また昨日の続きです。
そして、力が神戸に戻り、長女の麗子(れいこ)も真ん中の咲也も結婚した。私だけが独身で、往生際悪く高見澤の屋敷に居座っていたのだが、長年いた家政婦のタカさんが亡くなり、いよいよそこを手放さざるを得なくなった。もう二十年近くも前の話だ。母は、自分が愛して「サンルーム」と呼んだ温室が取り壊されたあたりから、少しずつ認知症を病み、今は、介護付きの有料老人ホームに住んでいる。(中略)
私と咲也は、たまに会う。食事に行ったり、今日のようにバーで待ち合わせして、互いの無事を確認して一安心するのだ。(中略)
「私だって、リキは今も身内として大事に思ってるのよ? 薫子だって、そうなんでしょ? だって、あんなにくっ付いてたんだもん。そして、仲良しなんだもんね。神戸でしょっ中、会ってるっていうじゃない」
身内。そうだけど、それだけじゃない。(中略)
曖昧な返事をしながら、私は、つい二週間前に会った力のことを思い出している。場所は、神戸、山陽電鉄沿線の滝の茶屋という小さな駅だ。(中略)
「わあっ、すごい、駅からこんな景色が見えるんだあ。絶景だね」(中略)
「カオは大学卒業したらどうするの?」
「おとうさまの会社の手伝いをするんだよ」
「おっ、社長か」(中略)
「ただの手伝いだよ。会社のことはよく解んないもん。でも、桜井さんが、私の場所を作ってくれようとしてる」
父の死後、会社を引き継いでくれた副社長の桜井さんには感謝してもしきれない。(中略)
「お嬢さんはお嬢さんで色々考えているんだから。あのね、私、会社で色々教えてもらって、勉強して、その内、自分のショップ持ちたい」(中略)
「マジですか? どんな店?」
「リッキは、私のコレクションとか知ってるじゃん!」(中略)
「コレクションて……おまえのそれって、ガラクタのことやろ?」(中略)
「あの変なおもちゃとか、薄気味悪い人形とか、ふざけたお面とか……やっぱ、甘ちゃんやなあ。あんなん、売れるかいな」(中略)私の目尻にはいつのまにか涙が滲んでいる。いつだってこうなんだ、と口惜しくてならない。末っ子の私は、いつだって可愛がられる以上に見くびられて来た。
「リッキだけは味方だと思ってたのにさ」
「悪い悪い。そうそう、カオとは犬仲間だもんな」(中略)
力が高見澤家にやって来た時、私は、まだ小学生に上がったばかりだった。(中略)何となく薄汚れていて下品な感じもする。でも、何故だろう、そこがたまらなく良かったのだ。おまけに、みなし子だという。そんな子、今まで自分の周囲にはいなかった。
絵本の中にしかいない少年が、私の側にいる! その思いつきは、私を有頂天にさせた。この男の子は、私の特別になる! 予感がよぎり、胸のわくわくが止まらない。(中略)
なかなか高見澤家に馴染めない様子の力にまとわり付くのは、家族の中で一番のりをしたようで誇らしかった。(中略)
姉たちのような屈折した愛情表現というものを、私は持たなかった。(中略)
でもさ、と私は直後にしょんぼりしてしまう。率直な女は、あらかじめ色恋に見切りを付けられているのか、私は、ずっとひとり者だ。何度か恋はして来たつもり。でも、結局は成就しない。何故かは解らない。いつだったか、力にぼやいていたら言われた。
「カオは、確かにストレートな物言いをするけど、それが理由で男と別れるんじゃないと思うよ」
「じゃあ、なんで?」
「恋でもないのに恋だと思い込もうとして付き合うからじゃないか?」(中略)
「ガラクタでも自分にとって宝物なら、それでいいよ。でも、ほんとは宝物にもならないガラクタを宝物と思い込もうとしたのかもしれないよ」(中略)
カオ、と呼ばれると体じゅうがスポンジのように柔らかくなって、温かい水が染み込んで行くみたいな気がする。いったい、いつからだろう。私がリッキと呼び、彼がカオと呼ぶようになったのは。(中略)
私は、力に関して、どんどん鼻が利くようになって行った。彼が、どんなに平然としていても、そこから洩れる悲しみの匂いを嗅ぎ付けることが出来た。憮然とした表情を浮かべていても、その陰で噛み締めるのが喜びであるのなら、その香気に鼻を蠢(うごめ)かせた。(中略)
麗子は気位の高いお姫さま然として力に接したし、咲也は風紀係のようにいつも彼の言動に目を光らせていた。そして、この姉たちは、常に自分の位が彼よりも上であることを示そうとするのだ。(中略)
とりあえず、母があんまり力に冷たく当たるようなら行動に出なくてはならないだろう。そう思った私は、すばしこく屋敷の中を移動して、偵察に励んだ。
すると、しょっ中、咲也に出くわすので、こちらを妨害しているのではないかと危ぶんだ。(中略)
(また明日へ続きます……)
そして、力が神戸に戻り、長女の麗子(れいこ)も真ん中の咲也も結婚した。私だけが独身で、往生際悪く高見澤の屋敷に居座っていたのだが、長年いた家政婦のタカさんが亡くなり、いよいよそこを手放さざるを得なくなった。もう二十年近くも前の話だ。母は、自分が愛して「サンルーム」と呼んだ温室が取り壊されたあたりから、少しずつ認知症を病み、今は、介護付きの有料老人ホームに住んでいる。(中略)
私と咲也は、たまに会う。食事に行ったり、今日のようにバーで待ち合わせして、互いの無事を確認して一安心するのだ。(中略)
「私だって、リキは今も身内として大事に思ってるのよ? 薫子だって、そうなんでしょ? だって、あんなにくっ付いてたんだもん。そして、仲良しなんだもんね。神戸でしょっ中、会ってるっていうじゃない」
身内。そうだけど、それだけじゃない。(中略)
曖昧な返事をしながら、私は、つい二週間前に会った力のことを思い出している。場所は、神戸、山陽電鉄沿線の滝の茶屋という小さな駅だ。(中略)
「わあっ、すごい、駅からこんな景色が見えるんだあ。絶景だね」(中略)
「カオは大学卒業したらどうするの?」
「おとうさまの会社の手伝いをするんだよ」
「おっ、社長か」(中略)
「ただの手伝いだよ。会社のことはよく解んないもん。でも、桜井さんが、私の場所を作ってくれようとしてる」
父の死後、会社を引き継いでくれた副社長の桜井さんには感謝してもしきれない。(中略)
「お嬢さんはお嬢さんで色々考えているんだから。あのね、私、会社で色々教えてもらって、勉強して、その内、自分のショップ持ちたい」(中略)
「マジですか? どんな店?」
「リッキは、私のコレクションとか知ってるじゃん!」(中略)
「コレクションて……おまえのそれって、ガラクタのことやろ?」(中略)
「あの変なおもちゃとか、薄気味悪い人形とか、ふざけたお面とか……やっぱ、甘ちゃんやなあ。あんなん、売れるかいな」(中略)私の目尻にはいつのまにか涙が滲んでいる。いつだってこうなんだ、と口惜しくてならない。末っ子の私は、いつだって可愛がられる以上に見くびられて来た。
「リッキだけは味方だと思ってたのにさ」
「悪い悪い。そうそう、カオとは犬仲間だもんな」(中略)
力が高見澤家にやって来た時、私は、まだ小学生に上がったばかりだった。(中略)何となく薄汚れていて下品な感じもする。でも、何故だろう、そこがたまらなく良かったのだ。おまけに、みなし子だという。そんな子、今まで自分の周囲にはいなかった。
絵本の中にしかいない少年が、私の側にいる! その思いつきは、私を有頂天にさせた。この男の子は、私の特別になる! 予感がよぎり、胸のわくわくが止まらない。(中略)
なかなか高見澤家に馴染めない様子の力にまとわり付くのは、家族の中で一番のりをしたようで誇らしかった。(中略)
姉たちのような屈折した愛情表現というものを、私は持たなかった。(中略)
でもさ、と私は直後にしょんぼりしてしまう。率直な女は、あらかじめ色恋に見切りを付けられているのか、私は、ずっとひとり者だ。何度か恋はして来たつもり。でも、結局は成就しない。何故かは解らない。いつだったか、力にぼやいていたら言われた。
「カオは、確かにストレートな物言いをするけど、それが理由で男と別れるんじゃないと思うよ」
「じゃあ、なんで?」
「恋でもないのに恋だと思い込もうとして付き合うからじゃないか?」(中略)
「ガラクタでも自分にとって宝物なら、それでいいよ。でも、ほんとは宝物にもならないガラクタを宝物と思い込もうとしたのかもしれないよ」(中略)
カオ、と呼ばれると体じゅうがスポンジのように柔らかくなって、温かい水が染み込んで行くみたいな気がする。いったい、いつからだろう。私がリッキと呼び、彼がカオと呼ぶようになったのは。(中略)
私は、力に関して、どんどん鼻が利くようになって行った。彼が、どんなに平然としていても、そこから洩れる悲しみの匂いを嗅ぎ付けることが出来た。憮然とした表情を浮かべていても、その陰で噛み締めるのが喜びであるのなら、その香気に鼻を蠢(うごめ)かせた。(中略)
麗子は気位の高いお姫さま然として力に接したし、咲也は風紀係のようにいつも彼の言動に目を光らせていた。そして、この姉たちは、常に自分の位が彼よりも上であることを示そうとするのだ。(中略)
とりあえず、母があんまり力に冷たく当たるようなら行動に出なくてはならないだろう。そう思った私は、すばしこく屋敷の中を移動して、偵察に励んだ。
すると、しょっ中、咲也に出くわすので、こちらを妨害しているのではないかと危ぶんだ。(中略)
(また明日へ続きます……)