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山田詠美『ファースト クラッシュ』その6

2021-06-22 11:52:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 拓郎は、私を単なる幼馴染みとしか見ていなかったというのが正しい理由。私なんて、恋愛対象どころか、彼女自慢したくなる仲良しとすら思われていなかったのです。(中略)
 まだ見ぬ拓郎の恋人と、話に聞く力の母親のシルエットが重なりました。すると、拓郎が憎いのか、力が憎いのかが解らなくなってしまいました。(中略)
 復讐という二文字が脳裏にくっきりと浮かび上がりました。(中略)あんないさかいの後でも、力は何もなかったように、私の側に寄って来る筈だったのに。それこそが力っぽいやり方なのに。だからこそ私は、何もなかったように慈悲の心で微笑みかけてやろうと待ちかまえていたのに。(中略)
 その日、母は、例の「サンルーム」と呼ぶ温室で、お茶会を催すことになっていました。(中略)
 私は私で、ヴァイオリンで一曲披露することになり、練習に打ち込んでいました……と、同時にちょっとした復讐を仕込んでいたのです。(中略)
 お茶会は、なごやかに進み、社交辞令も一段落する頃、誰かれともなく、私のヴァイオリン演奏を望む声が聞かれました。(中略)
「お言葉に甘えて、演奏させていただきます。でも、その前に、私から提案があるんです。ここに、せっかく、須藤綾子さんがおいでになっているんですもの。詩を読んでいただきたいなって……」
 素敵だわ! という声が飛びました。(中略)
「実は、私、須藤さんをお連れになるって、間宮のおばちゃまからうかがったので、嬉しくなって、どうしても読んでもらいたい詩を持って来てるんです」(中略)
「まあ、中原中也ね。懐かしい……昔、NHKの番組で読んだことがあるわ」(中略)

 愛するものが死んだ時には、
 自殺しなけあなりません。

 愛するものが死んだ時には、
 それより他に、方法がない。

 けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が強くて、
 なほもながらふことともなったら、

 奉仕の気持に、なることなんです
 奉仕の気持に、なることなんです。

 愛するものは、死んだのですから、
 たしかにそれは、死んだのですから、

 もはやどうにも、ならむのですから、
 そのもののために、そのもののために、

 奉仕の気持に、ならなけあならない。
 奉仕の気持に、ならなけあならない。

(中略)
 私の企みは成功したようです。力はあおざめ、かすかに眉のひそめられたその横顔は、ほとんど美しいと言えるほどひそやかに大人びていた。(中略)
 思い通りに力に復讐したつもりの私のヴァイオリン演奏は、しかし最悪でした。(中略)
 かろうじて役目を終えた力は、会釈をして温室の外に出て行きました。(中略) 
 力は、すぐに見つかりました。(中略)泣いていました。(中略)私は、いったい何を見たかったのでしょう。惨めな力の姿? いいえ、そうではなかった。惨めさを不敵にはね飛ばす彼の厚かましさ。私は、それを目の当たりにして、もう何度目になるか解らない悔しさに身悶えして、地団駄を踏みたかったのです。(中略)
 私、馬鹿だ。(中略)
「さっきの詩いやけど……」
 私は、気まずさのあまりに身の縮む思いでした。(中略)
「あれ、ええ詩やね」
「……本当にそう思ったの?」
「うん。心にぐっと来よう。それて、ええ詩やってことやろ?」
「そ、そうね……」
「聞いてたら、ほんまにかあちゃん死んでもうたんやなって思おて、ぐっと来た」(中略)
「この家の女の人ら、みんなで寄ってたかって、おれのこと、はみ子(ご)にしよる。それ、なんでですか?」
 はみ子が仲間外れを意味するだろうことは、何となく解りました。(中略)
 と、そこまで思ったら、初めて経験する甘い悲しみに襲われて、私は、泣き出してしまったのです。(中略)
「なんで、おまえが泣いとう?」
「リキくんが可哀相で……ごめんなさい。私、ひどいことして、ごめんなさい」(中略)
「嘘泣き」
 ええっ!? と思いました。この私が泣いているのに!(中略)
「リキくんなんか大嫌い!」
「おれもや」(中略)
 その日を境に、私と力の間は険悪になるだろうと覚悟していたのですが、そんなことはありませんでした。(中略)
 でも、違うのです。
 私たちには、目に見えない決定的な隔たりが出来てしまったのです。(中略)そして、それは、まさに私にとっては望ましいことであった筈。(中略)
 でも、もう、力は、ふざけた調子で麗子お嬢さまと呼んでくれることもなくなってしまいました。(中略)
 私は、ひとりで駅に向かう道すがら、力を取り巻くさまざまなことがらから「はみ子」にされたように思えてなりませんでした。
 でも、良いのです。(中略)私は、私の世界に君臨する永遠のお姫さま。母のように、ひとりの男のせいで不幸になったりしない。決して。
 それなのに、運命とは皮肉なものです。私は、母を苦しめたのと同じ男に、悲劇のどん底に突き落とされることになるのでした。

(また明日へ続きます……)