我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

送別会ということで、舞子です。

2019年03月02日 | お出かけ
今日は私の定年退職にかかる送別会ということで、先ずは明石駅に到着。MT-03で行く予定でしたが、ちょいと明石駅周辺で用事があったので、素直に電車で行くことにしました。^^

初めてiPhoneのSuicaで自動改札を通りましたが、緊張の割にはあっけなく通過。(笑)



舞子駅に到着です。



海側に出ると、明石海峡大橋と橋の科学館です。



送別会の集合時間まで時間があるので、孫文記念館(移情閣)でも寄ってみましょうか。赤四角が送別会が開催されるホテルで、青四角が孫文記念館(移情閣)です。



孫文記念館(移情閣)の全景です。孫文記念館は1915年建築で、現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物です。国の重要文化財にも指定されています。(ウィキによる)



到着しました。



辛亥革命の父といわれる孫文ですが、この移情閣は1913年に孫文一行が神戸を訪れた際の歓迎会場でした。そんなところで、辛亥革命や孫文に関する資料が展示されています。



辛亥革命をきっかけに清朝の時代は終わりましたが、このあたりは映画「ラスト・エンペラー」(私的には1,2を争う名作)の最初に方に描かれていました。

されど私が注目したのは、建物そのものです。例えば壁クロスは「金唐紙」という、現在では考えられない非常に凝ったクロスが貼られています。






さらに、六角形に妻側の2辺を加えた八角形の天井です。



天井中央部には、見事な龍が造作されています。



2階に上がってみましょう。



2階の天井も八角形。



こちらの中央部には、鳳凰と蓮の花(かな?)が造作されています。当時の職人さんの技が感じられる、素晴らしいものでした。



また舞子の歴史を紹介する写真に目が・・・現在の山陽電車の明石までの開業は1917年だったことや、国道2号線は舞子の松林を縦貫し、1928年に拡幅工事が行われたのが分かります。



当時の国道2号線の様子です。






1954年当時の舞子浜の写真ですが、私が舞子に住んでいた頃(1971~1978年)もこんな感じでした。



現在の兵庫県庁のあたりは、以前は神戸高等女学校だとは知りませんでした。



それではボチボチと集合時間が近付いてきましたので、会場のホテルに向かいましょう。以前に訪れた「旧武藤山治邸」にも再訪したいのですが、次回のお楽しみです。



菜の花の植え込みがあり、



運よく、蜂も入れて撮れました。(^^)



送別会の会場である、ホテル「セトレ」に到着です。



ロビーの窓越しに、明石海峡大橋が一望できます。



で、送別会の食事の内容を・・・ダラダラと料理の画像を並べても退屈でしょうから、一枚の画像にまとめました。^^



最後のデザートに幹事さんの心遣いが・・・嬉しいところです。






送別会も終わり、ロビーの前では結婚式を終えられた新郎新婦さんです。



私は送別会で、お二人さんは結婚式という、同じ人生の節目でしたが、お二人にはまだまだ将来という多くの時間があります。それに比して、私は夕陽の時間でしょうか。最近、時間を大切にするようになりました。

こんなところで、送別会も終わりました。まだ送別会は残っていますが、4月以降も同じところで働く可能性もあり、何か気恥ずかしいところです。^^
コメント (11)
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