ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

過去は変えられへんけど、未来は変えられる!日本の大人は今こそしっかりして未来を変えなあかん!

2012年01月16日 | 日本とわたし
まだこちらは17日になってないけど、17年前の17日の早朝5時46分に、阪神・淡路大震災があった。
6500人もの人が亡くなってしもた。
あの日、旦那と息子達(8才と6才)とわたしは大津に暮らしていて、最初の路地奥の置屋の長屋から、とりあえず壁がどこともつながってない一軒家に引っ越したとこやった。
けどもその家は、正面から見ると、かなりの角度で傾いてる、その通りで一番ボロいことで有名な家やった。

地震が来た時、軋むというより咽び泣くような音がして、家全体が信じられへんほど長く、大きく、横に揺れた。
生まれて初めて腰が抜けて、気持ちは息子らが寝てる二段ベッド(実は織物を保管するための棚やったとこ)に向かうも全く動けず、
同じく生まれて初めて経験したとんでもない揺れで立ち上がれんまま、それでも旦那は、まるでゴリラのおっさんのように、奇妙な動き方をしながら息子らのとこへすっ飛んでった。

いろんなところが爆発して、火災が起こり、生きながらにして焼かれていく家族を見守らなあかんかった人がいた。
悲惨とかいう言葉なんか使てもしょうがないほどに、辛くて惨いことがあちこちで起こった。
報道のためのヘリコプターがバタバタとうるさい音をたてて、そのために、瓦礫の中から助けを求めてる人や動物の声が聞こえんかったりした。
毎日テレビをつけっ放しにして、三日間ほどずっと泣いてた。
運良く家族全員無事にいられることのありがたさに、手を合わせて感謝した。



14日と15日、横浜のパシフィコというとこで、脱原発世界会議が開催された。
 
毎日新聞

脱原発世界会議:「廃炉へ工程表を」宣言発表し閉幕-横浜/神奈川

横浜市西区で開かれた世界約30カ国の専門家や市民が原発について考える「脱原発世界会議」は最終日の15日、「原発のない世界のための横浜宣言」を発表し、閉幕した。
ピースボートなど6団体でつくる実行委員会によると、14日からの2日間で延べ約1万1500人が参加した。

両日で約100のテーマ部会が企画され、15日の「脱原発・首長会義」には福島県南相馬市の桜井勝延市長ら8人の首長や首長経験者が出席。
桜井市長は「原発事故を二度と起さないために脱原発を力強く口にするようになった」と明かした。

また、96年に東北電力巻原発建設計画の賛否を問う住民投票を実施した新潟県巻町(現・新潟市)の笹口孝明元町長は、
「国策に地域住民が声を出すのはおかしいという議論もあるが、生命健康に関わることは住民に決定権があるはず」と指摘。
住民投票で反対多数の結果が出たことから、笹口氏は計画への不同意を表明し、東北電力が計画を断念した。

会議に出席した首長らで「脱原発市区町村長会議」を結成することも決定
閉幕イベントで「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発を廃炉にする工程表を作る」ことを目指す「横浜宣言」を明らかにした。【高橋直純】


共同通信

横浜の脱原発世界会議に3千人 避難児童「大切なのは命」

「脱原発世界会議」で「原発はいらない」と訴える福島県郡山市の富塚悠吏君=14日午後、横浜市


東京電力福島第1原発事故をきっかけに「原発のない未来」を話し合う「脱原発世界会議」(ピースボートなど主催)が14日、横浜市で始まり、
約30カ国から原子力の専門家や市民活動家らを含む約3千人が参加。
福島からの避難者が「原発はいらない」と訴えた。

開会式では、福島県郡山市から横浜市に避難している小学4年富塚悠吏君(10)が、
「政治家に言いたい。大切なのは僕たちの命ですか、お金ですか。僕は病気になりたくない。原発は子どもにはいらない」と訴えた。

東京都内に滞在している郡山市の女性(33)が家族や友人と別れのつらさを語ると、涙を拭う外国人参加者の姿も。
2012/01/14 19:21


会場に入りきれん人達がいた。
会議と並行して、原発反対のデモ行進が行われた。こちらも5千人集まったそうな。


地震がいっぱい起こる島、日本。
もしもの時の避難セットやら、家具が倒れんような器具をきちっとつけたり揃えたりするのに、
なんで、なんで、こんないっぱい、核物質だらけの建物を次から次へと建ててしもたんやろ。
わたしら国民が、いくら騙されやすいからいうても、危ないもんやってことは関係してる人らにはわかってたはずやのに。

17年前の、あの巨大で、情け容赦のない自然の現象を、日本はただただ受け入れて、共に生きていかなあかん国なんやと思い知ったんと違たんか。
17年前のあの地震の後に、良識と誠意でもって民を守るという意思があるもんが、政治家や企業家や専門の学者に存在してたら、
ほんでわたしらも、ただただ便利やの快適やのという言葉のリズムが心地良うて、のんきに調子に乗って踊ってたりしてへんかったら、
地震より6年ほど前に起こったチェルノブイリ事故の現実を、活断層だらけの海岸線に建つ原発とつなげて、真剣になんとかせなって思てたら、
こんな悲惨な日本になってへんかったんやろか……。

……やったら、……してたら、そんなことをなんぼ悔やんでももう起こってしもたもんは消されへん。
わたしらの手で、うんと悔やんで省みたわたしらの思いで消せるのは、いや、消さなあかんのは、核物質の燃料やゴミや兵器。
絶対にこれだけは実現させな、これからの子達に、世界に、地球に、宇宙に申し訳がたたへん。
17年前だけやない、それまでにも、それから後にも、いろんな天災や事故で命を失った人達の、生きたかった思いに報いるためにも。
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美人妻&おっさん&美人妻予備軍イン・コネチカット2012!

2012年01月15日 | 友達とわたし
今年もやってまいりました!
美人妻&おっさん&娘ちゃん大集合イン・コネチカット!

というわけで、ほんまは夜なべして料理しよ思てたのに、最近の早寝の習慣が祟り、やっぱ早起きして作っちゃれ~とプラン変更。
いっつもやったら超~てきと~に作るマイ筑前煮やけど、煮物が食べたい!と熱望する初対面のまきちゃんのために、きちっとしたレシピに従い、材料の下ごしらえもいちいちやってたら……、
いつもよりめっちゃ時間かかってしもてるし……ぐゎ~ん

出発せなあかん時間はとっくに過ぎ、シャワーしてる時間もなんも無く、バタバタと服を着替えて出発!

ニューヨーク州とコネチカット州をつなぐ大好きな橋、タッペン・ジー・ブリッジ!
ちょ、ちょっと、そこのおしりのでっかい、多分赤い車さん、めちゃめちゃ汚れてまんがなっ!


このパークウェイも大好き!ニュージャージーのんと違て完全無料!ガードレールまで木材!


並木が作る影が延々と続いてて、ここをずっと走ってると催眠状態になるのやそうな……って、ええのかそれで?



1時間半近く遅れて到着。
みなさん、美人妻とおっさんのグループに分かれて、すでに一回目のお皿を平らげておられました。くぅ~!

今回は、関西美人妻8人+関東美人妻1人
その夫、米国人7人
その娘っこ達7人という構成。

メニューはというと、これがまたすごくて、毎回ホストを名乗り出てくれるけいこちゃんからのメールリストをちょいとお借りしてご紹介。

『では、「お品書き」に入りたいと思います。
ちょっとコースに分けて紹介させて頂きます。

<前菜・つまみ系>
・フルーツサラダ(けいちゃん)
・枝豆(けいちゃん)
・ナムル(まきちゃん)*他の物に変わるかも
・イラン風ブルガー(ゆみこさん)*穀物のサラダ
・にんじんサラダ(ともこさん)
・グリーンサラダ(当人)
・イタリアンなアンティパスト(当人)*チーズ・サラミetc.

<メイン>
・肉団子(みわちゃん)
・ポテトグラタン(まきちゃん)
・チヂミ(まきちゃん)
・レバノン風ミートローフ(ゆみこさん)
・スパニッシュオムレツ二種(まりさん)
・揚げ浸し(ともこさん)
・コウ ケンテツの豚の角煮(きょうこさん)
・餅粉チキン(当人)
・エッグプラント・パルメジャ~ノ(ジャスティン)

<御飯もの>
・中華風おこわ(きょうこさん)
・ちらし寿司(けいちゃん)
・白ごはん(当人)

<デザート>
・かりんとう(みわちゃん)
・バクラバ(ゆみこさん)*余力があれば
・八つ橋(まりさん)
・チョコレートケーキ&アイスクリーム(当人)
・カノーリ(当人)

<注>
まうみさん、こんな感じなんでヨロシク!
一応、筑前煮のリクエストが出ていますので、そちらも検討宜しくお願いします。

そして、飲み物ですが、ホストの方でワイン・ビール等を用意させ手頂きますが、アルコール類の持ち込みも大歓迎です!』


ということで、メニューを決められんで最後までウダウダしていたわたしに、しかも煮物を作るぐらいしか能のないわたしに、事もあろうに←意味ちゃうがな?筑前煮をリクエストしてくださったんでした

もうほんま、毎年のこととはいえ、胃のまわりの腹の皮が痛うなるほどに食べてしもたわたし……。
話は右から左に、東から西に、北から南に、アメリカから日本に、めっちゃローカルな事や教育論から下ネタまで、
ガハハと笑い、えぇ~っと驚き、そらそやなあと同情し、近くに座ってる友をウリウリといたぶったりしながら、
それはそれは楽しい時間を過ごさせてもろたのでした!
しかも、今回は初企画、反射神経&英語のヒアリングを競うゲーム(賞品あり)なんちゅうのもあって、まかしとかんかぁ~いとばかりに全員挑戦!
がしかしっ!ほぼ全員がショボい結果に終わってしまいましたとさ……あのゲーム買うてきて練習しよかしらん……。

とにもかくにも、ほんまにほんまにありがとぉ~けいこちゃん!
ホストってマジで大変なんよね~……知ってんねんわたし……その大変さ。
食べ物のことだけちゃうもんね。
なんとなくやっぱ片付けてまうし、人を、それもこんだけぎょうさんの人を招いて楽しんでもらおと思たら、ほんまいろいろ大変やもん。
そやからほんとにありがとう。
ほんでもってお疲れさん。
なんて言いながら、後片付けの手伝いもせずにとっとと帰ってしもてごめんよ!
今頃疲れがドドッと出てきてるやろなあ。よう休んでください。

今回はまだ、ピアノを弾くのを中断してるとこやったので、せっかくリクエストまでもろてたのに全く練習もせずに弾いちゃったけど、
もうちょっとしたら、ちょっとずつ時間を増やして弾けるようになると思うから、またリクエストしてください。
ちゃんと真面目に練習してから演奏させていただきまっす

あ、そうそう、画伯の絵、わたしの机の正面に飾らせてもらいました。


めっちゃ合うてるっしょ!

今日初めてお出会いした、まきちゃん、ゆみこさん、これからもよろしく!
きょうこ番長、みわ裏番長、ともこ書記長、天然けいちゃん、けいこ司令官、ほんでもって淑やか関西娘のMMコンビまりちゃんとわたし
いやあ、また来年が楽しみでんな~ 
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かんにんやでネズミくん!

2012年01月15日 | ひとりごと
うちの家猫は13才。人間でいうたら82才。
最近とみに、ちょっと太ったんちゃう?と、たまに見る人から言われるけど、
今だにチャイチャイ遊びをしたがるし、動きもまあまあ素早い方。

ついこないだ、旦那とふたりで、居間でテレビを観てたら、急に旦那が「あっ!」と声を上げた。
「なんやのん?」と聞くと、「キッチンにネズミがいる!」と言い出した。

台所のドアが開いていて、その床を、左から右に、なんか茶色いもんがササッと走った、らしい……。

かなんなあ……。

テレビを中断して、ふたりでそぉ~っと台所に行った。
シ~ンとしてる。
まあそら、ネズミかて、わざわざ人間が二人も入ってきたとこへまたひょこひょこ出て来とうはないわなあ。

ふたりで顔を見合わせた。
ふたりとも、なにを考えてるのか、その瞬間にわかった。

「ショーティ~!」

ショーティは、仔猫の頃から、殺し屋というあだ名がつけられてるほどの、本猫にしたら楽しゅう遊んでるつもりなんやけど、気がついたら死んじゃってる?的なハントをする。
相手はもうなんでもかんでも。
ゴキブリ、トカゲ、カエル、鳥、ネズミなどなど。
無傷のまま、ただただ疲弊しきって死んでしもた遊び相手を、必ず目のつく床に寝かせとく。

ちょっと惨い写真やけど、こんなふうに。


「お仕事ご苦労さん」と労う旦那と。


家の中にネズミがいる。
それはやっぱり困るのやけど、けどもこんな姿を見るとやっぱり可哀相になる。
人間て勝手な生き物やな。ごめんやで。

ネズミくん、もううちの中には入って来なや。
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映画を作る人、映画に出る人、映画を観る人、何かをゼロから作ることはやっぱりワクワクする!

2012年01月14日 | 友達とわたし
大人生徒のトムの家で、短編映画製作のための寄付を募るパーティがあった。
トムは銀行屋で、相方のアレクサは写真家。前に、妊婦をモノクロで撮った美しい写真集を出版した女性。
トムの一人娘レミを教えていたのだが、途中からトムも習いたいと言ってきて、しばらくは親子二人を教えに彼らの家に出張していた。
少し前にレミが止め、トムも一緒に止めるかなと思っていたら、僕は全然止めるつもりはない、ということで、今はうちで教えている。
彼は長年、アイスホッケーを趣味でやっていて、めちゃくちゃ背が高い。
手も足もデカい。
なので、オクターブが違う意味で苦手。オクターブ以上の鍵盤をつい押さえてしまうのだ。
間違えると、小さな声で自分に悪態をつくので、それが可笑しくてよく笑う。
さすがにFワードは出てこないけど、いろんなバージョンの悪態を、わたしはトムから教わった。

さて、彼らの家の中に入ろう。


正面のピアノはとても古いアップライトで、すぐに調律が必至になるけれど、なかなかいいピアノ。
ピアノの右横の椅子が、わたしの席だった。


短編映画に出演する俳優さん。詩を読んでくれた。さすがにうまい。
 

彼は、脚本とプロデュースを担当している。彼も詩を読んでくれた。きっと俳優だと思う。惹き込まれた。


先程の俳優さんが再び。今度は歌。こんなふうに、その場に居る人達を魅了できるのはすばらしい。


主人公の女優さんの息子さん。グレイト・ギャツビーからの抜粋を朗読。


母であり女優、そして今回の映画の主人公のひとり。アンナ・カテリーナさん。トムのご近所さん。


ふたりで、映画の一場面、遠くに離れていて、電話で話しているという設定。
彼は美しい自然の中で、彼女は……どこだろうか……。


本職の女優さんというのは、レンズを通すと、周りの人達とは全く違う光を放っているのがよくわかる。


映画をよろしくぅ~の図。


この映画は、ブラームスのインターメッツォ4つの小品の曲からのイマジネーションで造られているのだそう。
わたしが一生涯弾き続けていきたいと思っている曲だったので、すごくワクワクしたし、その曲を弾いていた彼女の演奏にも心を打たれた。

その女性(写真右端)は、ピアニスト兼声楽家で、マンハッタンで小オペラを演じるグループを主催している。
夏にいつも2週間、テキサスでミュージックキャンプをやっていて、そこはもちろんのこと、普段のワークショップにもおいでと誘われた。
頑張って働くぞぉ~!


トムの家の中には、絵画がいっぱいかかっている。これは、レッスン中に、わたしのすぐ横で居てくれた絵。


一階のトイレのすぐ横には、


ちょっとしたテーブルも、


台所だって芸術だ!


これは、毎年ハロウィーンにやってくる近所の子供達の写真を、裏庭の彼女のスタジオで撮り、それをこんな風にひとつの絵のように作ったもの。
毎年撮るので、子供達の成長の様子がとてもよくわかるし、コスチュームを自分のアイディアで一所懸命作った子達にとっては、とてもいい思い出になる。

こんなんもありまっせ。


ひとり20ドルぽっちの募金で、美味しいワインを飲み、ビールを飲み、オードブルをいただき、いろんな人とおしゃべりを楽しみ、
そしてなによりも、すごく良質なパフォーマンスを観させてもらった。
ありがとう~トム&アレクサ!
映画は明日から撮影が始まる。
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死ぬか生きるかの場面でも、救急車を呼ぶか呼ぶまいか、散々迷わなければならない国

2012年01月14日 | 家族とわたし
旦那が撮ってくれたブルージェイ。


もうちょっとくっきりと。


裏庭にいつもいるカップルの片割れです。彼らはけっこうデッカイです。
バサバサと木から木へ飛んだり、イチャイチャしたりしてます。

旦那の2才上の姉が、ブルックリンにある会社の面接を受けるために、ペンシルバニアから泊まりがけでやってきました。
彼女は今、就活中。
彼女の夫は建築技師ですが、パーキンソン氏病にかかった母親を看病するために主夫になり、彼女が家の大黒柱となって働いてきました。

就職活動はこちらでもとても大変です。
彼女はわたしより6才年下の48才、こちらでは年令はあまり関係無く、その人のキャリアを重視してくれるとはいえ、やはりなかなか難しい。
すごくストレスになっていると思います。

冷たい雨が降った一昨日の朝早く出かけ、面接を無事に終え、義理の弟と一緒にベジタリアンのインドレストランで食事をし、弟のアパートに戻ったのですが、
その頃からなにか身体の調子がおかしくなり、あっという間に深刻な状態になってしまいました。

彼女はもともと、ピーナッツと大豆に激しいアレルギーを持っていて、万が一食べてしまうと、気管支が一気に膨張し、息ができなくなってしまいます。
子供の頃に1度、そして大人になってから1度、深刻な症状に陥り、救急車で運ばれたことがあるので、普段からすごく気をつけていました。
けれども、インディアン料理の、特にベジタリアンのソースやスープには、数えきれないほどのたくさんのスパイスや豆や野菜が煮込まれています。
それなのに、彼女いわく、ちょっと気が緩んでいたのが原因だったそうです。

ところが、そのアレルギーの症状が、深刻なのだけど、いつもとは全然違うものだったので、
救急車を呼ぼうかどうか、ものすごく迷ったのだそうです。
この国で生きていると、救急車を呼ばなければならないような事態に陥っても尚、呼ぶかどうか、皆がとても迷います。
一度呼んでしまうとまず、救急車に100ドル以上、救急治療に100ドル以上、下手をしたら1000ドル以上払わなければなりせん。
保険が利かないので実費です。
なので彼女も、次々に現れる奇妙な、そして恐ろしい症状に混乱しながらも、ギリギリのギリギリまで、横で心配している義弟に、電話をかけてと言えなかったのでした。
身体中に赤い斑点ができ、気管支は締めつけられていないのだけど声が出ず、座っていることもできなくなって初めて、手話で911の電話を頼んだそうです。

もちろん、最低限の治療だけしてもらい、さっさと退院。
病院に居る時間が長くなるとその分また請求がどっと増えてしまいます。
ガンの手術で大きな傷を作っても、それでも3日で退院してくるのが常識なのもそのせいです。
みんな、まだくっついてもいない傷を抱えながら、ソロソロと家の中に戻っていきます。

とりあえず無事に、昨日彼女はここに戻ってきて、旦那に鍼を打ってもらい、そして7才の娘と夫が待つ家に帰って行きました。

運が悪ければ死ぬかもしれないような状況の中でも、救急車を呼ぶか呼ばないか、それを文字通りウンウン唸りながら考えなければならない、
そんな悲惨な医療保険が堂々とのさばっているのがここアメリカなのです。
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放射能はいらない!

2012年01月13日 | 日本とわたし








oshiaraさんという方が 2011/03/14に、ユーチューブにアップロードしてくださってあったビデオです。
25年間、大変な思いをして保管されていたビデオだということです。
1986年4月26日にチェルノブイリの事故があり、その後に制作されたこのビデオを、25年以上経った今、一言も聞き逃したくない思いで観ることになるとは……、
日本人の誰が、地球人の誰が、想像できたでしょうか?

多分、原発というもののバケモノの性質を知りながら、そして、そのバケモノが大きな地震と津波が起こる可能性のある海岸線に建てていた連中は、
まさかと思いながらも、起こり得る可能性を認めていたかもしれません。

ユーチューブ上に掲載されているコメントをここに↓転載しておきます。

1.放射能ってなあに?

2.汚染食品を食べるとどうなるの?

3.放射能が平気な人もいるみたい

4.どうして放射能は危ないの?

5.生き残れるの私たち?

子供達の未来のためにこれだけは知って欲しい。

【市川定夫】
1935年大阪府生まれ。
京都大学大学院修了。
農学博士。
米国ブルックヘブン国立研究所研究員、メキシコ国立チャピンゴ農科大学大学院客員教授、埼玉大学理学­部教授等を経て、現在、埼玉大学名誉教授。
その間、伊方原発訴訟や原爆症認定訴訟などの原告側証人として放射線と遺伝の関係を証言。
また、ムラサキツユクサの研究は有名で­、ごく低線量でも生物に影響があることを証明。
1995年から原水禁国民会議副議長を務め、今年4月に議長に就任。



ここからはブログ主のわたしです。

天然放射能と人工放射能は違います。
わたし達は、長い長い年月を経て、天然放射能と折り合いをつける術を手に入れてきました。

などと、すました顔で言う資格はありません。
なぜかというと、わたしはほんの少し前まで、汚染されている食べ物を食べているという自覚が全く無かったからです。

最近わたしは、自分が口に入れているものが、汚染されているのかいないのか、それがわからなくなってきました。
日本国産の食材は、ずっと今まで、誇りと、懐かしさと、信頼を感じながら手にとり、割高の値段にも目をつむって買っていました。
今は、外国や、隣の州の、誰がどこで作っているのかをちゃんと知る事ができる所から野菜を送ってもらったり、
調味料も、日本ならではのものも、こちらで作っている、それも、周りにどんな会社や施設があるのかを調べて買うようになりました。
けれども、いろんなものを混ぜて作った物はもう、どうしようもありません。
なので、市販の物がとても減りました。

それでもゼロにするわけにはいかない。
わたし達は、誰かが作った、あるいは加工した物を、その労力に見合っているのかいないのかわかりませんが、お金を払って手に入れる。
そういう方法で手に入れた、食べ物や道具や機械のおかげで、お腹を満たし、心を満たしながら生きることができています。

作ってくれてありがとう。という気持ちと同時に、近頃では、これは大丈夫だろうかという心配が常につきまとう。
こんな世界になってしまった……もしくは、もうとっくになってしまっていた。
わたしにはわかりません。
深刻な事故が無い限り、誰も調べないから。
わたしが今までに食べて排泄してきた物、愛用してきた物の中に、とても酷い汚染が無かったのかどうか。
今までの、いろんな人達の死に、遺伝や生活環境や癖の他に、汚染が強く関係していなかったのかどうか。

わたしはこの際、各国がお金をかけて、自分の周りの物事の汚染をしっかり調べたらどうかと思い始めています。
半減期が恐ろしく長い核種はきっと、今だにしっかりと根を張って、周りを汚染し続けているだろうから。
このビデオを観ながら、そんなことを考えていました。
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己を姿を晒し、日本と日本人にふりかかった現実を淡々と語る、南相馬のぬまゆさんを知って

2012年01月11日 | 日本とわたし
ぬまゆさんというハンドルネームでブログを書かれている沼内恵美子のインタビューの内容を、かいつまんで文字起こししました。


インタビュアーは岩上氏。

南相馬市に暮らす沼内恵美子さん、42才。
18年間高校で教鞭をとり、3年ほど前に引退。自宅で塾を経営している。
ご主人と2人暮らしで、ペットをたくさん飼っている。

『住んでいる地区には、支え合う文化が根強く存在している。
なにかしてもらったら手間返し。
お互いに気を遣わない。
今回は助けてあげるから、次回はお願いね、という独特の考え方。
特に南相馬市というのは、そういうものが強く残っている。
避難しなかった理由→遅いと思った。
政府の記者会見までの間に、最低1週間あった。
24時間以内にヨウ素剤を飲まなければならなかった。
そういう状態なのにこの発表の遅さ。

もし被曝しているんであれば、最初の1週間でもうだめだろうと思った。あとは低線量でだらだらといくだけだから。
そんな時にベント作業があり、水素爆発があり、核爆発があった。
どうせだめなら、なんとか生かす方法で身体を使えないか、と思い、残ることにした。
何かがあったらデータをとる。
ほんの些細な事でもメモをとる。これがブログを書き始めた理由。

ベント作業が行われた時、乱気流で風が吹き荒れていた。
じたばたしても始まらない、と静かに思った。
『風の吹くころ』という絵本を読んだ。

なんらかの健康障害が起こると思っていたが、ここまで早く出てくるとは思っていなかった。
政府の言う通りにしていたらいったい身体がどうなるか、ということを残していくのがわたしにできるささやかな抵抗だった。
だからそのままきた。言われる通りにした。
避難するするしないを決めたのは、郷土愛とか、そういうことだけではない。
実家の弟家族は、小さな子供が3人(小学生と中学生)いるので名古屋に逃がした。
こんなことを言うと不謹慎かもしれないが、日本政府の対応が、もうこれは真っ赤なウソだろうという、疑心暗鬼を超えていたので、
だったら実験代になって、どうせいつか人間は死ぬのだから、どういう死に方をするにせよ、そしたらこういう結果になりましたと、
そういうことで血液検査を6月に受けた。6月に受けた時には炎症反応が出た。

体調の変化が出るだろうな、という予感は若干はあった。
遅かれ早かれ、チェルノブイリでもあったように、何年後かには体調の変化は出るだろうと思っていた。
ただ、こんなに早くいろんなことが出るとは全く思っていなかったので、最初は理由がわからない、お医者さんも原因がわからない、
とういうことで、経過観察ということになった。

体調の異変を感じ始めたのは、下痢があったこと。
夏に、大量の、ものすごい勢いで、ハンパ無く、固形物を食べているのに、お腹も痛くないのに、水道の蛇口をひねったように出た。
まさかこういうことになるとは思わなかったので記録していないが、確か記憶では、6月から8月の2ヶ月間ぐらい。
本格的におかしいと思ったのは、8月13日、手にしびれが走ったこと。
少しずつなのだが広がっていく。でもそれがいつの間にか消える。
左手の中指、薬指、小指から手のひらにかけてしびれた状態。
痛くて、ギターの弦が触れなかった。キーボードも、残りの2本(親指と人差し指)で弾いていた。
医者は、通常、その3本の指にそれほどの強いしびれがあった場合、腕から首にかけての感覚神経にも影響し、痛くて動かせないはずだと言う。
けれども、強烈なしびれ以外、どこにも痛みは感じられなかった。
なので、原因不明ということで、経過観察ということになった。
医者に受診したのは、手のしびれから。
下痢の時は、悪い物を食べたぐらいに思っていたので受けなかった。
手のしびれは1ヶ月半ぐらいで突然消えた。
医者はもともとは総合病院の外科を担当していた。なのでリハビリにも内科にも詳しい。
わからないものはわからないと言ってくれる人。
特発性なんとか、などという病名をつける人ではなく信用している。

8月中旬、あごの両側に痛みが始まった。
口も開けられない、いてもたっても居られない程の痛み。
痛み止めと座薬をもらった。
座薬を入れても痛みは完全に消えなかった。
その時は歯の問題だとは思っていなかった。
ところが、痛みがだんだん、あごの付け根から歯茎全体に広がってきた。
強力な痛み止めを飲んでも3時間しかもたない、と記録したのは8月18日。

炎症反応があるのかと思っていた頃、8月25日に血液検査の結果が出た。
CRPが平常よりも高かった(0.531)。
けれどもその炎症がどこにあるかわからない→経過観察。
手のひらから5本の指まで異常にしびれてきた。
この頃から、自分の体調は変だと書き始めた。
政府批判的なブログを書き始めたが、それがまさか自分の体調日記になるとは思ってもいなかった。

9月は、痛み以外に変化が無かった。

10月12日、上下3本の奥歯がポロッと取れた。
これは尋常ではないなと思った。
前歯もぐらぐらとしてきた。
飴かなにかを食べた拍子に折れた。
痛み止めを内科の医者にもらった。
自然に4本無くなっていた。食べた時に呑み込んでしまったかもしれない。
見た目健康な歯でも、痛くて目も開けられない。
顔も浮腫んできたので、無理矢理頼んで抜いてもらった。
セラミックの歯以外は、どの歯もいつポロッといくかわからない。
合計8本失った。
内科の医師に、入れ歯にした方がいいよと勧められ、歯科医に頼んだが、健康な歯をどうしても抜きたくないと、断られた。
歯はもともと頑丈で健康だった。
虫歯になった時ぐらいしか歯医者には行かなかった。
原発事故の2週間前に、虫歯の治療が終わり完治していた。
カルシウムがまさか摂取できなくなってしまったか?と思った。
前歯下が斜めに欠けてきている。


その頃でも、放射能のことはよぎってはいたが、まさかこんな早いはずはないと思っていた。

10月20日、夜寝る前はなんともなかった右手の肘から手首にかけて、いきなり膿包ができていた。
痛みもかゆみも無かった。
昼にできた時は、膿包の中の薄い黄色い体液は、消毒した針で突いて出していくしかなかった。
最初赤くなり、一時間も経たないうちに膿包ができ、そこに体液がじわじわとわいてくる。
2~30分の間のこと。
手足合計3カ所。つぶして軟膏を塗る。これを繰り返しながら経過観察。
いろんな病院を回るより、信頼できるかかりつけの医者に診てもらうことを選んだ。
検査の結果、細菌感染では無いことがわかった。


次に出てきた症状は怠さ。3日間動けなかった。
身体中がだるくて3日間動けなかった。それが10月22日。
起きているだけでもしんどいので、睡眠薬をもらって3日間寝た。
そのあと、10月26日に、体温の上昇がみられた。
平常35.3度ぐらいが37度が出た。
血圧も非常に高かった。平常時最高が90~100、最低が50~60なのに、93~142だった。
発熱が続いていた。不思議なことに寒くなかった。自分だけが汗をかいていた。

10月28日、左足大腿部が痛み出した。
なんかもう一気にきた。

11月9日、怠い。倦怠感で目が開けられない。それがずっと続いた。
その間にも水泡ができたりしていた。

9月以降はもうだめ。完全にいっちゃっていた。

11月あたりから脱毛に気づいていた。排水溝にすごい量の髪の毛がたまるようになった。
11月3日に、後ろから見ていた姪に「おばちゃん剥げてるよ」と言われた。
つむじの少し下にハゲができていた。

11月6日には倦怠感がかなり強くなり、座っていられなかったので、睡眠薬を処方してもらい眠った。
12月は、すさまじい倦怠感。しんどい、という状態。
なにもかもが全部きたという感じ。

左手親指の少し下の、浅く小さい切り傷痕から、いきなり出血した。
いったん閉じた傷で、一晩経っていて、しかも浅い小さな傷だった。つけていた絆創膏も外した後のことだった。
絨毯にもポタポタ落ちていた。
しかし原因がわからないので、様子を見ている。


長い髪の毛だったが、結い上げようとしても隙間が見えてしまうようになった。
風呂の排水溝に抜けた毛がダーッとたまった。
風呂上がりに足に違和感を感じてみたら、親指の爪が直角に欠けていた。
横の指の爪も,付け根の一角を除いてボロッと取れた。
爪の付け根がふわりと浮いていた。
まさか湯上がりに爪が外れるなんていう経験は無かったので、本当にびっくりした。

髪の毛は最初は3センチに切った。モンチッチみたいに。
それでも抜けて抜けてしょうがないので、坊主にした。
密集していなければならないところの髪が、全体的に地肌が見えてきている。
後ろの円形脱毛症はだんだん生えてきた。

それが全部放射能とかに関連づけるようなことはブログに一切書いていない。
それはわからないんだからわからない。わからないんだから個人が決めつけることではない。
いろんなデーターを残して、採血の医療データやどうにもならない症状をどんどん残していくことで、ある一定のサイクルというのが見えてくる。
あるいはサイクルではなく、どんどん悪くなる一方かもしれないが、
自分は120才まで生きるつもりでいて、マイナス思考は全くない。
次は何が出てくるのかな、という興味がある。
毎日、今日も無事に朝を迎えたなと思いながら生きている。

正月の朝、主人がトイレから叫びながら走って来た。「おちょこ一杯分の鼻血が一気に出た」と言った。
一気に出て一気に消える、気持ちの悪い出方。


なんともいえないが、彼は鼻血が出るようなタイプではなかった。
子供が鼻血を出すというコメントが多かったのだが、鼻血を出すのは子供だけではないのか?と思った。
甲状腺ホルモンの低下がある。
のんびりと経過を観察していく、という考えでいる。


高校時代からの親友が12月31日に来た。ウィッグを被っていた。
10月9日に会った時には、ちゃんと自分の髪の毛を結っていた。
42才の健康な女性が、バーコードの50代の男性の頭髪のような状態になっていた。


彼女とご主人も、だるくて仕方がないと言っていた。
倦怠感が全然抜けず、家事をする気にもならない。

最終的に思うには、日本の医学で原因がわからないという以上、特に被曝とか放射能ということに偏った考え方を持っているわけでは決してない。
もしも同じような症状の方がいらしたら、ということで、ブログで呼びかけてみたら結構な反響があった。
わたしも、わたしも、わたしも……東京とか神奈川とかいろいろあった。
300キロという想像は外れてなかったかなと思う。

経過観察をしながら体調を記していったものがブログになった』

*******       *******       *******

以上の症状をまとめ、木村真三氏に伝えた上で、見解を聞く。

放射線による影響なのか、放射線をまき散らされたということに対するストレスなのか、または他の要因によるものなのか。

木村氏
「まず考えられるのは、ストレスによる自己免疫疾患の反応の一種だということ。
放射線に対する恐怖というものが、時間を置いて、極度のストレスを受けた後になって出てくる可能性が充分ある。
ストレスも原発事故が由来している。
そういう意味では、放射能ではなくても、原発事故の被害者である、ということは確か。

ただ、放射線に対しては個体差があるので、放射線への感受性がとても強かったりするのかもしれないし、内部被曝の影響がとても強いかもしれない。
南相馬でも、地域によっては残留放射線量がかなり違う。
実際、3月28日に、浪江町から相馬の方に県道15号線を通って行こうとしたが、それでも分断されて裏道を通っていった時に、150マイクロシーベルトパーアワーもあった。
その近くに住んでいるのなら、放射線の影響を考えられる」

岩上氏
「残留放射線の影響よりもまず、ストレスの方の仮説をとった理由はなにか?
ストレスがそれほど大きな影響を与えるものなのか。想像がつかない。
そこまで身体に出ている場合、精神的にもボロボロになっているはずではないのか」

木村氏
「ストレスに強い人間からはわからない。
個体差が相当ある。
うさぎなどは、飼い主が居なければ寂しくて死んでしまうということがある。
感受性が強い場合、自己抑制がなかなかコントロールがつきにくい。
自己免疫疾患が起きると、歯とか髪とかを今まで自分の身体として認識していたものを外敵としてしまい、攻撃するようになる。
ストレスによって腎臓病にもなる」

岩上氏
「ニコニコ笑って明るく過ごせば良い。などと言って回っている人もいるが」

木村氏
「一概には否定できないが、現場を見て、現場の方々を知ったら到底言えることではない。
実データを明らかにしてそれを元に自分で判断する、ということが大事」

*******       *******       *******

木村氏の見解を受けて。

『もう最初から、だめだと思っていたので、ストレスは感じていない。
屋内退避が2ヶ月あったが、なにもすることがないので、置いていかれた犬にシチューご飯を作って配って歩いた。
一緒に居る時間が夜しかなかった主人と、「一緒に居る時間が増えて良かったね」と言い合っていた。
ストレスというのはどうやって発生するのかな、と思っていた。
政府や東電に対する怒りは、現実とは全く違うことが行われていたり言われていたりすることに感じたが、それで怒り狂うということは無かった。
お役所仕事を長年経験してきたので、またこんなことやってるな、というぐらいに思っていた。
公務員として勤務していた時の方が、よほどのストレスがあった。
縄張りとかエリアとかがあって、その時のストレスと比べたら、1対1京ぐらいの違いがある。
交通事故で死のうが、ガン系なので癌にかかって死のうが、いずれなんらかの理由で人は死ぬ。
因果関係が本当にわからないのであれば、自分がなにかしらの原因で死んだ時は、(クリーンネネルギーにシフトしている)ドイツに移送して検体して調べてもらいたい。
今後の資料としてぜひ残してもらいたい』



ここからはブログ主のわたしの気持ち。
彼女のインタビューの内容を書き起こしながら、思い浮かべていたことは、ただただこれが現実なんやということ。

彼女は、最初の一週間の政府の対処の狡猾さとまずさに、疑心暗鬼を超えるものを感じ、あえて残ることにした。

『政府の言う通りにしていたらいったい身体がどうなるか、ということを残していくのがわたしにできるささやかな抵抗だった』

この言葉に込められた彼女の気持ちに思いを馳せてみる。
自分の身体をモルモットにして、現れるであろう疾患を待つ。
疾患はどれも、驚くほどに急に現れ、痛みや倦怠感で彼女を苦しめる。
痛みを許容することが特に苦手なわたしには、そんなことを抵抗の手段にするやなんて到底できん。
彼女は、ストレスは無いと言い切ってはる。
そやから、そのことについてどうのこうの言えへん。
木村氏が言うてはったように、もともとストレスというものに対してものすご強い人もいる。

木村氏の見解にも、厳しい現実が潜んでる。
あれだけの、まさに被曝後の症状と酷似している状態の人に、まず第一に原発事故が引き起こした恐怖などのストレスが原因の、自己免疫疾患と思われる。
と、そう言い切らはった木村氏。
これはきっと、そういう症状に現在悩まされている人達、あるいは、近い将来、遠い将来に、悩まされるであろう人達が遭遇する現実や。
被曝と疾患の関連性は、彼女が言うように、わからないというのだからわからない、今だにそんな状態。
それが、被害に遭うてる人達にとって一番かなん現実。
こんな惨い現実があっていいのかと思うけど、ほんまにそれが現実なんやと思う。
そやからこそ、政府も東電も、知らんふりしてやりたい放題できるんやと思う。
それがほんまに悔しい!腹の底から忌々しい!

とにかく、誰がどういうふうに決めて行動するにせよ、そこには動かし難い、ほんで変えることのできん現実が厳然と存在してるってこと。
人でなしの政府やったり、身体に現れる症状やったり、そのことについてストレス性の自己免疫疾患やとか、放射線の影響やとかと他の人間が判断したり、
その、もう戻れへん、変えようのない、放射能物質にひどく汚染されてしもた日本という現実。
その現実によって、彼女みたいに、実際に、心身を攻撃されてしもてる人達を、なんでわたしらは同じ国の人間として助けたられへんの?

そんなんあかんやん!
赤ん坊も子供も、それから動物も、自分らからは行動できんもんを守ったらなあかんやん!
もう10ヶ月も見捨ててしもてんねんで!
わたしらはもっと、できることあるはずちゃうか?
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4号機倒壊が巻き起こす悲惨な現実を、原発稼働40年の怪しい法律でうやむやにする政府

2012年01月10日 | 日本とわたし
ざまあみやがれい!さんが字起こししてくださっている小出氏のインタビューです。
小出氏の癖のある物言いと、司会者である水野さん、平野さんとのかけ合いが忠実に文字にされているのが楽しくて、いつも読ませていただいています。
ここに転載させていただくにあたり、文章として読みやすいように、わたしの独断で省略させていただいた部分があります。
文字起こしの大変さを身を以て知っているだけに、申し訳が無いのですが……。




水野
「京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生に伺います。小出さんこんばんは」
小出
「こんばんは」
水野
「よろしくおねがいします」
平野
「平野です。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
小出
「おめでとうございます。平野さん、よろしくおねがいします」

水野
「今ニュースで聞いていただいたかと思いますけども、原発の是非を住民投票で問いたいとする署名活動、
 これが、必要な署名の数が集まったというふうに市民グループが今日発表いたしました。これについてどんな感想をお持ちでしょう」
小出
「良かったと思います。
 まあ、余りにも政治がひどいわけですから。
 政治にはもうまかしておけない、自分たちで決定したいとみなさんが思われたのだと思いますし。
 私は、もともと一人ひとりが、ものを考えてくださいとみなさんにお願いしてきましたし、こういう条例ができることを私は願います

水野
「んー、これからまた、あの、いくつか議会に通してと」
小出
「そうですね、まだまだ」
水野
「いうような感じがありますけども。ええ。あのまずは第一歩が踏み出せるということに市民グループとしてはなったということですね」
小出
「はい」

水野
「そしてですね、次に伺いたいのは、原発の稼働40年とする。
 で、40年経ったらおしまいにする、廃炉にすると、いうことを法で決めますと、いう方針を細野原発大臣が発表いたしました。
 で、国が原発の運転の期間を法で定めるのは、これが初めてということ、なんですね。
 ただこれ、例外で、延長もありうるんだというふうに文言がついております。
 これについては小出さんはどんなふうに見ていらっしゃいますか」
小出
私はもうこの番組でもなんども聞いていただきましたけれども。全ての原子力発電所を、即刻止めるべきだと言ってきたわけで。
 40年経ったからとめろとか、30年でとめろとか、そういうふうに言ってきたつもりはありません。
 新しく動き始めた原子力発電所でも全て止めなければいけないと、私は言ってきたわけですから。
 政府が40年で止める、それも例外を認めるなんて話はですね、私から見ればもう言語道断なことだと思います

 
水野
「あのーこの例外はね、じゃ、どんなふうに認めるというふうに、ま、今、言ってるのかといいますと、
 電力事業者から申請があったとき、はですね、施設自体の老朽化と、施設を保全できる技術的能力について審査をして、
 問題がない限り延長を、承認する、ということなんですね。
 で、これあの、小出先生からご覧になったら、まあ、小出先生はもう大前提からしておかしいというお考えではありますが、
 本当にこういうことの法的にね、GOしたときにですよ、審査する基準は施設自体が老朽化してないか、
 そして、施設をちゃんとやっていける技術的能力があるかどうか、それで問題がなかったら、っていう、前提なんです。
 これはどれくらい科学的なものなんですか」

小出
福島第一原子力発電所に対しても、国は厳重な安全審査をして、東京電力に技術的な能力がある、老朽化の問題もない、
 といってお墨付きを与えながらきて事故になっているのです。
 それをいまさらまた偉そうに、国が審査をして安全であることを認めてやる、というようなこと言ってるわけで。
 まずはあなたたちに、全てやめたほうがいいんじゃないですかと私は言いたくなります


水野
「うーん。これ逆に言うと、ザル法といいますかね、例外規定もありますので、意味がなさないというようなおそれもあるんじゃないかと」
小出
「私から見ればそうですけれども。
 まあ40年という年限を切ったということが、まあ、みなさんにとっては、真新しく見えるかもしれませんし、
 まあそれなりの1つのステップを踏んだということは確かにあるとは思います。
 でも本当はそんなことではないんだということを、あの、みなさんに分かって欲しいのです」

平野
「先生あの、美浜の関電の1号機とか、敦賀の日本原電の1号機の、これもう41年になってるわけですよねえ」
小出
「そうです(※聞き取れず)」
平野
「だから40年と本当に切ってやる気があるんであれば、これはもう、先生の先ほど言われた即刻廃炉ですよね」
小出
「そうです」
平野
「で、それをやる、なんか覚悟みたいなものがまったくこう、無さそうですし」
小出
「はい。また、なんか例外で、生き延びさせようというふうにしてるんだろうなと思いました」
平野
「だからまあ逆に言うとまあ再稼働への地ならしみたいな、延長容認でやるという気配が濃厚ですよね」
小出
「そうですね。」
水野
「これだって新しい原発も作れそうに、読めますが」
小出
「もちろんですねえ」
平野
「ええ、まあまあそうですね」
小出
40年間動かしていいよという、そういう宣言をしているわけですね」
水野
「うーん。今まででもう30年経ったら、10年ごとに運転の延長を国に申請して寿命を伸ばしてきたんですよね」
 で、これ、法律では決められてはいなかったけど、現行はそうだったんですね」
小出
「はい」
水野
「ということはなんか逆に、30年で申請しなくて、40年まで申請しなくてもいいというふうに、私は素人ながら読んだんですけど」
小出
「まあ、どんなふうにも読めるだろうし。
 国のほうがどんなふうに運用しようと思うかによってすべてが決まってしまうということだと思います」

水野
「うーん。それからこの老朽化ということのメカニズムについて伺いたいんですけどね。
 福島第一原発では運転40年が経過して1号機の建屋吹っ飛びましたよね、水素爆発で。
 しかしながら、東電や保安院は、あの、こう言ってます。老朽化で事故が拡大したというような影響はなかったというんですね。
 その、原発ってのは老朽化してもやりよう次第で安全を確保できるんですか」

小出
「事故というものは、老朽化によって起きる事故もあるし」
水野
「もあるんですか」
小出
「はい。あの、老朽化とも全く関係なく起きる事故もあるわけですね。
 例えば、人間が遭遇した最大の原子力発電所事故は、チェルノブイリ原子力発電所の事故でしたけれども。
 あの原子炉はソ連きっての最新鋭の原子力発電所で、2年しか運転していませんでした

水野
「2年でしたか」
小出
「はい。で、その前には米国のスリーマイル島の原子力発電所が事故を起こしたのですが。あの原子力発電所は動き始めて3ヶ月でした
水野
「3ヶ月……」
小出
「はい。ですから別に、老朽化なんてこととは全く関係なく、事故は起きるのです」
 で、そうではなくて、老朽化が原因で起きるということもありまして。
 例えば美浜3号機で、2次系の配管が破断して、5人の作業員が熱湯を浴びて死ぬというようなことがありましたけれども、
 あれは、まさに老朽化、パイプが削り取られていって破断をした
、ということでした」
水野
「何で削り取られるんですか?」
小出
「えーと、これはですね、大変難しいんですけれども。
 流量を測るためのオリフィスという、そういう測定器があるのですが、そのオリフィスの下流に、冷却水が渦を巻くんですね。
 で、その渦を巻くことによって、配管が、まあ、炭素鋼ですけれども、
 それが削り取られていって、どんどんどんどん薄くなっていって、ある時点で耐えられなくなって敗れたというのがあの事故でした。
 ですからそれはまさに、年月の戦いだったのですけれども。
 まともな検査もしていないまま、破れるにまかせてしまったという、そういう事故でした

水野
「そうか事故はあたらしくても起こるし、古くてもまた違う意味でまた起こると」
小出
「そうです」

小出
「福島第一の場合に、老朽化という問題がどこまで寄与したかということは今のところよく分かりませんし。
 残念ながらそれを調べることもできない」
水野
「できないですか?」
小出
「ようするに近づくことがもうできませんので、事故原因も調べることもできないという そういう状態になっていますので。
 福島に関しては多分わからないまま行くだろう
と思います」

水野
「はあ……それからもう1つ伺いたいんですが。
 福島第一原発の事故の2週間あとの段階で、政府が想定してた最悪のシナリオ、というものが今になって明らかになってきました。
 で、これはですね、4号機の使用済み核燃料のプール、の中にある燃料が融ける
ということを想定したんだそうです。
 で、最悪の場合どういうことが起こるかといいますと、
 まあ、住民で希望する人たちがいたら移転を認めるべきだという地域はどこまでかというのが、半径250キロの外側まで発生する可能性があるというんですね。
 で、250キロというとどこかというと、横浜あたりになります。
 つまり、東京も含めて首都圏の多くの地域から、避難が必要であるという事態を政府が想定していたという話が出て来ました。
 で、わたくし思い出したんですが、
 小出先生は確か、4号機というのは未だ色々心配なことがあるんだよとおっしゃった時があったかと思うんですね」
小出
「そうです」
水野
「4号機のプールというのは今、どういう状況なんですか」

小出
使用済みの燃料プールというのは、放射能を閉じ込める最後の防壁である格納容器という容器のさらに外側にあるのですね。
 つまり放射能を閉じ込めるという防壁に関していえば、何も無いという場所に使用済燃料プールがあるのです。
 そしてそのプールの中に、4号機の場合には原子炉の中に通常入っている燃料の2倍あるいは3倍分ぐらいの使用済みの燃料がたまっているのです」
水野
「2倍、3倍たまっている」
小出
「はい。そして、4号機というあの建物はですね、水素爆発でやはり吹き飛んでいるのですけれども。
 4号機の場合の水素爆発は、非常に変わった形で起きていまして、
 1号機も3号機もオペレーションフロアーと私が、私たちが呼ぶ、最上階の部分で爆発が起きて、
 いわゆるまあ体育館のようなどん長の部分が吹き飛んでいるのですが、4号機だけはそうではないのです。
 そのどん長の部分も吹き飛んでいるし、さらにその下の1階、さらにまたもっと下のもう1階分ぐらいのところの建屋が爆発で吹き飛んでいるのです。
 実はだから、そこに使用済燃料プールが埋めこまれている場所というところが、すでに爆発で破壊されてしまっているわけで。
 いつ使用済燃料プールが崩壊してしまうかがわからないという、そういう状態が3月15日でしたでしょうか、4号機の爆発以降ずうっと続いている
のです」
水野
「え、今も続いてるってことですね」
小出
「続いているのです」
水野
「その、プールが崩壊の危機にさらされている状況は今も続いているんですね」
小出
「はい。ただし、東京電力ももちろんそのことの重大性に気がついていまして、
 4号機の使用済燃料プールをとにかく崩壊から守ろうとして、え…耐震補強工事というのをやったのです。
 でも、余りにもひどい、ようするに作業環境で工事を行ってきているわけだし、それしかできないわけで。
 ゆっくりゆっくりその、きちっとした工事をするというようなことが、実際上はできないような現場なんです
ね。
 そこででも東京電力は苦闘しながらやったとは言っているわけですけれども、これからまだまだ余震も来るでしょうし。
 次に大きな余震が来たときに4号機の使用済み燃料プールが、本当に壊れないんだろうかということが私は不安なのです。
 もし壊れてしまえば、政府が3月15日の頃に予想したように、250キロというようなところも膨大な汚染を受けるようなことになると思います


水野
「はあ…そういう不安な状況が今も続いていると、認識しなきゃいけないんですね」
小出
「そうなのです」



以下はわたし個人のつぶやきです。
この4号機の現状については、今までにもいろんな情報が耳に入ってきていて、それをここに載せるかどうか散々迷ってきました。
けれども、事が事だけに、載せることで心配や恐怖を煽ることになる。
その心配や恐怖が無用のことだった場合、わたしには責任の取り様がありません。
なので、ずっと、情報を集めることだけに専念してきました。

もちろん今も、取り越し苦労だった、と笑って言えることを心から願っています。
けれど、この4号機からさほど離れていない所にお住まいの方々は、どうか、万が一の場合の心準備と、物理的な準備をきちんとしておいてください。
正直に言うと、今すぐにでも、その環境から遠ざかって欲しいと思っています。
深刻な憂いは神経を弱らせます。
実際に、事故以前には考えられないほどの高い放射能汚染に襲われ続けている身体も心配です。
もしも、近くの誰かが、血相を変えて脱兎のごとく逃げ出すのを見たら、多分あなたもこれは大変だと思って行動するかもしれません。
大津波が襲ってきたあの時のように。
まずは自分のことを守り切ってください。
自分を真剣に、最大限に守ろうとした時、その自分の周りにいる、大切な家族や友人やペットのことも守ろうと思えるはずです。
どうか、自分を、家族を、ペットを、友人を守ってください。
町つくりはまた後で。
そんなものはいつでも、生き残った人達が大勢いればできることです。
今一番優先しなければならないことは何か、それに気がついてください。
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ほんまのことを知りたい人はツィートテレビを観て!

2012年01月09日 | 日本とわたし
ツィートテレビ ホームページ 

マスコミでは流せない情報をガンガン流してくれるツィートテレビ!
今の今まで、ずっと前からあったこと知らんかった……おぉ~のぉ~!
もし、みんなで支援し合ったら、ほんで放映に充分なお金が集まったら、これをテレビで流せるようになるんかなあ……。
 
『最新のツィッター情報から毎日(土日祝除く)ニュースをお届けします。
ニュースの動画はYouTube,USTREAM、ツィッターからもご覧いただけます』
とのことです!

ここでわたしは大きな声で言います!


苦手やとか、ようわからんとか、自分には合わんとか、
そんなこと言うてんと、どうかツィッターを始めてみてください。
なんで?って……。
始めはったらわかります。ものの一分もせんうちに。
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とりあえず仕事も学校も家も何も捨て去る準備を!今の福島第一4号炉の状態はそれほど危うい!

2012年01月09日 | 日本とわたし
田中優の“持続する志” 優さんメルマガ 第109号 2012.1.7 発行 より転載させていただきます。

◆田中優より◆ 

「新年の憂うつ」

**************

新年、あけましておめでとうございます。
しかし今年は「おめでとう」と言いにくいという賀状もたくさんありましたね。
でも新たな年を生きて迎えられたことを喜ぶ意図でしょうから、おめでとうございます。

でも新年早々、うれしくない話です。

「収束宣言」なるものが、まともにモノを考えていない人たちから発表されていました。
細野原発担当大臣は、「住民が追加で避難しなければならない事態はもう絶対起こらない」と言ったそうです。

一方で東京電力西沢社長の年頭あいさつは、
「(昨年は)天地がひっくり返った1年だった」と述べたそうです。

「あんたが言うな!」と思うんですよね。
交通事故の加害者が、「天地がひっくり返った」とは言わないでしょ?
しかも東京電力は、除染についても「ボランティアで協力したい」「お手伝いしたい」と言っているのです。
「誰のせいだよ!」と突っ込みたくなります。
要は責任を取らなきゃいけない加害者だという意識がないんです。

これって日本によくあることですね。
戦争責任にしたって、誰もが「その時代には反対できなかった」とか、「せざるを得なかった」とか言って、
誰もが主体的に動いていなかったと責任を逃れています。
いや、違いますね、主体的に判断しなかったことが犯罪なんです。

原発を推進してきた人たちの大半もまた、こんな無責任な人たちですね。
安全委員の長だった斑目氏は、ばりばり業界から寄付金を受け取っておいて、
ばれると「私は変な使い方をしていないから、みなさんに判断してもらえばいい」と言ってます。
いや、もらうこと自体が問題なんですよ。
みなさんの判断じゃなくて、あなたの無責任極まりない行動が問題なんです。

そして収束宣言して「避難は絶対起こらない」と言った直後の元旦、関東を地震が襲ったわけです。
地震はわずか震度4、日本じゃさほど驚かないレベルです。
ところがそこから、福島第一4号炉の冷却水の漏れが始まったわけです。
これ、政府は「最も核燃料の溶融が懸念された4号機について耐震補強工事を施すなどし、こうした(危機的な)事態は回避された」と言っていたんです。
今回の冷却水漏れは、4号炉が地震で傾いたことが原因と見られています。
「耐震補強工事を施し、危機は回避された」んじゃないんですか? 
また「想定外」なんでしょうか。
そっちは想定外でも、「最も核燃料の溶融が懸念された4号機」であることは変わらないわけですよね。

みなさん覚えていますか? 
4号炉が爆発したとき、この原発は稼働していなかったんです。
原子炉の隣にある「使用済み核燃料のプール」に置いてあった、冷却中の使用済み核燃料が水を失って熱くなり、
燃料棒を覆っているジルコニウムが溶けて水素を発生させたんです。
それで爆発した
んです。

その冷却水が今、漏れているんです。
爆発して、どこまで核燃料が溶けたのか、まだ分からないままです。
しかもその位置は、原子炉の高さと同じ高さにあります。
この4号炉が崩れ落ちたら、核燃料がそこらに散らばってしまいます。
誰ももう冷却できません。
メルトダウンして、チャイナシンドロームになるのは避けられないじゃないですか。
それが「最も核燃料の溶融が懸念された4号機」なんです。
それを管理しているのが「絶対起こらない」という政府の細野原発担当大臣と、自分の責任だと思っていない東京電力なんです。
危険だと思いませんか?


「耐震補強工事を施した」と言われても、震度4で影響が出ちゃう対策ってどんなもんなんですか?
近所のボロ家だって傾いてないっすよ。
これが怖いんです。
あなたたちが信頼できないんです。
言ってる端から
ボロが出てるじゃないですか。
ジンクスで言うなら、「住民が追加で避難しなければならない事態」はきっと起こるでしょう。
毎回裏目に出ていますから。

ぼくは2011年3月15日朝に流したように、もう一度「できるだけ避難を」というメールを残念ながら流さなければならなくなるかもしれません。
今すぐではないですが、準備をしておいてほしいと思います。
日本は地震の極めて多い国です。
しかもその地震の数は、2000年以降は桁外れに多くなっています。

震度4で傾いて水漏れする原発が、今後も無事であると予想するほうが難しいです。
しかも使用済み核燃料の束は、1,331体もあるんです。
こいつが頭から降ってきたら、もう無理ではないですか? 
日本の中だけで避難しても足りないかもしれません。
運が悪ければ、核爆発するほどの量です。
1月5日の夜には、福島県の中通りのほうに震度4の地震がありました。
かすってるじゃないですか。
原発のある浜通りまであと少しです。

この使用済み核燃料を、一体ずつ抜き取って、別な場所に、安全に管理しなければならないと思います。
収束宣言は、それからにしてください。
核燃料がどうなっているのかわからないのに、収束宣言するのはばかげています。
もっと責任感を持って、もっと真剣に考えてください。


日本は原発を建てたときから、地震と津波に関しては保険を掛けられませんでした。
確率が高すぎるからです。
しかも今回の事故を「津波のせい」にしようとしてます。
「千年に一度の津波」だと。
でもそれもウソですね。
IAEA(国際原子力機関)に報告した津波高は「14~15メートル」ですが、それは水が上がった「侵入高」でしょ? 
津波は波の高さである「津波高」で言うことになっているんです。
今回の津波高は7メートル程度です。
昭和8年にも同程度の津波が東北に来ているじゃないですか。
百年も経っていないんです。
それでも「千年に一度」ですか?

ぼくらの将来をなくすのは、政府や東電のような「無責任と不真面目さ」のおかげだと思います。
しかし私たちも反省すべき点があります。
「自分で判断してこなかったこと」です。
考えるのをあきらめて、どっかの無責任な専門家を信じて、自分の生命に対して無責任な態度をとってきたことです。

とりあえず避難できる準備をしてください。
仕事も学校も家も何も捨て去る準備を。
今の福島第一4号炉の状態は、それほど危ういと思います。



続いて、1月8日に、東京新聞に掲載された、4号機タンクの水位低下についての記事を転載します。

【福島第一原発の現状】4号機タンクの水位低下

『1月1~7日の1週間、福島第一原発では、1日午後に、4号機の使用済み核燃料プールに隣接したタンクの水位が急に下がった。
直前に、東北や関東で震度4を記録した地震の影響
とみられる。



タンクの水は蒸発で減るが、この時は通常時の約5倍のペースで低下
当初、東京電力は水漏れを疑った。
その後の調査で、水漏れはなく、地震の影響により、プールからタンクに流れ込む水が一時的に止まっていただけの可能性が高いと分かった。

一方、高濃度汚染水を処理した水が流れるホースに、雑草のチガヤが刺さり、小さな穴から水漏れを起こす現象に現場は悩まされてきた。
東電が集計したところ、昨年7月以降、22件もあった。

原子炉への循環式注水は、長期にわたって続ける必要があり、こうした小さな問題は早いうちに解決しておくことが重要。
東電は対応策を練っている』



さて、専門家でもないわたしには、タンクの水位が急に下がった本当の理由など、つきとめられる知恵も術も無いけど、
この4号機の危険度は、どうも政府や東電が思いたい程度のものではなさそうやということだけは、世界各地からの情報でわかる。

水漏れがあろうとなかろうと、たった震度4(こんなふうに思てしまう自分が怖い)程度の地震で、
今度こそほんまに、とりかえしのつかん、致命的な事態を招くかもしれんほどに壊れてしもてる原発があるということ、
これがかなん……ほんまにかなん……。

そんな恐ろしいもんを人に任せっきりで、これ以上避難せなあかんようなことは絶対起こらんやの、収束したやの、自分らの責任ちゃうやの、
無責任極まりない、不真面目な連中が、責任者面して好き放題言うてるのを、なんの迷いも無く垂れ流してる新聞やテレビ。
これもかなん……ほんまにかなん……。

よう噛んで、早寝早起きして、なんぼ健康に気ぃつけてたかて、空から核物質がワラワラと降ってきたらどうにもしゃあない。
原発をホイホイ増やしてきたあんたら、現職引退してようがしてまいが、自分らの欲得を満たしてきてくれた核燃料や、かわいいやろ?
ひとり一本ずつ引っこ抜いて、ようよう注意して、ここやったら安全やという場所教えてもろて、そこに家と管理小屋建てて暮らしたらええやん。

こんなこと言うてもしゃあないと思ててもつい言うてしまう。
このあほらしさと一日も早う決別したい。
コメント (2)
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