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コルネーリア・フンケ『魔法の声』

2007-01-26 16:47:43 | ノンジャンル
 毎度おなじみ朝日新聞の特集記事「2006年 この一冊」の中で、有隣堂ランドマークプラザ店の店員さんがファンタジー系の小説として推薦しているコルネーリア・フンケさんの「魔法の声」を読みました。
 少女メギーは両親と暮らしていて、父のモーは本を朗読すると、本の中の登場人物を実体化させ、その代わりにこの世の人を本の中に入り込ませてしまうという能力を持っています。ある日、「闇の心」という本を朗読していたところ、悪党のカプリコーンと子分のバスタ、大道芸人のほこり指が実体化し、妻が本の中に入ってしまいます。カプリコーンは、その本の中でも最も恐ろしい存在の「影」を実体化すべく、ほこり指に命じてモーと「闇の心」の本を奪おうとしますが、モーは親戚で本好きのエレノアの家を訪ね、本を偽物と交換します。しかし、結局そのことがばれて、本物の本を手に入れたカプリコーンは、父と同じ能力を持つようになったメギーと、その本の作者ファリッドを捕まえ、影を呼び出し、最初に、カプリコーンを裏切ってメギー側についたほこり指と、カプリコーンの家に下女として働いていたメギーの母を処刑させて影の実体化を祝おうとします。が、ファリッドは獄中で本の内容を書き直し、それをメギーは隠し持ち、カプリコーンや手下が見守る中、ファリッドが書き直した内容をメギーは朗読し、カプリコーンの命を奪い、影も滅ぼし、それまでカプリコーンや影たちに本の中で殺された者たちを復活させます。そして、またメギーと両親の幸せな生活が取り戻されるのでした。
 本の中の登場人物が実体化する、というアイディアは面白いと思ったのですが、この小説はとにかく長い! 細かい活字で600ページを超えます。それに、活字にルビが多くふられているのを見ると、子供用の童話として書かれているようですが、それではますます長過ぎます。これ、最後まで読む低学年の小学生っているんでしょうか? とにかく読み終わるのに疲れる本でした。

最近のユニセフ

2007-01-25 15:28:19 | ノンジャンル
 昨日の朝日新聞の朝刊にユニセフの全面広告が掲載されていました。当然寄付の呼び掛けだろうと思って、よく見たら、遺産相続の際にその一部または全部を寄付しませんか? との呼び掛けでした。今までこうした形での寄付をつのる広告は見た事がなかったので、ちょっとビックリしました。
 するとその日に偶然ユニセフから封筒が届いていて、私が参加しているマンスリサポート(毎月一口2000円ずつキャッシュカード(または銀行口座)から寄付金が引き落とされる制度)の一年間の領収書が入っていました。
 また、それとともに、ユニセフ募金による税金優遇措置についてもお知らせがあり、所得税なら寄付金から5000円を差し引いた金額が年間所得から控除され、相続税なら、相続分から寄付した財産の価格について相続税が非課税になり、法人税なら、事業所得の算出の際、一定の限度額の範囲で、損金として参入できるとのことでした。税金で持って行かれるのなら、使い道のはっきりしているユニセフなどに寄付した方がいいと私は思います。
 加えて、最近のユニセフの活動報告もされていました。それによると、ひと昔前、ユニセフは、多くの命を奪った天然痘や結核などの病気と闘っていましたが、今では、世界から天然痘は根絶され、1988年以降、ポリオの発症は99%減少し、根絶間近になっているそうです。また、ひと昔前、4人にひとりが「子ども時代」を生き抜くことができなかったのが、今では、子どもの死亡率は12人にひとりにまで低下しているそうです。それから、ひと昔前、世界で、学校に通うことのできた子どもは全体の半分以下でしたが、今では、世界平均で82%の子どもが学校に通っているそうです。
 正直言って、これほど数字が改善されているとは思いませんでした。内戦に次ぐ内戦、難民の増加、そんな情報ばかりが入ってきている中、もちろんすべてがユニセフのおかげだとは思いませんが、子供を守る地道な努力がされていたのですね。久々に聞く、いいニュースでした。

『ケルン・コンサート』の裏話

2007-01-24 16:31:17 | ノンジャンル
 今日の朝日新聞の朝刊の隅に小さい記事で「ザ・ケルン・コンサート」というのがありました。もちろん、キース・ジャレットの名を一躍有名にした、全編即興演奏で弾かれたソロ・アルバム「ザ・ケルン・コンサート」に関するもので、少し裏話が書いてありました。
 '75年の今日、ドイツ・ケルンのオペラハウスで録音され、ジャズ界のみならず、クラシックのファンからも絶賛を受けたアルバムですが、当日車の移動で24時間眠っていなかったジャレットは、ぼんやりとした意識のまま、会場の調律されていないピアノを相手に、響きのましな中低音域を中心に使って、神憑かりな即興演奏を生み出したのだそうです。この演奏は後にレコードから採譜されて出版されてもいるそうです。
 こんなにいろんな制約がありながら、あんなに素晴らしい演奏ができるとは驚くばかりです。もしピアノがきちんと調律されていたら、一体どんな音楽になったのでしょう? これは神のみぞ知ることでしょうが、ぜひとも聞きたいものです。
 またあの演奏が採譜されて出版されている、ということは、世界中にケルン・コンサートを弾ける人がたくさんいるということですよね。これも考えてみると、すごいことです。
 私と「ケルン・コンサート」との出会いは、中学から高校にかけて日曜の夜、FM東京で、岡田真澄をナビゲーターにしたオシャレな音楽番組があって、そのオープニングテーマが、「ケルン・コンサート」の出だしの部分だったことです。最初は誰の何という曲か知らなかったのですが、偶然知ることとなり、レコードをすぐ入手しました。また、レコードからCDへと世の中が動いて行く中で、早々と買ったCDも「ケルン・コンサート」でした。
 もし、無人島に一つだけCDを持って行くとしたら、このCDを選ぶかもしれないほど、このCDへの私の思い入れは強かったりするのでした。

梅田望夫『ウェブ進化論』

2007-01-23 16:51:58 | ノンジャンル
 昨日に引き続き、朝日新聞の特集記事「2006年 この一冊」の対談で紹介されていた梅田望夫さんの「ウェブ進化論」について、書きます。
 この本では、グーグル、アマゾンという企業、そしてウィキペディアという試みについて中心に説明しています。グーグル、アマゾンというのは、世界中の情報をかき集め、整理・分析することを目標としている企業で、ウィキペディアというのは、知識の権威を一部の人間に限定させることなく、広く一般の知識を集積し、ネット上で知識の泉を作ろうという試みだそうです。
 また、世間でこのところささやかれているWeb 2.0 の定義を、著者は「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と述べています。eベイの創業者ピエール・オミディヤーは「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりできる道具を。『人々は善だ』という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ。Web 2.0 とはそういうことなんだ」と答えているそうです。
 皆さん、分かりましたか? ここだけでなく、この本はとても分かりにくい本です。イノベーション(刷新)とかリテラシー(読み書き能力)とか、わざわざ横文字を使うし、説明の仕方もはっきり言って下手だと思います。なのに、何でこんな本が売れたんでしょう?
 対談では言っています。松田・筑摩書房編集員「新書は『テーマ』『タイミング』『タイトル』の『3T』が大事。」真鍋かをり「例えば、最近よく聞く『ウェブ2.0』の意味が分からないと思っているところに『ウェブ進化論』が出て売れるのは、まさに『3T』の効果ですね。」まさに、そういうことなのでしょう。この本はたまたま、テーマ、タイミング、タイトルがどんぴしゃの時に出版されたので売れたのでしょう。そうでなければ、こんなつまんない本、売れるはずがないと思いました。(関係者の方、ごめんなさい。)

小川洋子『ミーナの行進』

2007-01-22 16:56:09 | ノンジャンル
 久しぶりに朝日新聞の特集記事「2006年 この一冊」の対談で触れられていた本、小川洋子さんの「ミーナの行進」を紹介します。
 父親を早く亡くし、母と岡山で二人暮しをしていた中一の女の子は、母がスキルアップのため一年間東京の専門学校に行くことになり、その間母方の伯母の家に預けられる事になります。芦屋の邸宅に住むその一家は、日本語があやしいドイツ人のローザおばあさん、ダンディだけども愛人の家に入り浸りの叔父さん、ヘビースモーカーで昼間からウイスキーを飲む無口な叔母さん、スイスに留学中の長男の龍一さん、家事一切を切り盛りし、生活の実権を握る米田さん、元々庭師だったのが雑用係になってしまった小林さん、コビトカバのポチ子、そして好奇心旺盛で、本が大好きな小六の女の子ミーナ(本名美奈子)からなっています。この家族と主人公の朋子が過ごす一年間が描かれて行きます。叔父さんの会社が清涼飲料水フレッシーを作っているので、フレッシー飲み放題。ぜんそく持ちのミーナはポチ子の背中に乗って、学校に行きます。水曜日にフレッシーを配達に来る青年がくれるマッチ箱をベッドの下に集めているミーナ。ミーナに頼まれて図書館に本を借りるようになった朋子は図書館員に本の感想を聞かれ、ミーナが言った感想をそのまま口にして、図書館員に感心され、芦屋一の文学少女だと誤解されたり、修繕の必要があるものは叔父さんの机に置いておくと、いつの間にか直されていたり、男子バレーボールを描いたテレビ番組「ミュンヘンへの道」にミーナとともに熱中したり、龍一さんが帰国してさわやかな風を残してスイスに帰って行ったり、ミュンヘン・オリンピックをミーナと二人で目を皿のようにして見たり、いろんな話が語られ、最後に大人になった二人の手紙の交換があって、この小説は終ります。
 挿絵がかわいく色がきれいで、それがこの小説の特徴を象徴的に表しています。毎日が楽しく冒険であり、また少し大人の世界にも触れるようになる年頃の子供の生活を見事に描いています。
 特に芦屋の屋敷での生活を覗いてみたい方には、オススメです。