前回の続きで、二日目です。ホテルから朝陽を望みますが、右側に伸びる線路は総武線です。
宿泊した、市川駅前のホテル。こちらでもコロナワクチンの集団接種が行われていました。

そして、市川駅です。グリーンの自動改札が、いかにもJR東日本らしいところ。^^



この日は、先ず中央・総武線で飯田橋駅に向かいます。

東京スカイツリーや国技館を見ながら、秋葉原駅で途中下車。重い荷物をコインロッカーに入れるためです。

そして、飯田橋駅に到着。

飯田橋駅からは、法政大学キャンパスを横目で見ながら15分ぐらいで目的地に到着。

ここは靖国神社内の遊就館です。およそ18年ぶりの来訪です。

一見、新しく見えますが、本館はこちら。遊就館の歴史は古く、開設は西南戦争終了後の1878年(明治11年)。その後、関東大震災で初代の建物は損壊し、この建物は1932年(昭和7年)に再建されたものです。

こちらでの目的は、零戦、彗星、九七式中戦車の実機・実車の撮影。^^



それぞれ、このブログの「ミリタリー」のカテゴリーで詳しく紹介しますが、とりあえず一部を紹介。先ずは無料の玄関ホールに置かれたC56蒸気機関車。この蒸気機関車は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった、泰緬鉄道で実際に使われていた車両です。


そして、八九式十五糎加農砲と九六式十五糎榴弾砲。どちらも、昭和20年の沖縄戦で実際に使われた大砲です。戦後、洞窟内などから発見され、遊就館に運び込まれ展示されています。


それでは、有料エリアに入りましょう。神社なので、入場券ではなく拝観券となります。

遊就館は戦没した方の遺品や遺影が展示されていますので、ほとんどが撮影禁止。撮影できるのは、先ほどの玄関ホールと大展示室だけです。その大展示室です。

戦後、南方などで集められたヘルメットや水筒なども展示されています。

これが遊就館の案内図。源平の時代から、先の大戦終了後の東京裁判までの、日本における戦いの歴史を紹介する施設です。

遊就館について語るのは難しいところですが、とりあえず教科書では学べない歴史を学ぶことができます。されど私的には、「う~ん、ちょっと変だな」と思ったことも事実。何万人もの兵士を無謀な作戦で死に追いやった愚将までも、英雄的に展示されているのは疑問でした。
遊就館の後は飯田橋駅に戻り、中央・総武線で秋葉原駅に到着。息子と待ち合わせですが、時間があるのでヨドバシに。秋葉原のヨドバシは巨大ですが、面積的には大阪・梅田のヨドバシの方が大きいでしょう。

昭和通り口改札で、無事に息子と合流。この後は、息子がよく知っている中華料理店でランチです。こちらの麻婆豆腐は、口から火が出るほどの激辛とか。ブロ友の某氏にお勧めしたいところ。^^


あえて激辛を避けて、チャーシュー炒飯を選択。

こんなサービス付きで850円なり。

出てきました。

食後、秋葉原駅で息子とは解散。来月に明石に帰ってくるそうなので、しばしのお別れです。
私は重い荷物を担いで、山手線で東京駅に到着。時間があるので、京浜東北線が東京駅に到着する様子を撮影。
関西人にとっては、東京駅のアナウンスやチャイム音が新鮮。動画ですが、音声をお聞きください(撮鉄ではなく音鉄)。特に37秒から流れるチャイムを聴くと、東京に来たんだな~と思います。(^^)
お土産物を物色していると、帰りの「ひかり」の発車時間が近づきました。一番上の表示が、私が乗る「ひかり515号」です。

「ひかり515号」は「こだま」の折り返し運転となるので、車内清掃スタッフの方が並んで、到着を待っています。

いよいよ新幹線に乗り込み、東京ともお別れです。

定刻どおり西明石駅に到着後、明石駅には17時半ぐらいに帰ってきました。それにしても暑い二日間でした。さらに歩いた歩数は、二日間で2万5千歩あまり。翌日から足腰がガタガタでした(涙)。原付バイクでもあればなあ~、と何度も思ったものです。
宿泊した、市川駅前のホテル。こちらでもコロナワクチンの集団接種が行われていました。

そして、市川駅です。グリーンの自動改札が、いかにもJR東日本らしいところ。^^



この日は、先ず中央・総武線で飯田橋駅に向かいます。

東京スカイツリーや国技館を見ながら、秋葉原駅で途中下車。重い荷物をコインロッカーに入れるためです。

そして、飯田橋駅に到着。

飯田橋駅からは、法政大学キャンパスを横目で見ながら15分ぐらいで目的地に到着。

ここは靖国神社内の遊就館です。およそ18年ぶりの来訪です。

一見、新しく見えますが、本館はこちら。遊就館の歴史は古く、開設は西南戦争終了後の1878年(明治11年)。その後、関東大震災で初代の建物は損壊し、この建物は1932年(昭和7年)に再建されたものです。

こちらでの目的は、零戦、彗星、九七式中戦車の実機・実車の撮影。^^



それぞれ、このブログの「ミリタリー」のカテゴリーで詳しく紹介しますが、とりあえず一部を紹介。先ずは無料の玄関ホールに置かれたC56蒸気機関車。この蒸気機関車は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった、泰緬鉄道で実際に使われていた車両です。


そして、八九式十五糎加農砲と九六式十五糎榴弾砲。どちらも、昭和20年の沖縄戦で実際に使われた大砲です。戦後、洞窟内などから発見され、遊就館に運び込まれ展示されています。


それでは、有料エリアに入りましょう。神社なので、入場券ではなく拝観券となります。

遊就館は戦没した方の遺品や遺影が展示されていますので、ほとんどが撮影禁止。撮影できるのは、先ほどの玄関ホールと大展示室だけです。その大展示室です。

戦後、南方などで集められたヘルメットや水筒なども展示されています。

これが遊就館の案内図。源平の時代から、先の大戦終了後の東京裁判までの、日本における戦いの歴史を紹介する施設です。

遊就館について語るのは難しいところですが、とりあえず教科書では学べない歴史を学ぶことができます。されど私的には、「う~ん、ちょっと変だな」と思ったことも事実。何万人もの兵士を無謀な作戦で死に追いやった愚将までも、英雄的に展示されているのは疑問でした。
遊就館の後は飯田橋駅に戻り、中央・総武線で秋葉原駅に到着。息子と待ち合わせですが、時間があるのでヨドバシに。秋葉原のヨドバシは巨大ですが、面積的には大阪・梅田のヨドバシの方が大きいでしょう。

昭和通り口改札で、無事に息子と合流。この後は、息子がよく知っている中華料理店でランチです。こちらの麻婆豆腐は、口から火が出るほどの激辛とか。ブロ友の某氏にお勧めしたいところ。^^


あえて激辛を避けて、チャーシュー炒飯を選択。

こんなサービス付きで850円なり。

出てきました。

食後、秋葉原駅で息子とは解散。来月に明石に帰ってくるそうなので、しばしのお別れです。
私は重い荷物を担いで、山手線で東京駅に到着。時間があるので、京浜東北線が東京駅に到着する様子を撮影。
関西人にとっては、東京駅のアナウンスやチャイム音が新鮮。動画ですが、音声をお聞きください(撮鉄ではなく音鉄)。特に37秒から流れるチャイムを聴くと、東京に来たんだな~と思います。(^^)
お土産物を物色していると、帰りの「ひかり」の発車時間が近づきました。一番上の表示が、私が乗る「ひかり515号」です。

「ひかり515号」は「こだま」の折り返し運転となるので、車内清掃スタッフの方が並んで、到着を待っています。

いよいよ新幹線に乗り込み、東京ともお別れです。

定刻どおり西明石駅に到着後、明石駅には17時半ぐらいに帰ってきました。それにしても暑い二日間でした。さらに歩いた歩数は、二日間で2万5千歩あまり。翌日から足腰がガタガタでした(涙)。原付バイクでもあればなあ~、と何度も思ったものです。