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山田詠美『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』

2014-02-02 09:33:00 | ノンジャンル
 山田詠美さんの'13年作品『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』を読みました。
 人生よ、私を楽しませてくれてありがとう。母方の曾祖母は、96歳で息を引き取る間際、愛用のスケッチブックにそう書き残した。曾祖母の言葉が書かれた小さなスケッチブックの1ページは、彼女の死後、切り取られ額装され、母方の親戚のどこかの壁に必ず飾られて、とうとう我家にやって来た。ところが、家の中にいる全員が、その存在を完全に忘れていた時期があった。それは、兄の澄生(すみお)も私も、まだ小学校の低学年だった頃。両親が離婚問題でもめていた時のことだ。
 父は、他の女と暮らすために家を出た。母と兄と私の、三人だけの日々は淡々と過ぎて行った。父の分の空白は、皆が、少しずつ補うことで埋められて行き、やがて目立だなくなった。兄のさりげない気の配り方によるところも大きかったかもしれない。その後、母は新しい恋に落ち、相手の連れ子の男の子と母が新たに妊娠してできた妹と新しい父と、一度に家族が三人増えることになった。このことを、まるで幸福という細胞が融合するかのように語り、子供たちを洗脳したのは、母の結婚相手だった。この人はしばらくして私と兄の新しい父となり、自分の主張の正しさを証明して見せた。そう、私たちは、誰にも有無を言わせない、完璧に幸せな家族になったのだ。何の不自由もない恵まれた家庭が私たち兄妹に与えられた。唯一の不満は、新しい名字になって、フルネームの中に澄という字が二つも入ってしまったこと。兄は澄川澄生になり、私は澄川真澄(ますみ)になったのだ。でも、ま、いいか、と思った。どうせ結婚すれば変わるのだ。兄だって、もしかしたら、どこかの家の養子になって、違う名字になるかも解らないし。
 しかし兄は17で死んでしまった。そして私は今もまだ結婚していない。30歳。私は2歳年上の兄を、澄生と呼び捨てにしていた。常に母の大切な大切な宝物であった人。再婚してからも、彼は母の優先順位の一番上に置かれていたと思う。
 母の再婚時、兄と私は「新しい家族を完璧なものにする。外からの攻撃によっても絶対に崩れたりしない頑丈な砦みたいなのにする」と決め、手始めに新しい父である誠さんを「マコパパ」と呼ぶことに決めた。すると、義父は新しい共同体の最高責任者として、信頼に足る存在となったのであった。母はマコパパの連れ子の創太に、彼はママの大事大事!と言って可愛がり、“わいわい族”という名前までつけてあげた。
 千恵が生まれてから兄が死ぬまでの5年間が、我家の最も幸せな時代であったことに疑いの余地はない。そして兄が死んでから母がアルコール依存症で入院するまでの2年間が、私たち家族にとって、一番激しい混乱の時期だったと思う。最初に、その悲嘆の世界から抜け出したのは、5歳になったばかりの千恵だった。やがて、澄川家は、なだめられた悲劇を隠し持ちながらも再生した。少なくとも、外からは、そう見えた。私だって、始めはそう思っていた。家族みんなで力を合わせてがんばろう、という義父の励ましを胸に新しいスタートを切ったのだと信じて疑わなかった。でも、違った。私たちが失ったのは、澄生という名の、家族の一員であると同時に、そこに幸福を留めるための重要なねじだったのである。家の中は、少しずつ雑然として行った。創太は、兄の生前よりも、いっそう母にまとわり付くようになった。そしてある日、母が創太に「どうして、あなたじゃなくて、澄ちゃんだったの?」と訊いた言葉に、私は耳を疑った。創太は「ママ、ごめんなさい」と言った後、泣き続けている母に「わーい、わーい」と声をかぎりに叫び、自分も泣くのだった。私は、あらゆる泣き言を並べようとするが、それらすべてが本当は無駄であるのを知っている。澄生が死んだ後の正しい崩壊の仕方を、今、私たち家族はなぞって行っていくだけなのだ‥‥。

 それぞれの章で語り手を変えるという珍しい小説で、崩壊に向かう家族を力強く描きながらも最後は大団円を迎えるという、読後感が非常にいい小説でもありました。なお、上記以降のあらすじは、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「山田詠美」のことろにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/