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丸谷才一『笹まくら』

2014-02-04 10:06:00 | ノンジャンル
 松浦寿輝さんが名作だと紹介していた、丸谷才一さんの'66年作品『笹まくら』を読みました。
 冒頭の部分を引用させていただくと、「香典はどれくらいがいいだろう? 女の死のしらせを、黒い枠に囲まれた黄いろい葉書のなかに読んだとき、浜田庄吉はまずそう思った。あるいは、そのことだけを思った。その直前まで熱心に考えつづけていたのが、やはり香典のことだから、すぐこんなことを思案したのは心の惰性のようなものかもしれない。
 忙しい朝だった。課長は課長会議の席から電話で、いろいろなことを問合せたり、言いつけたりしてくる。ほかにも電話がかかってくるし、来客も多い。それに、出張中のもう一人の課長補佐が受持つ分まで、浜田に仕事がかぶさってくる。彼はそういうことの合間に、ある名誉教授の告別式に包む香典の額を、庶務課の課長補佐として考えていたのである。その告別式にはたぶん学長がゆくはずだった。
 香典の額は決めかねた。調べてみると、一昨年ある名誉教授が死んだときは1万円で、もともとこれは安すぎるし、その後、物価は非常にあがっている。3万円にふやしても、去年の夏に常勤の理事ではないある理事が死んだときの三十万円とくらべて少なすぎるし、しかし5万円では、多すぎると言って課長が渋りそうだ。課長は認めても、専務理事は判を押さないだろう。それに大学は企業体なのだから、名誉教授よりも非常勤の理事のほうが遥かに――三十倍も――重要だという考え方も成り立つはずである。そんなふうに何度目かに迷っているところへ、さっきから入口の近くの机で受領年月日のゴム印を郵便物に押しつづけていた使い走りの少女が、浜田あてのものを一束、持って来たのである。昔の恋人で、しかも命の恩人である女の死を告げる、黒い枠の葉書はそのいちばん上にあった。(中略)
 商法の専門家としてすこしは名のある法学部長が、胃の具合が悪くなって検査を受けることになり、入院の前日、自分で料理屋にかけあったり、理事や教授に連絡をとったりして、もちろん大学の金でお別れの会を開いたのである。(中略)それなのに、一週間ほどしてから法学部長はけろりとした顔で出勤し、検査の結果を誰にも報告せず、いたって元気な様子で、会議の席では例の法学博士といがみあいをつづけているのである。
 「いやあ、あれには参った、参った」と課員がまた笑いながら、「先生、御病気のほうはいかがでございますか、と廊下で訊いたら、ははは、大分デマが飛んでいるようですな、と言うんだから」
「デマとはねえ」と呟いて無理にほほえみながら、浜田は、阿貴子から電話があったのはあの翌日だった、見違えるほど肥っていたし田舎くさく見えた、と考えていた。
「ケンちゃん‥‥」と言いかけてから阿貴子は、「あ、つい昔の癖が出てしまう」と笑う。
「いいさ、何も変えることはないもの」と浜田も笑った。(中略)
「ねえ、奥さんは庄たんて呼ぶ? 庄吉さん? 庄さん?」と阿貴子が訊ねた。
 昔の恋人同士が十年以上も経ってから、二十年近くも経ってから、再会し、こんな場所でこんなに大声で話をする。まるで金婚式をすませた、耳の遠い夫婦の東京見物のように。しかし、この女は昔からこなにおかしなアクセントで話をしたろうか? こういう田舎なまりにおれは平気でいたのだろうか? いいさ、何も変えることはない。あらゆるものがみんな変わってしまった。(後略)」

 現在の時制と昔の時制が段落が一つ進むだけでいったり来たりする小説でした。(ちなみに上記で庄吉と阿貴子が会っている場所は東京タワーの展望台です。)全編360ページ超のうち、私は30ページ辺りまで読んで、先を読むのを断念しました。特に読みにくい文体という訳でもないのですが、敢えて言えば活字の小ささと、書かれている内容にそもそも興味があまりない、ということになるでしょうか? せめて徴兵忌避の部分まで読めば面白く読めたのかもしれません。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/