前回、前々回記事と時系列的には前後しますが、10/31はVINO(ビーノ)に乗って明石駅前バイク置場。
JR明石駅からは、時間があるので普通電車に乗車。
そして、元町駅に到着です。
とりあえず、先ずは駅前の喫煙所。^^
JR三宮駅前に、喫煙所をあるとは知りませんでした。あらたな発見です。
この日の目的地は、元町駅から一駅東側の三宮駅前ですが、日常のウォーキングを兼ねて歩きます。出発地点は、三宮センター街の西入口。
少し歩くと、神戸の老舗中華料理店。子供の頃に家族で大丸に買物に行った時、大丸の大食堂が混雑していれば、こちらで昼食した思い出のお店。よくワンタンメンを食べました。
さらに歩くと、こんな立ち飲み屋さん。ここだけ姫路の雰囲気。(^^)
朝8時半からの開店とはすごい!姫路に負けずと、神戸も飲むのが好きな方が多いのでしょう。^^
さらに歩くと、ブロ友のT2さんに教えていただいた模型屋さん。旧スポーツワールド33の地下2階となります。
こちらが店内ですが、
T2さんが好きな戦車プラモ。
私も戦車は好きですが、こちらの方がさらに好み。このブログでの私の名前の由来である、Me262A-2a(私は1a。2aは爆撃機型)のプラモもありました。されど、1/48スケールというのが惜しい!私は1/32の大型プラモが好きです。
何か買いたかったのですが、この後、プラモの箱を持ち歩くのは邪魔。また次の機会に・・・です。
三宮センター街を最後まで歩くと、神戸阪急が見えてきました。これにてウォーキングも終了。元町駅からここまで、大体、2千歩ということで、2km弱でしょう。
少し早いですが、昼食としましょう。昼食場所は、ほぼ三宮駅直結の吉野家です。意外と皆さんご存じでない、こちらの吉野家。隠れ家的な吉野家です。
この時期の吉野家といえば、やはり「牛すき鍋膳」。楽天ポイントがありましたので、無料で食します。^^
ここの吉野家はセルフ制。大型フードコートのように、渡されたリモコンがブルブルと振動したら取りに行き、食べ終わると返却口まで返すセルフ制です。
ブルブルと振動したので取りに行きました。おなじみの「牛すき鍋膳」。私的には、もう少し漬物の量を増やして欲しいところ。
牛肉の量は変われども、何か年々肉質が落ちたように思うのは私の勘違いか。さらに以前は固形燃料でグツグツと煮ていたのが、知らぬ間に無くなりました。これもコストと店員さんの業務量削減かな?です。
吉野家を出て、少し歩くと空港バス乗場。2か月ほど前、ここから北海道旅行のために関空行きのバスに乗ったのも、何か遠い昔のような感じ。
次に向かうは、前述の三宮駅の喫煙所。どこだ!どこだ!で歩くと見つかりました。JR高架下で、神戸市バス乗場のほぼ正面でした。
中に入ると、まんま甲子園球場の喫煙所並みの混雑。まるでバルサンを炊いたような白煙の世界。(^^)
それでは、この日の目的地に向かいましょう。ミント神戸2階から、南側へ伸びる歩道橋から見える黄色四角です。
近くまで行って撮影。地下に降りる、A14番出入口です。
施錠付で、夜間は閉鎖されるのでしょう。
後ろ側から撮影。
鉄筋コンクリート製のようですが、現在の鉄筋コンクリートは、鉄筋を組んで、コンパネというベニヤ板の型枠にコンクリートを流し込みます(打設という)。されど、この出入口は型枠ではなく、職人さんがコテで成形したような感じです。
この度、この出入口に来たのは、この出入口は三宮駅ビル整備に伴い閉鎖され、やがては除却されるとか。されど、この出入口は、何と昭和初期(1930年頃)に作られた近代遺産です。
加えて1938年(昭和13年)の阪神大水害や、1945年(昭和20年)の神戸空襲、それに阪神淡路大震災に耐えた出入口ということで、歴史の生き証人と言えるでしょう。
ちなみに、この画像は1930年頃の写真。赤丸のように現存しています。黄色四角には「大阪行特急 阪神電車」と垂幕があり、当時から阪神電車の三宮駅は、現在の神戸阪急の地下にあったことが分かります。
蛇足ですが、阪神大水害の写真です。1938年(昭和13年)7月3日から7月5日にかけて、総降水量は六甲山で616mm。市街地でも460mmの記録的大雨となりました。
こちらが、神戸空襲後の三宮駅周辺。出入口は残っています。
それでは、地下出入口を降りてみましょう。降りると、昭和初期の時代にタイムスリップするような錯覚を覚えます。
内壁は土圧に耐えるように、コンクリート板をレンガ積のように造られています。
降り切って振り返ると、出入口の向こう側は、現在につながるタイムトンネルのように感じます。
地下街は、ご覧のとおり。タイムスリップしませんでした。^^
前述のとおり、11/7をもって閉鎖される告知。このブログをご覧になって行かれても、残念ですが既に閉鎖されています。
右側に進むと、santica・味ののれん街となります。
案内表示は、こんなところ。
戻って、左側に進みましょう。すると旧OPAの地下となり、
階段を上がると、JR三宮駅・中央改札東側につながります。
これにて地下出入口の探訪は終了ですが、昭和の遺産が消えるのは寂しい限り。何か現存する、戦時中の防空壕を観たようなところ。三宮という神戸の中心街で、このような遺産が残っていることにも驚いたところです。
この後は、この日の本当の目的地に到着、ハローワークプラザ三宮です。就職活動実績作りのため、セミナーに参加。^^
こちらがセミナーの内容。多くの方が参加されていました。
セミナーも終わり、帰宅としましょう。最後に、JR三宮駅・西改札前の御座候。こちらの御座候も餡子多めでお勧めです。
セミナー参加のための三宮行きでしたが、私的な目的の方が多かったところ。三宮に行くことも少なりましたので、やはり「ついでに」が多くなってしまいます。次回はジュンク堂や模型店で、ゆっくりと過ごしたいところです。
JR明石駅からは、時間があるので普通電車に乗車。
そして、元町駅に到着です。
とりあえず、先ずは駅前の喫煙所。^^
JR三宮駅前に、喫煙所をあるとは知りませんでした。あらたな発見です。
この日の目的地は、元町駅から一駅東側の三宮駅前ですが、日常のウォーキングを兼ねて歩きます。出発地点は、三宮センター街の西入口。
少し歩くと、神戸の老舗中華料理店。子供の頃に家族で大丸に買物に行った時、大丸の大食堂が混雑していれば、こちらで昼食した思い出のお店。よくワンタンメンを食べました。
さらに歩くと、こんな立ち飲み屋さん。ここだけ姫路の雰囲気。(^^)
朝8時半からの開店とはすごい!姫路に負けずと、神戸も飲むのが好きな方が多いのでしょう。^^
さらに歩くと、ブロ友のT2さんに教えていただいた模型屋さん。旧スポーツワールド33の地下2階となります。
こちらが店内ですが、
T2さんが好きな戦車プラモ。
私も戦車は好きですが、こちらの方がさらに好み。このブログでの私の名前の由来である、Me262A-2a(私は1a。2aは爆撃機型)のプラモもありました。されど、1/48スケールというのが惜しい!私は1/32の大型プラモが好きです。
何か買いたかったのですが、この後、プラモの箱を持ち歩くのは邪魔。また次の機会に・・・です。
三宮センター街を最後まで歩くと、神戸阪急が見えてきました。これにてウォーキングも終了。元町駅からここまで、大体、2千歩ということで、2km弱でしょう。
少し早いですが、昼食としましょう。昼食場所は、ほぼ三宮駅直結の吉野家です。意外と皆さんご存じでない、こちらの吉野家。隠れ家的な吉野家です。
この時期の吉野家といえば、やはり「牛すき鍋膳」。楽天ポイントがありましたので、無料で食します。^^
ここの吉野家はセルフ制。大型フードコートのように、渡されたリモコンがブルブルと振動したら取りに行き、食べ終わると返却口まで返すセルフ制です。
ブルブルと振動したので取りに行きました。おなじみの「牛すき鍋膳」。私的には、もう少し漬物の量を増やして欲しいところ。
牛肉の量は変われども、何か年々肉質が落ちたように思うのは私の勘違いか。さらに以前は固形燃料でグツグツと煮ていたのが、知らぬ間に無くなりました。これもコストと店員さんの業務量削減かな?です。
吉野家を出て、少し歩くと空港バス乗場。2か月ほど前、ここから北海道旅行のために関空行きのバスに乗ったのも、何か遠い昔のような感じ。
次に向かうは、前述の三宮駅の喫煙所。どこだ!どこだ!で歩くと見つかりました。JR高架下で、神戸市バス乗場のほぼ正面でした。
中に入ると、まんま甲子園球場の喫煙所並みの混雑。まるでバルサンを炊いたような白煙の世界。(^^)
それでは、この日の目的地に向かいましょう。ミント神戸2階から、南側へ伸びる歩道橋から見える黄色四角です。
近くまで行って撮影。地下に降りる、A14番出入口です。
施錠付で、夜間は閉鎖されるのでしょう。
後ろ側から撮影。
鉄筋コンクリート製のようですが、現在の鉄筋コンクリートは、鉄筋を組んで、コンパネというベニヤ板の型枠にコンクリートを流し込みます(打設という)。されど、この出入口は型枠ではなく、職人さんがコテで成形したような感じです。
この度、この出入口に来たのは、この出入口は三宮駅ビル整備に伴い閉鎖され、やがては除却されるとか。されど、この出入口は、何と昭和初期(1930年頃)に作られた近代遺産です。
加えて1938年(昭和13年)の阪神大水害や、1945年(昭和20年)の神戸空襲、それに阪神淡路大震災に耐えた出入口ということで、歴史の生き証人と言えるでしょう。
ちなみに、この画像は1930年頃の写真。赤丸のように現存しています。黄色四角には「大阪行特急 阪神電車」と垂幕があり、当時から阪神電車の三宮駅は、現在の神戸阪急の地下にあったことが分かります。
蛇足ですが、阪神大水害の写真です。1938年(昭和13年)7月3日から7月5日にかけて、総降水量は六甲山で616mm。市街地でも460mmの記録的大雨となりました。
こちらが、神戸空襲後の三宮駅周辺。出入口は残っています。
それでは、地下出入口を降りてみましょう。降りると、昭和初期の時代にタイムスリップするような錯覚を覚えます。
内壁は土圧に耐えるように、コンクリート板をレンガ積のように造られています。
降り切って振り返ると、出入口の向こう側は、現在につながるタイムトンネルのように感じます。
地下街は、ご覧のとおり。タイムスリップしませんでした。^^
前述のとおり、11/7をもって閉鎖される告知。このブログをご覧になって行かれても、残念ですが既に閉鎖されています。
右側に進むと、santica・味ののれん街となります。
案内表示は、こんなところ。
戻って、左側に進みましょう。すると旧OPAの地下となり、
階段を上がると、JR三宮駅・中央改札東側につながります。
これにて地下出入口の探訪は終了ですが、昭和の遺産が消えるのは寂しい限り。何か現存する、戦時中の防空壕を観たようなところ。三宮という神戸の中心街で、このような遺産が残っていることにも驚いたところです。
この後は、この日の本当の目的地に到着、ハローワークプラザ三宮です。就職活動実績作りのため、セミナーに参加。^^
こちらがセミナーの内容。多くの方が参加されていました。
セミナーも終わり、帰宅としましょう。最後に、JR三宮駅・西改札前の御座候。こちらの御座候も餡子多めでお勧めです。
セミナー参加のための三宮行きでしたが、私的な目的の方が多かったところ。三宮に行くことも少なりましたので、やはり「ついでに」が多くなってしまいます。次回はジュンク堂や模型店で、ゆっくりと過ごしたいところです。