7/10(水)は、家内と明石駅から新快速に乗ってお出かけ。
尼崎駅からは、東西線に乗換え。
到着したのは京橋駅。
京橋からは久しぶりの京阪電車。^^
そして、到着したのは西三荘駅。
この西三荘駅近くに何があるのか?というと、「パナソニック・ミュージアム」です。西三荘駅は門真市となり、パナソニック(以下、Panaと略)の本社工場となります。
西三荘駅からは、歩いて3分ぐらいで到着。
入口警備員さんから「いらっしゃいませ」の挨拶を受け入場すると、Panaの創業者である松下幸之助さんの銅像がお出迎え。
パナソニック・ミュージアムは、「松下幸之助歴史館」と「ものづくりイズム館」の二つの施設となります。今回は、先ず「松下幸之助歴史館」から紹介しましょう。ちなみに企業ミュージアムですから、会社の広報施設。入場料は無料です。
入館すると受付のお姉さんからパンフをいただき見学の開始ですが、展示は松下幸之助さんの紹介もあるものの、Panaの社歴の紹介でした。
Pana本社工場の配置図。
これが1933年(昭和8年)における、門真でのPana本社工場のスタートです。
内部の展示はこんな感じ。ドーナツ的に展示を見て行くような配置です。
Panaのスタートは1918年(大正7年)ですが、最初の製品は二灯用差し込みプラグでした。
これは、当時、各家庭には電灯が一つしかなく(電気回路は1回路しかなく)、電灯を追加したり他の家電製品を使うことはできませんでした。このため差込プラグ(コンセント)を増やすために用いられたのですが、こいつが爆発的に売れました。現在の「電源タップ」に近いところです。
しかし製品といえども、エボナイトを手で練り型を起こすというハンドメイド。こんな感じで、一つずつ紙で包んで包装していました。
当時の社員が着ていた法被。昔の大工さんのようです。
昭和初期の乾電池。現在の単1~5電池などとは規格が異なります。
1936年(昭和11年)の扇風機。
戦前の電気あんか、電気ストーブ、電気アイロン。アイロンのコンセント形状が電球の差込口と同じなのは、前述の二灯用差し込みプラグに接続するためです。
懐中電灯兼自転車用ライト。前述の乾電池を用いたのかな?こちらも爆発的に売れました。1927年(昭和2年)の製品です。
こちらは、1960年(昭和35年)のカラーテレビ、1958年(昭和33年)のクーラー(除湿機能があるエアコンではない)、1959年(昭和34年)の電気炊飯器です。
1960年(昭和35年)に、カラーテレビが販売されていたとは驚き。当時、カラー放送は、ほとんど無かったと思います。
こちらは、1952年(昭和27年)の白黒テレビ、1953年(昭和28年)の冷蔵庫、1954年(昭和29年)の洗濯機。
ローラー式の脱水装置が懐かしい。我家では、私が小学校高学年頃までは、ローラー式の脱水装置付きの洗濯機でした。(^^)
昭和40年代前半の乾電池、シェーバー、トランジスタラジオ
こちらの乾電池は私が小学生低学年の頃、おもちゃや電動プラモを動かすのに使いましたので、記憶があります。
販売年を見落としましたが、多分、昭和40年代の掃除機でしょう。
大体ですが、30分ほどで見学は終了。次に向かうは隣接する「ものづくりイズム館」ですが、画像が多くなるので「その2」に続きます。
尼崎駅からは、東西線に乗換え。
到着したのは京橋駅。
京橋からは久しぶりの京阪電車。^^
そして、到着したのは西三荘駅。
この西三荘駅近くに何があるのか?というと、「パナソニック・ミュージアム」です。西三荘駅は門真市となり、パナソニック(以下、Panaと略)の本社工場となります。
西三荘駅からは、歩いて3分ぐらいで到着。
入口警備員さんから「いらっしゃいませ」の挨拶を受け入場すると、Panaの創業者である松下幸之助さんの銅像がお出迎え。
パナソニック・ミュージアムは、「松下幸之助歴史館」と「ものづくりイズム館」の二つの施設となります。今回は、先ず「松下幸之助歴史館」から紹介しましょう。ちなみに企業ミュージアムですから、会社の広報施設。入場料は無料です。
入館すると受付のお姉さんからパンフをいただき見学の開始ですが、展示は松下幸之助さんの紹介もあるものの、Panaの社歴の紹介でした。
Pana本社工場の配置図。
これが1933年(昭和8年)における、門真でのPana本社工場のスタートです。
内部の展示はこんな感じ。ドーナツ的に展示を見て行くような配置です。
Panaのスタートは1918年(大正7年)ですが、最初の製品は二灯用差し込みプラグでした。
これは、当時、各家庭には電灯が一つしかなく(電気回路は1回路しかなく)、電灯を追加したり他の家電製品を使うことはできませんでした。このため差込プラグ(コンセント)を増やすために用いられたのですが、こいつが爆発的に売れました。現在の「電源タップ」に近いところです。
しかし製品といえども、エボナイトを手で練り型を起こすというハンドメイド。こんな感じで、一つずつ紙で包んで包装していました。
当時の社員が着ていた法被。昔の大工さんのようです。
昭和初期の乾電池。現在の単1~5電池などとは規格が異なります。
1936年(昭和11年)の扇風機。
戦前の電気あんか、電気ストーブ、電気アイロン。アイロンのコンセント形状が電球の差込口と同じなのは、前述の二灯用差し込みプラグに接続するためです。
懐中電灯兼自転車用ライト。前述の乾電池を用いたのかな?こちらも爆発的に売れました。1927年(昭和2年)の製品です。
こちらは、1960年(昭和35年)のカラーテレビ、1958年(昭和33年)のクーラー(除湿機能があるエアコンではない)、1959年(昭和34年)の電気炊飯器です。
1960年(昭和35年)に、カラーテレビが販売されていたとは驚き。当時、カラー放送は、ほとんど無かったと思います。
こちらは、1952年(昭和27年)の白黒テレビ、1953年(昭和28年)の冷蔵庫、1954年(昭和29年)の洗濯機。
ローラー式の脱水装置が懐かしい。我家では、私が小学校高学年頃までは、ローラー式の脱水装置付きの洗濯機でした。(^^)
昭和40年代前半の乾電池、シェーバー、トランジスタラジオ
こちらの乾電池は私が小学生低学年の頃、おもちゃや電動プラモを動かすのに使いましたので、記憶があります。
販売年を見落としましたが、多分、昭和40年代の掃除機でしょう。
大体ですが、30分ほどで見学は終了。次に向かうは隣接する「ものづくりイズム館」ですが、画像が多くなるので「その2」に続きます。