まだこちらは17日になってないけど、17年前の17日の早朝5時46分に、阪神・淡路大震災があった。
6500人もの人が亡くなってしもた。
あの日、旦那と息子達(8才と6才)とわたしは大津に暮らしていて、最初の路地奥の置屋の長屋から、とりあえず壁がどこともつながってない一軒家に引っ越したとこやった。
けどもその家は、正面から見ると、かなりの角度で傾いてる、その通りで一番ボロいことで有名な家やった。
地震が来た時、軋むというより咽び泣くような音がして、家全体が信じられへんほど長く、大きく、横に揺れた。
生まれて初めて腰が抜けて、気持ちは息子らが寝てる二段ベッド(実は織物を保管するための棚やったとこ)に向かうも全く動けず、
同じく生まれて初めて経験したとんでもない揺れで立ち上がれんまま、それでも旦那は、まるでゴリラのおっさんのように、奇妙な動き方をしながら息子らのとこへすっ飛んでった。
いろんなところが爆発して、火災が起こり、生きながらにして焼かれていく家族を見守らなあかんかった人がいた。
悲惨とかいう言葉なんか使てもしょうがないほどに、辛くて惨いことがあちこちで起こった。
報道のためのヘリコプターがバタバタとうるさい音をたてて、そのために、瓦礫の中から助けを求めてる人や動物の声が聞こえんかったりした。
毎日テレビをつけっ放しにして、三日間ほどずっと泣いてた。
運良く家族全員無事にいられることのありがたさに、手を合わせて感謝した。
14日と15日、横浜のパシフィコというとこで、脱原発世界会議が開催された。
↓毎日新聞
脱原発世界会議:「廃炉へ工程表を」宣言発表し閉幕-横浜/神奈川
横浜市西区で開かれた世界約30カ国の専門家や市民が原発について考える「脱原発世界会議」は最終日の15日、「原発のない世界のための横浜宣言」を発表し、閉幕した。
ピースボートなど6団体でつくる実行委員会によると、14日からの2日間で延べ約1万1500人が参加した。
両日で約100のテーマ部会が企画され、15日の「脱原発・首長会義」には福島県南相馬市の桜井勝延市長ら8人の首長や首長経験者が出席。
桜井市長は「原発事故を二度と起さないために脱原発を力強く口にするようになった」と明かした。
また、96年に東北電力巻原発建設計画の賛否を問う住民投票を実施した新潟県巻町(現・新潟市)の笹口孝明元町長は、
「国策に地域住民が声を出すのはおかしいという議論もあるが、生命健康に関わることは住民に決定権があるはず」と指摘。
住民投票で反対多数の結果が出たことから、笹口氏は計画への不同意を表明し、東北電力が計画を断念した。
会議に出席した首長らで「脱原発市区町村長会議」を結成することも決定。
閉幕イベントで「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発を廃炉にする工程表を作る」ことを目指す「横浜宣言」を明らかにした。【高橋直純】
↓共同通信
横浜の脱原発世界会議に3千人 避難児童「大切なのは命」
「脱原発世界会議」で「原発はいらない」と訴える福島県郡山市の富塚悠吏君=14日午後、横浜市
東京電力福島第1原発事故をきっかけに「原発のない未来」を話し合う「脱原発世界会議」(ピースボートなど主催)が14日、横浜市で始まり、
約30カ国から原子力の専門家や市民活動家らを含む約3千人が参加。
福島からの避難者が「原発はいらない」と訴えた。
開会式では、福島県郡山市から横浜市に避難している小学4年富塚悠吏君(10)が、
「政治家に言いたい。大切なのは僕たちの命ですか、お金ですか。僕は病気になりたくない。原発は子どもにはいらない」と訴えた。
東京都内に滞在している郡山市の女性(33)が家族や友人と別れのつらさを語ると、涙を拭う外国人参加者の姿も。
2012/01/14 19:21
会場に入りきれん人達がいた。
会議と並行して、原発反対のデモ行進が行われた。こちらも5千人集まったそうな。
地震がいっぱい起こる島、日本。
もしもの時の避難セットやら、家具が倒れんような器具をきちっとつけたり揃えたりするのに、
なんで、なんで、こんないっぱい、核物質だらけの建物を次から次へと建ててしもたんやろ。
わたしら国民が、いくら騙されやすいからいうても、危ないもんやってことは関係してる人らにはわかってたはずやのに。
17年前の、あの巨大で、情け容赦のない自然の現象を、日本はただただ受け入れて、共に生きていかなあかん国なんやと思い知ったんと違たんか。
17年前のあの地震の後に、良識と誠意でもって民を守るという意思があるもんが、政治家や企業家や専門の学者に存在してたら、
ほんでわたしらも、ただただ便利やの快適やのという言葉のリズムが心地良うて、のんきに調子に乗って踊ってたりしてへんかったら、
地震より6年ほど前に起こったチェルノブイリ事故の現実を、活断層だらけの海岸線に建つ原発とつなげて、真剣になんとかせなって思てたら、
こんな悲惨な日本になってへんかったんやろか……。
……やったら、……してたら、そんなことをなんぼ悔やんでももう起こってしもたもんは消されへん。
わたしらの手で、うんと悔やんで省みたわたしらの思いで消せるのは、いや、消さなあかんのは、核物質の燃料やゴミや兵器。
絶対にこれだけは実現させな、これからの子達に、世界に、地球に、宇宙に申し訳がたたへん。
17年前だけやない、それまでにも、それから後にも、いろんな天災や事故で命を失った人達の、生きたかった思いに報いるためにも。
6500人もの人が亡くなってしもた。
あの日、旦那と息子達(8才と6才)とわたしは大津に暮らしていて、最初の路地奥の置屋の長屋から、とりあえず壁がどこともつながってない一軒家に引っ越したとこやった。
けどもその家は、正面から見ると、かなりの角度で傾いてる、その通りで一番ボロいことで有名な家やった。
地震が来た時、軋むというより咽び泣くような音がして、家全体が信じられへんほど長く、大きく、横に揺れた。
生まれて初めて腰が抜けて、気持ちは息子らが寝てる二段ベッド(実は織物を保管するための棚やったとこ)に向かうも全く動けず、
同じく生まれて初めて経験したとんでもない揺れで立ち上がれんまま、それでも旦那は、まるでゴリラのおっさんのように、奇妙な動き方をしながら息子らのとこへすっ飛んでった。
いろんなところが爆発して、火災が起こり、生きながらにして焼かれていく家族を見守らなあかんかった人がいた。
悲惨とかいう言葉なんか使てもしょうがないほどに、辛くて惨いことがあちこちで起こった。
報道のためのヘリコプターがバタバタとうるさい音をたてて、そのために、瓦礫の中から助けを求めてる人や動物の声が聞こえんかったりした。
毎日テレビをつけっ放しにして、三日間ほどずっと泣いてた。
運良く家族全員無事にいられることのありがたさに、手を合わせて感謝した。
14日と15日、横浜のパシフィコというとこで、脱原発世界会議が開催された。
↓毎日新聞
脱原発世界会議:「廃炉へ工程表を」宣言発表し閉幕-横浜/神奈川
横浜市西区で開かれた世界約30カ国の専門家や市民が原発について考える「脱原発世界会議」は最終日の15日、「原発のない世界のための横浜宣言」を発表し、閉幕した。
ピースボートなど6団体でつくる実行委員会によると、14日からの2日間で延べ約1万1500人が参加した。
両日で約100のテーマ部会が企画され、15日の「脱原発・首長会義」には福島県南相馬市の桜井勝延市長ら8人の首長や首長経験者が出席。
桜井市長は「原発事故を二度と起さないために脱原発を力強く口にするようになった」と明かした。
また、96年に東北電力巻原発建設計画の賛否を問う住民投票を実施した新潟県巻町(現・新潟市)の笹口孝明元町長は、
「国策に地域住民が声を出すのはおかしいという議論もあるが、生命健康に関わることは住民に決定権があるはず」と指摘。
住民投票で反対多数の結果が出たことから、笹口氏は計画への不同意を表明し、東北電力が計画を断念した。
会議に出席した首長らで「脱原発市区町村長会議」を結成することも決定。
閉幕イベントで「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発を廃炉にする工程表を作る」ことを目指す「横浜宣言」を明らかにした。【高橋直純】
↓共同通信
横浜の脱原発世界会議に3千人 避難児童「大切なのは命」
「脱原発世界会議」で「原発はいらない」と訴える福島県郡山市の富塚悠吏君=14日午後、横浜市
東京電力福島第1原発事故をきっかけに「原発のない未来」を話し合う「脱原発世界会議」(ピースボートなど主催)が14日、横浜市で始まり、
約30カ国から原子力の専門家や市民活動家らを含む約3千人が参加。
福島からの避難者が「原発はいらない」と訴えた。
開会式では、福島県郡山市から横浜市に避難している小学4年富塚悠吏君(10)が、
「政治家に言いたい。大切なのは僕たちの命ですか、お金ですか。僕は病気になりたくない。原発は子どもにはいらない」と訴えた。
東京都内に滞在している郡山市の女性(33)が家族や友人と別れのつらさを語ると、涙を拭う外国人参加者の姿も。
2012/01/14 19:21
会場に入りきれん人達がいた。
会議と並行して、原発反対のデモ行進が行われた。こちらも5千人集まったそうな。
地震がいっぱい起こる島、日本。
もしもの時の避難セットやら、家具が倒れんような器具をきちっとつけたり揃えたりするのに、
なんで、なんで、こんないっぱい、核物質だらけの建物を次から次へと建ててしもたんやろ。
わたしら国民が、いくら騙されやすいからいうても、危ないもんやってことは関係してる人らにはわかってたはずやのに。
17年前の、あの巨大で、情け容赦のない自然の現象を、日本はただただ受け入れて、共に生きていかなあかん国なんやと思い知ったんと違たんか。
17年前のあの地震の後に、良識と誠意でもって民を守るという意思があるもんが、政治家や企業家や専門の学者に存在してたら、
ほんでわたしらも、ただただ便利やの快適やのという言葉のリズムが心地良うて、のんきに調子に乗って踊ってたりしてへんかったら、
地震より6年ほど前に起こったチェルノブイリ事故の現実を、活断層だらけの海岸線に建つ原発とつなげて、真剣になんとかせなって思てたら、
こんな悲惨な日本になってへんかったんやろか……。
……やったら、……してたら、そんなことをなんぼ悔やんでももう起こってしもたもんは消されへん。
わたしらの手で、うんと悔やんで省みたわたしらの思いで消せるのは、いや、消さなあかんのは、核物質の燃料やゴミや兵器。
絶対にこれだけは実現させな、これからの子達に、世界に、地球に、宇宙に申し訳がたたへん。
17年前だけやない、それまでにも、それから後にも、いろんな天災や事故で命を失った人達の、生きたかった思いに報いるためにも。