろから歩く人に見られたらかっこ悪いので、やめなさい!と言うとサッと手を引っ込めるが、すぐにまたつまんでいた。
TはそんなKを、ニヤニヤしたり、時にはちょっと羨ましがったりしながら見ているだけだった。
彼は決してそういうことはしない。やっていい事と悪い事をちゃんとわきまえている長男くんなのだから。
なのに……高校を卒業して、親元から遠く離れた大学に通い出し、何年か経った帰省中のこと、いつもと違うつまみ方だと後ろをヒョイと振り向くと……、
てぃ、Tぃ~!!!お~ま~え~も~かぁ~!!!

……という歴史があって、今に至っているわけだけど、ますます掴みやすく掴み心地も良くなったわたしの二の腕は、まるでKとTのペットのように愛されているわけで……もうこの際、それを喜んだ方がいい、というのは旦那の意見……いや、そこまではまだ落ちたくない……。

わたしだっていろいろやってはみた。ダンベル体操に腕立て伏せ、怪しいストレッチなどなど……でも、長続きしない。
YMCAのマシーンだって使ってみた。けど、ひとりでやってる時に使い方を間違えて、半年ばかり痛くて大変だった。
まあ、この肉も役立つことはある。ピアノの音がなかなかによろしい。自然にかかる重みと柔軟さ。
ただ、弾いている時の震えはただ事ではないので、それを見て目眩を起こされても困る……なので、腕丸出しのすてきなドレスは着られない。
それが少々残念ではある……。

う~ん……それにしてもあの『ぷるんぷるん』、かなり衝撃的な動画だった。
Tを追いかけたりしながら、そしてゲンコツをかましたりしながら、心の奥ではカッコ悪ぅ~と自分で自分に言っていた。
今年の夏は、物心ついてから後、二の腕のぶっとさを気にし出してから以降、初めて腕を丸出しにしている。
隠してばかりいると、自分だって忘れてしまい、なんとかしようという気持ちがまた萎える。そう思ったからだ。
見るたびに、立派やな~……とため息が出るけど、出したままにしてなかったらきっと、あの一瞬は無かったのだ。だから、これでいいのだ

今日から、パソコンの前に座って何かを読んでいるだけの時は必ず、ダンベルで二の腕体操をすることにした。
ちゃんと周りのサイズも計った。毎月一回計って、グラフにしていくつもり。
わたしはかなり本気です

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ライバルはタコ

2010年07月11日 | 世界とわたし
W杯、終わりましたね。
オランダもスペインも、さすが、決勝までに勝ち進んできたチームですね、素晴らしいプレーを魅せてくれました。
まあ、優勝という大きなタイトルがかかっていただけに、かなりアグレッシブなプレーもたくさん見られましたけど……。

今日は旦那は保険会社が主催するセミナーに参加。朝の8時から夕方の5時まで、彼の一番苦手な箱詰め状態。
昨夜は食べ過ぎ、飲み過ぎ、カフェインのとり過ぎのトリプルパンチで、明け方までちゃんと眠れないままだったので、最後までもつかどうか、本人も心配だったでしょうけれど、わたしもかなり案じておりました。
Kは友達の女の子の誕生日祝いパーティに出かけ、Tは会社の仕事の続きをしなければならないので家に居残り。

なので、今日の決勝戦は、前半がわたしひとり、後半からTとふたりで、テレビの前でドキドキしながら観戦しました。

スペインが勝って、「これでパウロ君は百発百中やったね」とわたしが言うと、「ボクだって百発百中やった」とT。
「ほんまかいな」
「ほんまや!」
「終わってからやったらなんとでも言える」
「ほんまやっちゅうのに!」
「誰かと賭けてたん?」
「賭けてへん。賭けても大した儲けにはならんかったと思うで」
「けど、やっぱりあのタコはすごい!」
「あんなん偶然やし」
「偶然が8回も続くか?」
「偶然は続く時は何回でも続く」
「そういう時、人はそれを偶然とは言わんのとちゃうん?」
「とにかく、ボクも全部当てた」
「さすがタコ!」

Tは小学生の頃、『タコ』というあだ名で呼ばれていました。主にKに。名前の音からか、それともタコにどこかしら似ていたり共通することがあったのか……、
いずれにしても、Tは『タコ』と呼ばれることを非常に嫌がっていました。
口にしてしまってから、あ、やべっ!と思いましたが、さすが、大人になりました。あっさりスルー。

パウロ君、ドイツ国民の怒りや謝罪や感謝を一身に受けることになってしまって、本当に大変でしたね。
君は2才。人間の年に換算するともう82才。立派なおじいさんです。
寿命が3年だと聞きました。次回のブラジル大会には、君はもうこの世に居ないのかな?
違う角度からも、今回の大会を楽しませてくれた君に感謝!ありがとう!しっかり休んでね。





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