ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

104度?!

2010年07月05日 | 友達とわたし
見るからに暑苦しい気温です。摂氏に換算すると丁度40℃?!今日は本当に暑いです。
でもまあ、レンガの家なので、一階だけはクーラーも扇風機も無しで過ごせます。ありがたいです。

独立記念日を挟んだ連休の最後の今日、旦那の友人Tがニューヨーク州から遊びに来ました。
彼の家族(奥さんとふたりの小さな娘ちゃん達)はただ今日本に里帰り中で、今月の20日まで一人暮らしです。
彼と旦那と三人でパターソンまで行き、軽くランチを食べてから、フェイバリットマーケットのイタリアンマーケットで野菜と果物を買って帰りました。

わたしはそれで今日は終わり。あとは太陽の光と熱に酔っぱらっている草花にお水をたっぷりあげて、本を読んで、ピアノの練習をして夕飯を作る。
つい最近、ホールフーズで見つけた干し椎茸。肉厚の丸い干し椎茸が10枚も入ってたったの1ドルちょっと?!
干し椎茸大好き女のわたしにはとっても嬉しい、アメリカンの勘違い価格!


今夜は、その干し椎茸を贅沢に使い、我が家の常備おかずのひじきの七目煮をまた作るので、Tにも少しお裾分けしましょう。
彼は旦那よりさらに6才年下なので、わたしにとっちゃなんというか、息子に近い感じなのです。
「ニュージャージーの海にはまだ一度も行ったことがない」、と言いながら、旦那と一緒に、タオルをいっぱい持って、海に出かけて行きました。

連休と海の行楽帰りの渋滞に巻き込まれませんように。
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米国独立記念日花火大会事情

2010年07月04日 | 米国○○事情
A子のお誘いはまるで、「あんたらもこっちに来て十周年の年なんやから、今年ぐらい地元の花火で済まさんと、特別にメイシーズの花火でも観に行ったらええやん」と、わたし達の背中を押す神さんの手のようでした。

旦那は急きょ、どこに出かけるのが一番無難で、それなりに良く観えて、行き帰りの混雑をできるだけ避けることができるかを必死で調べました。
わたしは腹ごしらえ用に、黒米ともちきびと玄米を少々混ぜたご飯に、梅干しと椎茸昆布を入れたおにぎりをせっせせっせと握りました。
お水とおにぎりとおやつをリュックに詰め込み、電車でうちまでやって来てくれたA子と旦那、それから息子Tとわたしの4人で、再び電車に乗ってホーボーケンまで行きました。
ホーボーケンは我々がいつも利用するマンハッタン直通線とはまた別の線のマンハッタンのひとつ手前の駅で、ここからはバスと電車とフェリーが乗れます。
その駅前の広場の前に立ち、わたしは「あっ!」と声を上げました。
そこはまさしく、同時多発テロが起こった日に、マンハッタンからフェリーで着いたわたし達が、なんの説明も無しに、黙々と、けれども有無を言わせない態度と異常なほどの丁寧さでもって、頭の先から足の先まで、着の身着のままで洗われた場所だったのでした。
無言を貫く政府機関の人達、FBIの捜査官、医者と看護士、そして異様に大きな3基のテントとサーチライト。あの光景は一生忘れないでしょう。
ガタガタと全身を細かく震わせながら冷房の効いた電車に乗った、あの日のずぶ濡れの自分を思い出しながら呆然としていると、
「ホーボーケンってさ、なんかラーメン屋さんみたいな名前だね」とA子。そういやそうだ!うまいぞA子!

駅から出てすぐの所に大きな公園があります。そこは対岸のマンハッタンのビル街を楽しむ人達でにぎわう所です。
今回我々は、この公園から見学してみようじゃないか、ということにしたのです。


まだまだ明るくて、人もそんなに多くはいません。そりゃそうだ。まだ6時にもなっていないのだもの。
気合いの入ったわたし達は、今夜は3時間半待ちを覚悟で、ここにやって来たのでした。

それでも見物のボートが続々と集まってきました。


あ!あれに見えるはメイシーズのロゴ入りボート!きっとあの船から花火を上げるのでしょう!う~ん、早くもドキドキわくわく!


いきなり空に国旗がひらひらと……、


な~んだ、引っ張ってもらっておりました。独立記念日だもんね~。米国万歳!


思っていたよりも北のジョージ・ワシントン・ブリッジの方に、船はどんどん進んで行きます。おぉ~い、そんなに遠くに行かないで~!


ようやく日が落ちてきました。花火を上げる場所近くでは、放水のショーが始まりました。青と白と赤の色がついています。写真は難しい……。


きれいな放射状の夕焼け雲。この屋根の下で、花火が始まる直前まで、カラオケ出張ショーのおじさんが、フランク・シナトラのレパートリーを歌っておりました。フランクはホーボーケン出身なのだそうです。声が少~し似ていました。


沿岸警備隊に注意される、無許可でやってきた個人ボートの持ち主さん達。


花火を上げる現場にも夕焼け。


人もかなり集まってきました。我々はとても早くから来ていたので、高台の、障害物の無い芝生の上の、しかも端っこに陣取ることができたので余裕です。
でも、この場所探しの時に、旦那と我々日本人組の小さな衝突がありました。
まだ花火が始まるまでに3時間以上もあるので公園の敷地は空きだらけ。なので、できるだけいい場所を確保しておこうとA子とわたしは真剣に探しているのに、旦那は「まずはバーにでも行って、腹ごしらえをしよう!」と、場所のことなんかまるで眼中に無しの様子。おまけに、「混んでるとこに入っていくのは失礼」などと言って嫌がります。そやけど、ええ場所やから混むねん!と心の中で文句タラタラのわたし。
早めに現場に着く、ということに対する目的の違い、というものをまざまざと見た瞬間なのでありました。
こんなに広いんやから、45分ぐらい他のことしても、どこからかは見えるやん。by 旦那
せっかく早く来て、ええとこいっぱい空いてるから、そこに陣取って死守したい。by A子&まうみ&多分T
みんなで一緒に行きたいという旦那を説得して、まずは男ふたりが、後で女ふたりが席を外す、ということにして、足をブランブランさせながら座っているけれど、立っている人の頭よりふたつ上から観られる公園内の高台の端っこを確保。


エンパイア・ステートビルディングも独立記念日を祝って国旗色。


南側のビル街も夕暮れの中に。


花火が始まりました!Tが撮ってくれた写真です。花火の色に染まる川面がきれい!なかなかの腕前です!(←親バカ丸出し)


いっぱいいっぱい上げて、楽しませてくれた船。ありがとう~!


公園の一角にある噴水で盛り上がる韓国人の若者達。


それを、まったくもう、君達は若いなあ……と見守る旦那。今日の彼のテーマは『火』!なかなかシブいです。


花火はきっちり30分で終了。それはそれはきれいな花火でした。スマイルの花火も可愛くて大ウケ!
ただ、花火は10時に終わったというのに、帰りの電車が普段通りの11時8分まで無くて……アメリカンだわ~こんな特別な日も。
絞りたての生レモネードを買って、公園のベンチに戻り、ゆっくりと飲みながら待ちました。
人がどんどん集まってきてからは、風もピタリと止み、人の熱気で蒸し暑さ倍増。こちらの駅は普通の駅も地下鉄の駅も冷房が無いのでたまりません。
電車の冷えた車内の空気が気持ち良かったことったら!
電車はもちろん満杯。盛り上がった若者達が、突然国家や国を讃える歌をメドレーで歌い出し、それに便乗して他の乗客も歌い出し、車内は大合唱。
みんなで笑ったり歌ったり拍手したり、独立を祝うわたし達の歌声を夜の線路に響かせながら、電車は走って行きました。

おめでとうアメリカ!これからもまた、くじけずに、まずはどんなことでも楽しもうとする精神をモットーに頑張ろう!


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十回目の独立記念日

2010年07月04日 | ひとりごと
昨日のレストランで『八海山』をコップ一杯グビッと飲み、すっかりいい気分になった勢いで、緑茶とグリーンティーアイスクリームをダブルでいただきました。
そこに『FELA』のショーの興奮も相まって、昨夜は目がパチンパチンに冴えて、4時ぐらいまで眠れませんでした。自業自得とはこのことですね。

なので、今朝は寝坊して、ブランチにこれをいただいております。
早起きした旦那が近所のパン屋さんで買ってきてくれたコーヒーケーキと、旦那が入れてくれたアイスコーヒー。ありがたいです。


玄関ポーチは陰になっていて、涼しい風が吹いているので、28℃でもそれなりに涼しく、すぐ横にこんな景色もあって、なかなかに心地良いのです。


けれども、花壇の草花は早くもへたっておりました。慌ててお水をやり、特にこの方、河童の傘は、もぅ~あかん~と四方八方地面にぶっ倒れていたので、


鉢に移し替えて、ここで少し休養をとらせることにしました。ごめんよ~、気がつかなくて。


今日はのんびりゆっくり、日が陰ってきたら海辺にでも行って、家族で独立記念日をお祝いしようか?などと旦那と話していたら、
『今日、花火はどこを見る事にしたの?メイシーズのでかいヤツ見に来ませんか?おそ過ぎ?』という、A子からのメールが入っていました。
そういやわたし達、ここに来て10年にもなるのに、例のメイシーズのでかいヤツを観たことがなかった……。
ということで、今年はA子も居ることだし、彼女の勢いを拝借して、一緒にニュージャージー側から見物することにしました。
なんぼなんでも、この日、マンハッタンに侵入するほどのエネルギーと気力はござんせん。なので、彼女にまず家まで来てもらい、軽くピクニックの用意をしてここから皆で出かけます。
さて、無事に岸まで辿り着けますかどうか……。
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FELAでナイト!

2010年07月03日 | 音楽とわたし
朝からひとり生徒を教え、ドイツとアルゼンチンの試合を観た。
あんなふうに一方的に決着がつくなんて思いもしてなかったのでびっくり!
ドイツが最初っから最後までリラックスしてるふうに見えたのが印象的だった。

エアコンをかなりの予定時間を延長して取り付け、シャワーにも入らずに、暑いマンハッタンの街に出かけた。
旦那の両親が、用事でマンハッタンに出て来ていて、旦那が前々から観たいと言っていた『FELA』のショーを観に行こうと誘ってくれた。

やっぱりマンハッタンの方が2~3℃暑い。空は雲ひとつない豪快っ晴れ!ひとつぐらいわたし達の頭の上に浮かんでくれぇ~い!


丁度、パラグアイとスペインの試合が始まったところだった。見逃してなるものか!それぇ~い!


中はすっかり熱気ムンムン。スペインを応援する人がほとんど。わたしはもちろんパラグアイ。
朝からろくすっぽ食べてなかったので、とりあえずグァカモリとチップスをいただく。


またまた延長戦か?!と思ったけれど、惜しい~パラグアイ。あんな時間に点を入れられちゃったらどうにもならんよね~。
でも、どちらも互いに、とてもドラマティックなペナルティキックを一本ずつ打てたし、それが無くても素晴らしい試合だったと思う。

こんなクソ暑い日に、こういうバスが満員の観光客を乗せて、何台も走っていた。


旦那が鍼灸学校の学生時代の半分を、ここでバイトしてくれた。モーガンスタンリーの巨大ビルディング。


タイムズスクエアはやっぱり、夜に来る所です。


いつかきっと、終わるまでに観に来たい!デンゼル・ワシントンが主演しているブロードウェイ。


週末恒例の市。


ロックフェラー・センター前に現れた、レゴで作ったニューヨークシティのシンボル、赤いりんご。


セイント・パトリック聖堂もなんだか暑そうな感じ。


ビルに映ったビルが暑い空気に揺れてきれいだったので。


ぶらぶらと散歩しながら時間を過ごし、待ち合わせの日本レストランに到着。めちゃくちゃ真剣にお酒を選んでいる父と息子。


ミュージカル『FELA』!


FELAのことを少し。ある方のブログから抜粋させていただきました。無断でごめんなさい!

Fela Kuti (1938-1997)
ブラック・プレジデントと呼ばれたフェラ。
父は牧師であり、教師であり、ミュージシャン。
母は世界的に有名なフェミニスト・リーダー。

ナイジェリアで育ち、1963年ロンドンの音楽大学を卒業。
留学中の黒人差別が彼の音楽に大きな影響を及ぼす。

1968年、自身の音楽を「アフロビート」と定義。
しかしこの頃の音楽活動はあまり上手く行かず、
ここでも黒人差別に直面し、政治や差別について学び始める。

70年代から政治的メッセージを込めた彼の音楽は
凄まじい影響力を持つようになり、
何度となく警察の自演により逮捕されている。

自宅の周りを有刺鉄線で囲い
「カラクタ共和国」と名付けて国家と対立。
1000人の軍隊により最終的に破壊され、母親も殺害されてしまう。

"Music is a Weapon"のタイトル通り、
警察の不当な扱いを揶揄した実体験に基づく歌「Expensive Shit」「Zumbie」など、
世の中にメッセージを流し続けた。

97年、エイズの合併症で他界。
葬儀には100万人近い人が参列したという。
現在は息子のFemi Kutiが彼の音楽活動を受け継いでいる。


泣き笑いして、ダンスを一緒に踊ったり歌ったり、もうそれはそれは素晴らしいミュージカルだった。桁違いにパワフルなアフロビートに感動!
ほんの少しだけど、ユーチューブで見つけたので。
FELA! on Broadway: Revolution


もうひとつ。実はこの舞台のバンドメンバーの中に、ひとりだけ、日本人のパーカッショニストがいた!タケマサヨシヒロという名前だった。
彼はコンガを勉強したくて本場キューバで特訓したらしい。それから小さなギグをあちこちでやりつつこの晴れの舞台まで至ったそう。
素晴らしい!演奏も見た感じもとても地味なんだけど、同じ日本人としてなんだか嬉しい!1分38~9秒のあたりに瞬間映る彼をぜひ観て欲しい!
FELA! on Broadway Sneak Peek: "Yellow Fever"



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米国窓用エアコン事情

2010年07月03日 | 米国○○事情
今年の夏は暑い!暑い時はすこぶる暑い!じっと耐え忍ぶと、数日から一週間後には、いつもの高原風の夏になる。
が、一息つきながら、「やっぱこれがここの夏だよね~」などといい気になり出す頃に、突如また、予報通りに戻っていらっしゃる。
今日から再びの熱波。気温は30℃を軽く超え、今もまだ23℃に留まっている。夜明け頃には12℃まで下がるらしいけれど……。

そこで、とうとうのとうとう、旦那が新しい窓用エアコンを買った。
わたし達の寝室はあまり大きく無くて、北側と東側に窓があるにもかかわらず、なぜだか風通りが悪くて空気が澱んでいる。
なので、こういう熱帯夜(日本の熱帯夜と比べたらヒヨコちゃんみたいなもんだけど)になると、とんでもなく寝苦しい。
ここに引っ越す時に、おっきな家に引っ越すんだからと、かなりの年代物だったけれど、移動のできるポータブルエアコンを安くで買った。
それを寝室で使おうと思っていたのだけれど、とても大事なことを忘れていた。アメリカの電気器具はうるさい!ということを。
機械が音をたてないと、ちゃんと働いている気がしない。という、ブラックジョークなようなことを真顔で言うお年寄りがいるくらい、アメリカンは音に無頓着だった。どうして過去形で言うかというと、最近になってようやく、洗濯乾燥機、掃除機、食器洗い乾燥機、扇風機、そしてエアコンなどが、静かに働いてくれないものか、と願う人が増えてきたからだ。
とにかく、そのポータブルエアコンは生粋のアメリカンでうるさくて、とてもじゃないけど、音が気になるわたしが眠れる部屋ではない。
旦那は、光は気になるけれど音はとりあえず平気。隣で学生がパーティしてようがグウグウ、扇風機がガーガー唸ってようがグウグウなのだ。
それで、こういう熱帯夜には、わたしはさっさと一階のお客部屋に避難して、そこで優雅に独り寝をさせていただく。
旦那はそれがどうも気に入らない。
ということで、今までわたし達が買っていたような、アメリカで最も安い!ブツではなく、ちょっとだけ高めの、けれども限りなく静かに冷やしてくれる窓用エアコンを探し求めて、旦那はあちこちの店を回った。

「あんたの予算で一番静かねえ……それじゃ~これだな!」と、店主の一押しはこれ。


聞いたことない会社やん……けど、かなり自信持って言うてた……ま、つけてみてあかんかったら返そ。
というわけで、箱から出して部品を点検した。


どの窓につけるかはすでに決定。万が一エアコンが落下しても良さそうな所。


窓用を設置する時の一番の問題は、大の大人がふたりで持ち上げなくてはならないほどに重いエアコンを(どうしてこっちの電気器具はいつも不必要に重いのだろう?)、前のパネル部分の上部を窓の桟にひっかけるだけで、後のモーターなどがついている重い方のほとんどを外側に出すので、とにもかくにも、少しでも安定させるため、エアコンと触れる部分を平な状態にしなければならないということ。
さて、この微妙~な段差をどうするべきか……おまけに、煉瓦が少し斜めだし……。いや~な予感がする……。

 
備品を使ってみたけれど高さが合わず、それならなにか間に合う物をと家中探して集めたのがこれ。
怪しいピンクと青のスポンジは、旦那が昔、マンハッタンのオフィスで合気道を教えていた時に使っていたマットのつなぎの部分。懐かしい!


結局、あ~だこ~だと、半ば喧嘩しながら試行錯誤を重ねた結果、とりあえず本体を置いて窓の枠にしっかりと挟んだ。
左右の隙間をカバーする蛇腹をネジでつけるような気がするが、説明書には全くなにも指示が無く、どのネジを使うかも不明。試しに3種類すべてのネジを入れてみたけれど、どれも合わない。あ~アメリカン!力づくで入れたら半分ぐらい入ったので、もうそれで良しとした。


戦い済んで日が暮れてぇ~。


とりあえず設置終了。作動させてみたら、なるほど、これまでのどこのエアコンより静かに働いてくれる。もちろん、それでもまだまだ、日本のそれとは比べもんにならないけれど……まあ、上を見てもキリが無い。これを身の丈に合った静かさだと思うことにしよう。





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KY談義

2010年07月02日 | ひとりごと
最近、なにかというと、まるで友達のように「トニーは」とか「トニーやったら」とか言う旦那。
(注)トニーさんは『ダーリンは外国人』の漫画の主人公さんです。
最初のうちは、トニーなんていう名前の知り合いおったかいな?……と、焦って顔を思い出そうとしたりした。
旦那の頭の中では、今やトニーは大流行り。なにかと勝手に自分と彼を比べている様子。

今朝も彼の名前が出た。話の流れで、わたしがふと「それはKYやな」と言うと、「KYってなに?」とすかさず聞き返された。
「え?KY知らんかった?」
「知らん」
「そんな~、KYキングのあなたが……」とここまで言って後悔した。後悔先に立たず……。
いつ頃から流行ってたのか、どういう意味か、ひとしきり説明させられた。すると、
「なんでボクがKYキングなわけ?」
「いや、なんちゅうかほれ、周りのノリからよう外れてることあるやん」
「言っとくけど、ボクは断固としてKYとちゃうで。空気は読んでるけど、合わせへんだけ!」
はぁ~?

いや待てよ。旦那が言うてることは正しい。確かに、空気を読んではいる。けど、辛抱とか合わせるとかいうのが思いっきり苦手な上に、『イマ、ボクハ、トッテモタイクツデス』とか、『ドォ~シテソンナ、アホラシイコトデ、エンエントハナシヲツヅケラレルノカ』とかいう字幕がおでこやほっぺたの周りにこつ然と現れる男だからである。

今夜は久しぶりに、旦那とふたりで、歩いて行けるベルギー風カジュアルバーで夕飯を食べた。
ベルギーのビールとムール貝と野菜サラダ、それからムール貝にくっついてくるフライドポテトだけでお腹がいっぱいになった。
そろそろ終わりという時に、店から出ていく客を見た旦那が「あっ!ケンッ!」と言って追っかけて行った。
旦那のオフィスと同じビルで『Forgiveness』(許すこと)というセラピーを行っているセラピストのケンだった。
彼は確か、ここから車で30分ほど離れた町で住んでいたと記憶しているが、彼の話を聞いていると、週に一回はここに来て飲んでいるようだ。
なのですっかり馴染みになっていて、「この店は働いている人達もとてもアットホームで優しくて、食べ物だって美味しくて安くはないけど高くはない」とかなりの褒め様。ふむ……なにか解せない。

彼と別れて店を出た。
「あのさ、もううすうすわかってるとは思うけど、彼、離婚してん」
え?離婚って……30年は連れ添っているはずやろに……。
う~ん……彼はいったい、パートナーである奥さんにとって、どんなふうにKYだったのだろう。
許すことをテーマにあちこちで講演したり本を書いたりしている、そのことのエキスパートの彼も、実生活ではなかなかうまくいかないことがあったのだろうか。
これは全くのステレオタイプの想像だけど、「わたしはあなたの患者じゃないわっ!」とヒステリックに叫ぶ奥さんの真似をすると、旦那がゲラゲラ笑った。
この台詞は、セラピストの夫を持つ妻が、なにかというと分析したがる夫に腹を立てて文句を言うシーンによく使われる。

なかなかに人生を考えさせられる一日だった。



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浮気ゆめ

2010年07月01日 | ひとりごと
年に数回、いや、ほんの2、3回、普段からあの人かっこええなあ~と思てる人がいきなり、わたしの身近な知人やら友人やら仲間になってて、それやったら……と、さかんにアタックを試みてる、というシチュエーションの夢を見る。

基本的に、片思いから始まるのが多いわたしは、それをいかにして、周りに気づかれずに、相手にチョイチョイと伝えるかを全身全霊をかけて考える。
思いついたアイディアをあれこれ試す時のドキドキと、三歩進んで二歩下がるの『三百六十五歩のマーチ』風のじれったさを楽しみながら、じりじりと相手に近づいていく。坊さんが屁をこいた遊びの子供のように、息をひそめてちょっとずつ。
もう夢の中のわたしは文字通り夢中。夢見る乙女そのもの。けれども、いつも相手は自分よりかな~り年下なので、申し訳なくも思っている。
なかなかに現実的な切ない夢です、ね。ははは!

それで、久々に見た浮気ゆめの相手は、はい、イチローでした。
どんだけ厚かましいねんっ!と責めないで。これはあくまでも私的な夢の話。落ち着いて落ち着いて。

いやあ、楽しかった。実にワクワクどきどきした。
向こうは訝りながらも、時間が経つにつて、少しずつこちらを気にするようになる。
ここがまあ、自分に都合良くできてる夢のいいとこ。
詳しい話をしてもしょうがないので、かいつまんでクライマックス。
とうとう、ちょっとなびいた彼がわたしの横に立ち(その時わたしは椅子に座っていた)、なんとその手をわたしの肩にかけ、引き寄せたではないか?!
あぁ~夢にまで見たこの一瞬!(もともと夢の中ちゃうん?……とシラケないように)わたしはこのチャンスを逃すまいと素早く両手を彼の腰の辺りに回し、彼のお腹に頬をスリスリした。


なんかこのお腹、確かに贅肉ひとつない腹筋なんだけど、なぜだかミョ~に懐かしい感じがする……すご~く長年慣れ親しんだような懐かしさ……。
まさか……いや、そんな、うそや、そんなはずない……
と思いながら、祈るような気持ちでそぉ~っと顔を上に向けてみたら……、
ついさっきまでイチローやったその男の顔が、旦那に代わっておりました……とさ。ぎゃ~!!

こ~ゆ~のもやっぱり浮気ゆめっていうのかしらん?
まあ、旦那曰く、クリスチャン的には夢であろうが夢想であろうが、充分罪なのだそうな。
あ~クリスチャンでなくてよかった……。くわばらくわばら……。
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ゆるりと過ごす日

2010年07月01日 | ひとりごと
盗まれたあじさいを買った花屋さんの前を通りかかった。
だめでもともとの覚悟でお店の中に入り、あじさいの話をした。
「あのあじさいは、わたしも仕入れの時に一目惚れして、それで大事に大きくしたのよ。なんてことなの?!」と、店主も一緒に嘆いてくれた。
残念ながら、あじさいの季節はもう終わっていて、あの白い縁取りのあじさいどころか、一鉢のあじさいも残っていなかった。
「でもね、万が一ってこともあるから、もしあのあじさいをまた見つけたら絶対にわたしが仕入れといてあげる。連絡先を教えて」と言われ、伝えておいた。

店から出て、家に向かっていると、高級指向のスーパーの店先に、白い星のような花が風にひらひら揺れていた。
吸い寄せられるように駐車場に入り、車から降りて近づいて行くと、薄い水色のラインも涼し気な白いガクアジサイだった。
しばらく前に立って眺めながら悩んでいたが、えぇ~い、家に連れて帰ろう!と決めて、レジまで抱えて行った。

もう一度、花屋さんまで戻り、前から植えてみたかった河童の傘(←勝手に命名しております)を買い、これにアジサイを護ってもらうことにした。

これがチビっこあじさい。


河童の傘にしっかり護ってもらっている(つもり……)。さあ、どっからでもかかってこいっ!盗人め!



ついでに、我が家のかしましムクゲ姉妹。前に載せた全身純白の長女をはじめ、すべての色が咲きそろった。


松の木の幹の真ん中で、キラリと光ったものが?松やに?クラリネットの楽器整備の際にはとてもお世話になっている物。


緑の中の黄色がきれいだったので。



最近、朝からバタバタと動き回る日、というのを何日も続けて過ごせなくなった。
バタバタの次はユルユル、そしたらまた元気にバタバタ。これがとても大事。
緩急が心地良い、というか、そうでないと持たなくなったようだ。
これを年だからと考えるのか、自分の身体からのサインを無視しなくなったと思うのか。
それはそれぞれの勝手だが、少なくとも昔のように、ずうっと無理や無茶を続けた挙げ句、ある日突然数日寝込むというパターンをくり返さなくなった。
母はわたしの顔を見るたびに言う。「閉経までに無茶をし過ぎた者は、閉経後にあちこちに問題を抱えることになるから、今からでも遅く無い、無理してでもゆっくりしなさい」と。

だから今日はユルユルの日。庭を散策したり、お水やりをしたり、ピアノも少し練習したり。さあ、これから夕飯の支度を始めよう。
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米国ヤンキーズスタジアムでイチローの応援をしたら事情

2010年07月01日 | 米国○○事情
じゃ~ん!行ってまいりました!新しいヤンキーズスタジアムになってから初めての観戦です。


またまたA子のお誘い。彼女はもう機関車トーマスのように(←例えが変?)、毎日ニューヨークのどこかで何かを楽しむことに徹しているのです。
そのおこぼれをたま~にいただく旦那とわたし。ついつい郊外の家ん中に落ち着いてしまいがちな我々にはとっても刺激的。ありがとね~A子!
球場で待ち合わせることにした我々3人。旦那とわたしは、今日は珍しく電車と地下鉄で行くことにしました。
すると……いつもは30分弱でマンハッタンに着くはずの電車が50分近くかかり(しかもなんの説明も謝罪も無くですよっ?!)、慌てて飛び乗った地下鉄が間違っていて、さらに乗り換えた、今度は正しい線の地下鉄車両が、途中の駅で止まったまま動こうとせず……しばらくすると「警察の捜査のため、この駅で電車を止めます。全員直ちに降りてください」というアナウンスが……
ゾロゾロとみんなが駅のプラットホームに降り、ドアが閉まり、さあ電車が動こうという時、「あっ!」
寝ていたひとりのおばちゃんが中で狼狽えているではありませんか?!
プラットホームに降りた乗客は大騒ぎ。窓をバンバン叩いたり手を振ったりして、ドアを開けてやれ~と意思表示するのだけれど、反応無し……絶体絶命のおばちゃん……しゃあない、あんたが前まで走れ!走ってドアを開けてもらえ!という外からの指示にこっくり頷き、ダダッと走り始めました。無事に降りれたかなあ……。結局ドア、開かんかったもんなあ……。
なんてことがあって、どんどん時間が迫ってきてしまい、どこかでちょっと腹ごしらえをする計画も吹っ飛んでしまいました。
なので、スタジオ前の屋台で旦那が食べ物を調達。


やっと着いたぞヤンキーズスタジアム!


持ち物検査を受けて中に入りました。


今日は、昨日までのじっとり暑い夏がどこかに行ってしまい、サラサラの心地良い風が吹く、まるで高原の夏のような爽やかさ。絶好の球場日和です。


席はライト側外野席。なのでイチローはいつも後ろ姿。けどいいんだ~それでも。こんなに近くで観られるだけで。うふっ♡

A・ロドリゲスさん、なにやらトレーナーと話し合いながらストレッチ中。やっぱゴツい!


ぎゃ~!イチロー!興奮し過ぎて、なぜか霧がかかったような画像に……わたしの熱い鼻息かしらん?


ホームランを狙っていたのか、初回初球狙いで、この後ポコ~ンと打って終わってしまいました。早っ!

コットンキャンディ売りのお兄ちゃん。


ぎゃ~!イチロー!歩く姿が美し過ぎ!隣で旦那が「あれはどう見てもゲイの歩き方や」とボソボソ。無視無視!


ちょっと手慣らし足慣らし。


で、キャッチボールを終えたイチロー、守備の位置につきます……あぁ~!!ちょっとちょっと、そんな奥までバックしたら、わたしらの席から全く見えんくなるや~ん……そうなのでした……とっても残念なことに、我々の席からは、彼の守っている最中の姿はまぁ~るで見えないのでした。でもいいもん、こんな近くに居るだけで……。

周りはもうヤンキーズファンばっかり。なので、ちょっとヤンキーズの選手も撮っとかにゃ~。


塁に出たイチロー。彼は身体をじっとしている時が無いと聞いていたけれど、ほんとに片時もじっとしていない人でした。


日が暮れて、球場の上空の雲が茜色に染まりました。 


7回直前の恒例行事。フィールドの整備をする人達のYMCAダンスサービス。


今夜はマリナーズ、たくさんホームランを打ちました。そのうちのひとつが我々のすぐ近くに飛んできました。それを受けた人がフィールドに投げ返し(写真左の、白いシャツを着た男性)、大いに盛り上がるヤンキーズファン達。


もう一回イチローの打席姿。


そして守っている時の後ろ姿。やっとやっと撮れました!
実は、一方的に負けているヤンキーズに腹を立てたファンが、ゾロゾロと会場を去り、一番前の席がカラ~ンと空いたので、そこまで降りて撮影!
美し過ぎる~!お尻可愛い~!「いったいまうみは何しに来たん?」と再びボソボソと言う旦那。再び無視無視!


7-0で思いっきり勝って引き上げるマリナーズの選手達。いや~ん、もう終わっちゃうのぉ~としつこくカメラで追いかけるわたし。


実際、イチローを必死に追いかける専属カメラマンと化したわたしを、周りのヤンキーズファンさん達はジロリと睨みつけてたそうな……。こえぇ~!
けど、あまりに夢中だったもんで、そんなこともゲームの内容もさっぱり知らんまま、わたし的にはとっても楽しい時間を過ごせました。


さて、ものすご~く気持ちのいい球場で、でっかいビールを飲みながら、ジャンクをいっぱい食べました。そのうちのひとつがこれ。


『TAKE ME OUT TO THE BALLGAME』(わたしを野球に連れてって)の歌詞の中にもある、アメリカの古き良き時代からあるお菓子『Cracker Jack』。キャラメルコーンのような感じ。ピーナッツも入っています。旦那がやけに食べたがるので買うことにしました。
真ん中に小さく映っているのが売ってるおっちゃん。あそこから放り投げてきたのをA子が見事にキャッチ。わたし達が払う代金はお客さんの手から手に渡り、おっちゃんに払われます。とってもアメリカンな買い方。

そして、ゲームも終わりの頃になって、またまた旦那が「アイスクリーム食べる?」と言い出し、


これ、かなり胸やけしました。はい。

ゲームが終わり、地下鉄から電車に乗り換えるのに3分しか無くて、ひ~こらひ~こら走りました。岡田ジャパンのみんな、そしてイチロー、わたしは完璧に運動不足です!反省します!マジで死ぬかと思いました。たった3分、全力疾走しただけで……。明日から心を入れ替えてがんばりまっす!








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