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溝口健二監督『女優須磨子の恋』

2011-09-25 00:00:00 | ノンジャンル
 宮田珠己さんが著書『スットコランド日記 深煎り』の中で紹介していた『グレゴリ青山のもっさい中学生』を読みました。主役のグレ子と山岡さんの趣味が次々に合うことが判明する場面に特に爆笑しましたが、ラストでの著者からの「あなたはどんな中学生でしたか?」の問いに、クラスの女子から「幹生さん」と敬語で呼ばれていたことを思い出したりもしました。味わい深いマンガだったと思います。

 さて、溝口健二監督の'47年作品『女優須磨子の恋』をWOWOWで見ました。
 授業で生徒の拍手を受ける島村(山村聡)。彼は「文芸協会演劇研究所」で坪内逍遥(東野英治郎)の弟子でしたが、同僚の勧めもあって、彼が紹介したイプセンの「人形の家」を第一回公演の演目とすることに幹事会で決まります。ノラ役を誰にするか迷っていた島村でしたが、同僚の前島と別れると言ってケンカしていた須磨子(田中絹代)の様子を見て、ノラを演じられるのは彼女しかいないと確信し、彼女への熱心な演技指導が始まります。深夜に及ぶ練習にも耐え、自宅に帰っても演技の練習を続けた須磨子は、公演で上々の評判を取り、その打ち上げで次作についての話で島村と盛り上がり、彼を自分の部屋に上げてしまい、島村が彼女に迫ると、彼女は彼と恋に落ちます。京都への巡業を終えて帰って来た島村に、義母(東山千栄子)は須磨子と親しくしていることを責めますが、やがて坪内夫妻のところへ須磨子が島村と一緒になりたいと直訴に行き、それを受けて坪内の妻が島村のところへやって来ます。須磨子は自分と一緒になってくれと島村にも直接訴え、島村は須磨子のために全てを捨てることを決意し、結婚できなくなると泣く娘を置いて家を出、協会も辞め、須磨子とともに「芸術座」を立ち上げると、そこまで決意した島村のために、同僚の中村は援助を申し出ますが、坪内は激怒します。しかし芸術座は1年で内紛を起こし、須磨子は残った仲間とともに自らが看板女優となって巡業を続け、やがて中村の援助によって東京に稽古場を得ることになります。しかし稽古場を作るための原材料費の高騰によって、その費用の工面のため、また須磨子らは巡業に出なければならなくなり、朝鮮と満州を1年に渡って回ります。そしてやっと明治座での公演が実現することになりますが、その直前島村は肺炎を起こし、急死します。弔問に訪れる坪内と島村の元夫人と娘。葬式では島村と一緒に埋めてくれと言い張る須磨子でしたが、坪内が昔の仲間が一緒に公演を打とうと言っていると告げると、思い直して明治座の初日に出演します。その演技を絶賛される須磨子でしたが、一人になると、島村の遺影に向かって「これでいいのか」と問いかけ、泣き崩れます。そして「カルメン」の公演。自分を刺し殺す役の役者に、人を殺す迫力が足りないと言って、何回も自分を殺す演技をさせる須磨子。公演は大成功に終わりますが、その夜、須磨子は物置きで首を吊ります。坪内は新劇に新たな道を開いてくれたことを須磨子に感謝するのでした。
 役者の演技が大時代的で、せっかくのワンシーン・ワンカットの演出も不発だったように思います。田中絹代の熱演も空回りしているように感じましたが、皆さんはどうお感じになるでしょうか?

川上未映子『夏の入り口、模様の出口』その3

2011-09-24 07:48:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督・共同脚本の'73年作品『まむしの兄弟 恐喝三億円』をスカパーの東映チャンネルで見ました。菅原文太主演で、日本人の売春婦から生まれた中国人マオの役を松方弘樹が演ずるという変わり種でしたが、あまりの緊張感の無さに途中からあらすじを追うのを止めました。『トラック野郎』シリーズもそうでしたが、菅原文太主演の鈴木監督作品はどうも私には合わないようです。冒頭、田んぼで立ちションをする文太に、観光バスから降りてきた老女たちも長々と横に並んで立ちションするという名場面(?)もあっただけに、悔やまれます。

 さて、またまた昨日の続きです。
 未映子さんには前から親近感を抱いていましたが、このような文章を読み、また今回彼女が乙女座であることを知って、その感を増々強く持つようになりました。
 これ以外にも、「(人の)命名は義務であろうけれど、それと一緒にそこにはなにかしらの希望的な思いがこめられているような気がする」(11ページ)とか、「自分を含めて、出来事や物や人に限らずそもそもの期待値を低く見積もっておくこと。それは単純なネガティブ思考ではなくて、そうすることで生まれる余地がべつの視野と角度を与え、ひとつが行き詰まったときにこそ計らずも大きなちからをもつような気がする。ついつい頑張りたくなる名づけから、『たかが名前』で行けたらいいなー。」(13ページ)とか、「ちなみに『!』は驚いた猫を後ろから見たかたちで『?』はあれっと思った猫のそれ。上はしっぽで、下の黒丸はおしりの穴だとこういうわけです。あくまで噂なんだけど、これはとっても好きな話。何度だって書いちゃうよ。そう思って見ると、それぞれとてもかわゆいね。」(16ページ)とか、また104ページから105ページにかけて書かれている、天気が悪くてボーっとしていた日に、過去の細々とした記憶が際限なく思い出されたりする描写などには、強い共感を覚えましたし、中でも特に激しく共感した文章は、「(『平均貯金額は**円ないと駄目』とか、『女に生まれたからには一度は子どもを生んでみたい』とか)世間は手を替え品を替え物語を用意して、最近は『言い切る』かたちで捏造して煽ってくるけど、お待ちください。この人生の主導権はいつだってこっちにあるのだからそういった物言いはすべて堂々と無視する力をもちたいものだ。自立なんてのはお金を持つことでも独立して新しい家族をもつことでも世間の感情に自分の感情をすり寄せることでもなくて自分で考えた価値観を自分の責任において遂行するだけのことなのだった。その意味において自分の好きなように生きてようのが人生だから、まあときどきは、チョコなどを食べてがんばろう。」というものでした。
 関西の人特有のユーモアに溢れていて、あまりのくだらない言葉遊びによって爆笑してしまった箇所も多く、大変楽しく読ませていただきました。是非手に取って一読されることをお勧めします。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

川上未映子『夏の入り口、模様の出口』その2

2011-09-23 09:08:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 エッセイの具体的な内容については、未映子さんのかわいらしさが特に強く感じられる冒頭のエッセイを、これまた反則技ながらまるごと引用させていただきたいと思います。(抗議をいただければ、即刻削除いたします。)
「生きていればそのときどきに様々な分野の現場に身を置くことになるけれど、これまでの人生を振り返って『ああ、あのころは冴えまくりであったなあ』と遠い目をしながらよくわからない感慨にふける、ということはありませんか。ないですか。
 わたしの冴えはいま現在! と断言できたらいいけれど、そうもいかず、冴えにも色々と種類があるのだけれど、思い起こすのは20代の恋愛におけるこもごもでありました。
 20代は歌の仕事に精を出し、おまけにいつレコード会社から契約を切られるかの満身創痍で頑張ってはいたのだけれども、いまにくらべると時間は余るほどあったわけで、その余剰に滲みでてくるのはわたしの場合、恋愛にかんする情念であったのだ。
 10代の半ばから10年近く交際していた恋人がいて、期間もそれだけ長くなればスローガンを掲げなくても人間はやはり生まれもっての個人主義、秘密や内緒が芽生えるわけです。
 そしてわたしの場合は『なんか怪しい』とぼやっと思うわけでもなく、真夜中などに突然『あ! 他の女の人と接触してる! ピッコン!』と閃いて布団を蹴りあげるという衝動的な『正しさ』がやってきて、そこから怒濤の追及が始まるのであった。
 しかしこれは単なる閃き、いいとこ啓示でしかないのだから証拠はなにもない状態。持久戦にもつれこみ『ほんまのこと言って』『なんもない』の繰り返し。しかし負けじと毎日6時間くらい『あのこと、わたしはもう知ってるから』『せめて本人の口から聞きたい』といった脅迫と懇願を叩きこむ。まるで恐山のイタコのようなトーンで会っても電話でも『ほんまのことを‥‥ほんまのことを‥‥』と明け暮れ延々やってると相手のひるむ瞬間が必ずあるので、間髪を容れず『内容はもうどうでもいいねん‥‥正直に言ってさえくれたらいい』と柔らかめに促すとそのころにはほとんどグロッキーな相手は『じつは‥‥』とうなだれて自供を始めるのが常であった。
 このようにしてわたしはまるで特高か土の手触りだけで水脈を当てる井戸掘り職人のように数々の不義理を検挙してきたのであり、それは一度として外れたことがないのだった。
 しかし例の『ピッコン!』は当のわたしでさえまったく根拠を知らぬわけで、あのピッコンていったいなんであるのだろう。
 勘というには突然すぎるし相手の女性問題に限られる点で具体的。第六感とかそんなドリーミイなものでもない。もちろん日常における相手のふるまいの集積から何気に生まれる予見ではあるのだろうけれど、なんでか知らん『わかってしまう』。
 恋愛におけるピッコン! は百発百中であり(百発もないけど)あのころわたしは冴えまくりであったよな、と半ば寒々しい気持ちで思い返すのであった。
 今般流行の霊視とかヒーリングには縁がないし信じてないけれど、あのピッコン! を本気で磨きあげたらけっこう、そういうことになるんでないの、と思わなくもなかったり。
 そういえば『気がみえる』までは言わなくても顔を見るだけで『調子が良さそう』なんてことは普通に言うしね。前世や先祖もそんなピッコン! の延長で見えるのか知らん。
 できる限り世界には客観性をもって臨みたいけど『わかってしまう』のあの不思議。無根拠ゆえの絶望感。なむー。」(またまた明日に続きます‥‥)

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川上未映子『夏の入り口、模様の出口』その1

2011-09-22 06:37:00 | ノンジャンル
 川上未映子さんの'10年作品『夏の入り口、模様の出口』を読みました。『週刊新潮』の'09年5月7・14日号から'10年4月15日号までに『オモロマンティック・ボム!』の題で掲載されたエッセイを収録した本です。
 あとがきをそのまま引用させていただくと、「連載しませんか、とはじめにご依頼いただいたのはじっさいの開始時期から1年ほどまえで、そのころのわたしは書いていた長い小説のめどがまったく立たず、いったんお引き受けはしたもののなにもかもが停滞の一途をたどる日々、だんだんに心細くなること際限なく、こんな状態で週刊誌の連載なんて初めて&大きな仕事、よく考えたらできるわけないよ、やっぱり一度、白紙にしてもらうよりほかないと決心して陳謝するつもりで暗い頭と鉛のような体をひきずって、2回目の打ち合わせにでかけました。(中略)なんとか話を終え、よし、ご迷惑かけちゃったけどいまのでちゃんと伝わったな! とほっと息をついたらば、そのすぐあとに両氏(当時の編集長だった早川さんと単行本の担当者である矢代さん)は引きつづき満面の笑みでもってさらに深くうなずきながら『‥‥で、開始時期についてなんですけれど、ゴールデンウィークからだと区切りがよくていいですね』。わ、わたしのいまの話は、とつっこむ余地もないまま『この黙殺感‥‥。大人って、編集者って、すごいのな』とぶるぶる震えながら、なにも言えなくなっちゃって『では原稿お待ちしています(にっこり)』ということになって、解決というか終了というか、その場をあとにしたのでした。(中略)さんざん迷ったあげく、もうこうなったら面白いのとロマンティックなのと爆発が一緒になった感じでそのまま『オモロマンティック・ボム!』でいいじゃん、というわけで連載の通しタイトルは決まったのですが、単行本化にあたってはなんでかまたべつの詩情がむくむくと頭をもたげ、初夏に刊行ということもあり、そうするとどうしても『夏』という言葉を入れたくなってしまって、収録されているエッセイのひとつのタイトルでもある『夏の入り口、模様の出口』という名前になりました。『夏はわかるけど、模様ってなんだよ』と思われるかたもいらっしゃるかもしれませんが、ああ、なにかの模様なんだな、ぐらいでどうかひとつ、お願いします。わたしが生きてきたこれまでと同様に深い意味なんてほとんどないのですけれど、しかし思ってみれば見てもさわっても、世界は模様だらけでありますね。世界に出口は、あるでしょうか。」この後、中瀬ゆかりさんや他の関係者の方々、そして読者への謝辞が連なって書かれています。さて、具体的な内容に関してですが‥‥。(明日へ続きます)

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マイケル・マン監督『メイド・イン・L.A.』

2011-09-21 08:31:00 | ノンジャンル
 マイケル・マン監督・製作総指揮・脚本の'89年作品『メイド・イン・L.A.』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで見ました。
 スタンダードの画面。重機で無記名債権の輸送車を、仲間のセリートとクリスとウェングロで襲ったマクラーレンでしたが、警備員の挑発に乗ったウェングロが発砲してしまい、警備員とのもみ合いでマスクを剥がされマクラーレンの素顔が割れてしまったため、彼は警備員を全て射殺します。ロス市警の強盗・殺人課の敏腕刑事ヴィンセントは、唯一の目撃者から主犯が「スポーツ」と呼ばれていたことを知ります。マクラーレンはウェングロに金を渡して、一緒に仕事をすることはもうないと言い、立ち去りますが、ウェングロが追いすがって来ると、彼に暴行を加え、射殺しようとします。が、たまたま通りかかったパトカーに気を取られているうちに、ウェングロは姿を消します。気が立って娼婦を撲殺するウェングロ。ヴィンセントは情報屋のバーベイの兄から、彼が刑務所で知り合い、仲間からスポーツと呼ばれている凶暴な男が町に来ていることを知り、マクラーレンらの尾行を開始します。マクラーレンらは銀行から1400万ドルの現金を強盗することを最後の仕事と決めますが、やがてセリートは自宅が盗聴されているのを知ります。現場の下見をしているふりをして、ヴィンセントを誘い出したマクラーレンは、ヴィンセンントの正体を知りますが、計画を変えようとはしません。一方、ウェングロは情報屋のベニーにマクラーレンらの話を売ります。路上で鉢合わせになったヴィンセントとマクラーレンは、お互いに警告し合いますが、双方譲らずに別れます。その直後、マクラーレンらはヴィンセントらの尾行から姿を消します。いよいよ銀行強盗決行の日、マクラーレンらの前に現れた運転手のタウナーは、妻の病気を理由に仕事を降りると言い出します。自宅に帰ったタウナーを待っていたのは、タウナーの妻を人質に取るウェングロとベニーでした。臨時に仲間を運転手に雇い、計画は実行されますが、ヴィンセントの元にタレこみがあり、彼らは銀行に急行します。銀行から出てきたマクラーレンらとヴィンセントらとの間に銃撃戦が起こり、マクラーレンはケガを負ったクリスとともに車で逃げ去りますが、少女を人質に抱えて逃げ出したセリートは、正面からヴィンセントに額を撃ち抜かれます。銀行の保険会社の者からタレこんだのがベニーだと知ったヴィンセントは、彼の家を急襲し、ウェングロがシェラトンホテルで保険会社から報酬を得るのを待っていることを聞き出します。獣医にクリスを預けたマクラーレンは、深夜タウナー宅に侵入しますが、タウナーの妻は既に死んでおり、虫の息のタウナーも彼の希望を受けて拳銃で頭を撃って死なせてやります。酒場で知り合ったエディと海外に逃げる準備を終えたマクラーレンは、ウェングロのいる場所を仲間から知らされると、復讐に向かいますが、ウェングロの部屋に突入する直前に、待ち構えていたヴィンセトらに囲まれます。一瞬らめらったマクラーレンを、ドア越しにウェングロが撃ったショットガンの弾が捕え、彼は床に倒れ、ヴィンセントの腕の中で死にます。部屋に突入したヴィンセントらにウェングロは一旦は降参しますが、ヴィンセントにタウナー夫妻を殺したことを暴かれ、抵抗しようとして、逆にマクラーレンの体当たりを喰らい、ホテルの窓を突き破って墜落死します。ホテルに駆けつけていた妻の前に現れたヴィンセントは、彼女の体を抱いて、現場を立ち去るのでした。
 『パブリック・エネミーズ』と同じく、ここでもマシンガンによる銃撃戦の迫力に圧倒されました。マクラーレン役の役者も、無名の人でしたが、なかなかいい味を出していて、見ごたえがあったと思います。マイケル・マン、これからも追ってみたいと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/