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ティナ・シーリグ『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』その2

2011-09-20 06:16:00 | ノンジャンル
 アルフレッド・ヒッチコック監督の'41年作品『断崖』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで久しぶりに再見しましたが、あらすじを書くことが無意味に感じられるほど、それを越えた情報が画面に横溢していることを再認識しました。ヒッチコックの映画は、他の映画とは一線を画すものであると思います。

 さて、昨日の続きです。
 著者は元手となる素材をクリップからポストイットやゴムバンド、ミネラルウォーターに変えて、何年も同じような演習を続け、そこからポツトイットを使った共同音楽プロジェクトや心臓病について啓蒙するキャンペーン、省エネを呼びかける公共広告「コンセントを抜きましょう」が生まれました。その後、この演習は発展し、「イノベーション・トーナメント」として現在まで続いていて、今では世界中から何百ものチームが参加しているのだそうです。
 これ以降も、著者が行った様々な演習や、著者が知っている様々な人の成功体験が述べられていくのですが、面白いと思ったのは、社会の組織では、学校の相対評価とは異なり、同じチームを組むメンバーの中で誰かが勝てば周りも勝つという「絶対評価」になっているということ、学校のテストとは異なり、社会では正しい答えはいくつもあり、また失敗が許され、それは以後の成功への糧となるということ、著者の出す課題に対して見事な答えとなっているものは、その大半が「交換」と「新たな通貨」の創設で成り立っていること、新たなアイディアに対しては、それが有効なものであったとしても、顧客はそれに慣れるまで保守的にそれを拒むことが多いこと、世のニーズを掘り起こすには、世の中のギャップを見つけ、それを埋める方法を考えるのが有効であること、うまくいっていないシステムの活性化には、そのシステムの特徴を全て挙げて、その逆を全て実現しようと考えると、結構うまくいくこと、顧客から単に不満に思っていることや悩みのタネを聞くだけでも、ニーズの掘り起こしに直結すること、ある仕事から手を引くか否かの判断の分かれ目は、結局自分の直感に頼るのがベストであるということ、また仕事から手を引くと決断した場合には、周囲になるべく迷惑がかからない方法で辞めるようにしないと、後で巡り巡って災難が自分にふりかかってくるということ、などでした。
 この本で語られていることは、ひどく真っ当なことばかりで、「世の中に絶対的なルールなどない」「自分で思考の枠をはめてしまうのはやめよう」「思い立ったら、すぐに始めよう」など、既に日本のことわざにもなっているレベルの「常識」ばかりなので、私は全231ページのうちの102ページまで読んだ段階で、先を読むことを止めてしまいました。まだ学校にいて、社会のルールが学校のルールとは違うことに自信がないという方だったら、読む価値のある本なのかもしれません。日本では25万部も売れた本ではあるらしいのですが‥‥。

ティナ・シーリグ『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』その1

2011-09-19 06:37:00 | ノンジャンル
 中田秀夫監督の'08年作品『L change the WorLd』をWOWOWで見ました。そこに名前を書かれると23日後に死ぬという「デスノート」とウィルス兵器をめぐる、松山ケンイチ主演の映画でしたが、物語の陳腐さはまだいいとしても、画面の構成力のなさは見ていて恥ずかしくなるほどでした。

 さて、朝日新聞の特集記事『読んで感じる 時代の声』で紹介されていた、ティナ・シーリグの'09年作品『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』を読みました。スタンフォード大学の工学部に属するSTVP(スタンフォード・テクノロジー・ベンチャーズ・プログラム)の責任者を10年にわたって務めている著者が、大学で自らが実施した演習とその結果、また著者がよく知っているベンチャーにおいての成功者について語った本です。
 著者はスタンフォード大学で起業家精神とイノベーションを教える講座を担当し、学生が過激なブレイン・ストーミング(今までの思考の枠を取り除く訓練)を行い、短期間でプロトタイブを作るよう、指導してきました。
 例えば、クラスを14チームに分け、各チームには元手として5ドルの入った封筒を渡し、水曜日の午後から日曜日の夕方までの間のうちの2時間を使って、この5ドルをできるだけ増やし、その結果を月曜日の午後、3分で発表するという課題を出します。この課題で大金を稼いだチームは、元手の5ドルはあってないようなものと考えて一切手をつけませんでした。あるチームは、土曜日の夜になると長蛇の列ができる人気のレストランに2人1組になって予約を入れ、予約の時間が近づくと、長時間待ちたくない人にこの席を売るというアイディアを出し、1組につき最高20ドルを稼ぎ、また別のチームは、遠くない場所に自分で簡単に空気を入れられるガソリンスタンドがあるにもかかわらず、自転車のタイヤの空気圧を無料で調べ、必要なら空気を入れ、その代わりに寄付をお願いするというサービスを成功させ、そして一番稼いだチームは、クラスの学生を採用したいと考えている会社に月曜日の3分間のプレゼンテーションの時間を買ってもらい、会社のコマーシャルを製作して上映し、650ドルを稼ぎ出しました。
 そして、次は価値が金銭的報酬では測られないような課題とし、封筒に10個のクリップを入れ、「これから5日間、封筒を開けてから4時間の間に、このクリップを使って、できるだけ多くの『価値』を生み出してください」と指示。著者が一番面白いと思ったチームは、このクリップをポスター・ボードと交換し、「スタンフォードの学生売ります―1人買えば、2人はオマケ」と書かれた紙をそれに貼って、近くのショッピング・センターに置いたところ、最初は重い荷物を持ってほしいという買い物客からのごく普通の依頼だったのが、やがて洋品店からリサイクル品の引き取りを頼まれ、最後には、仕事で行き詰まっている女性からの依頼で、ブレイン・ストーミングに付き合い、そのお礼として使っていないパソコン用のモニターを3台もらったというものでした。(明日へ続きます‥‥)

エドワード・ズウィック監督『ラスト・サムライ』

2011-09-18 07:32:00 | ノンジャンル
 エドワード・ズウィック監督・共同製作・共同脚本の'03年作品『ラスト・サムライ』をWOWOWで見ました。
 「日本は今では忘れられた『名誉』という言葉のもとに作られた」というナレーション。タイトル。「サンフランシスコ 1876年」の字幕。数々の戦いの英雄としてウィンチェスター社の看板として働いているオルグレン大尉(トム・クルーズ)は、元上官であるバグリー大佐に紹介されて、日本から来た大村と会い、彼から日本政府に反旗を翻している勝元を叩くため、軍隊養成の専門家として高給を提示されます。「横浜港 1876年」の字幕。バグリー大佐、通訳のグレアムとともに天皇に謁見した後、さっそくオルグレンは軍隊の訓練を始め、人望の高い指揮官の長谷川から、勝元は銃を使わない「侍」であると聞かされます。バグリー大佐の元でインディアンを虐殺した記憶に悩まされるオルグレン。大村が国の最優先事項と考えている鉄道が勝元に襲われたという知らせが入り、大村はすぐに軍を出動させるようオルグレンに言いますが、農民出の軍隊がまだとても戦える状態にないことをオルグレンが示します。それでも補給列車を守るため、吉野の森に出動した軍は、勝元の軍勢のほら貝の音とときの声に怯えます。実戦の指揮は行わないと言って退いたバグリーを尻目に、軍の先頭に立って指揮するオルグレンでしたが、怯える兵は一斉射撃を行う前に撃ち始めてしまい、突っ込んで来た勝元の軍と白兵戦となり、政府軍は敗走、オルグレンは勝元の軍に囲まれます。オルグレンにとどめを刺そうとした広太郎を返り討ちしたオルグレンを見た勝元(渡辺謙)は、敵を知るためとして彼を助けますが、馬上に横たわったオルグレンは自ら進んで切腹をして勝元に介錯してもらっている長谷川の姿を垣間見ます。勝元が根城としている山奥の村に運ばれたオルグレンは、広太郎の妻・たか(小雪)に手当てを受け、やがて村に魅せられていき、副大将の氏尾(真田広之)に剣法を教わるまでになります。たかとその幼い息子たち、そして勝元の息子・信忠とともに暮らすうちに、虐殺の悪夢から解放され、安らぎを得るようになるオルグレン。神楽の最中に侵入した忍びの者たちにいち早く気付いたオルグレンは、勝元の命を救うと、彼らとともに侵入者を撃退します。春になり勅令で上京することになった勝元は、制服をオルグレンに返し、オルグレンも勝元とともに江戸へ向かいます。オルグレンがいない間に最新式の大砲やガトリング砲を手に入れた大村は、自らが牛耳る元老院の威光をかさに廃刀令を出し、勝元にも元老院に戻るとともに刀を捨てるように迫りますが、迷っている天皇の表情を見た勝元はそれを拒否し、大村に自宅での謹慎を命じられます。オルグレンは襲ってきた刺客を倒し、グレアムを連れて切腹を迫られていた勝元に合流し、江戸脱出を図りますが、途上で信忠は敵に殺されます。村に戻った勝元とオルグレンは、2連隊ずつ襲ってくるだろう敵を油断させ、接近戦で一気に叩く作戦を立て、たかは広太郎の着ていた鎧をオルグレンに着てもらいます。オルグレンはこれまで書いてきた手記をグレアムに託し、勝元らとともに出陣し、最初の2連隊をうまく白兵戦へ導き撃破しますが、ゲティスバーグを思わせる死屍累々の戦場で、残り少なくなった味方では次の攻撃には耐えられないと判断し、こちらから突撃することを決意します。大砲の砲火が上がる中、指揮していたバグリー大佐ともども銃歩兵連隊を撃破した勝元とオルグレンでしたが、大村を守るガトリング砲についに屈し、これまでと察した勝元はオルグレンに命を断ってもらうと、官軍の大将は彼らに頭を垂れ、全ての官軍の兵士はそれに習います。大村は晴れてアメリカと不平等条約を結ぼうとしますが、そこへ現れたオルグレンは勝元の刀を天皇に奉じ、天皇はそれを受け取ると、日本の歴史と伝統も重んじなければならないと言って、アメリカとの条約を破棄します。グレアムは、その後のオルグレンの消息については様々な説が存在するが、勝元の村に戻り、安らぎを得て暮らしたのはないかと自分は思うと語るのでした。
 江戸時代の日本はまさにこのようだったのではないかと思わせるほどの、美しい風景が印象的な映画で、また、活劇として見ると結構楽しめる映画だとも思いました。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

石川英輔『大江戸リサイクル事情』その2

2011-09-17 07:32:00 | ノンジャンル
 ウィリアム・ワイラー監督・製作の'51年作品『探偵物語』をWOWOWで見ました。カーク・ダグラスが主演の刑事を演じる、ニューヨーク21分署を舞台としたグランド・ホテル形式の映画でしたが、何とも陰惨な内容でした。ニコラス・レイ監督の処女作『夜の人々』で主演したキャシー・オドネルが会社の金の使い込みをした青年の恋人役で、リー・グラントが万引きをした女性の役で出ていたのが、唯一の見どころでしょうか?

 さて、昨日の続きです。
 平安時代以降の焼き畑と官営の牧場経営でススキの原となっていた武蔵野台地は、江戸時代になって木材と落ち葉の堆肥、薪・木炭への需要から、クヌギやコナラなどが植えられて需要を上回る雑木林が形作られました。人や物の輸送は専ら人が担いで行い、庶民は家にいながら物売りから必要なものを手に入れることができました。(車に乗ることは変化を嫌う幕府から禁止されていましたが、これも階級の別なく禁止されたものでした。ちなみに現在進められている電気自動車ですが、日本国内の6千万台を全部電化するには、2400万kw/時の電力が新たに必要になり、また廃バッテリーの処分問題も起きてきます。)世襲制の山林奉行によって森林は代を越えて保護され、それが漁業資源の保護にもつながっていました。幕藩体制は地方自治を保障し、縦割り行政の弊害も受けない藩による各産業への横断的な行政が可能でした。水車も広く利用され、壊れた物を修繕する専門職も発達していました。
 こうした生活スタイルに比べて、現在の大量消費の生活スタイルは、便利さを追い求める余りに、体を動かさないことを原因とする不健康を生むとともに、時間に追われるストレス圧の高い生活になっていると著者は語ります。(ちなみに、幕末期の記録によると、当時の大工が働いた時間は平均すると1日に実働4時間か4時間半くらいだったそうで、休みたい時に休む、なんとものごかな生活だったようです。)そして20年前の、もっとつつましい生活というオプションを設けたほうが、きっとホッとする人が多くなるのではないかと提案しています。

 この本で一番驚いたことは、これらの文章が最初に掲載された場所が、原子力文化財団発行のエネルギー専門誌『原子力文化』であったという点です。原子力行政のトップで働いているブレインの人は、実は単なる原子力推進派ではなく、もっと懐深く、より慎重に、長期的視点に立ってエネルギー問題を考えているのだと以前聞いたことがあるのですが、それと合致する結果でした。
 また、この本には江戸時代の庶民の物価についての具体的な記述もあり、たとえば当時の中流階級ともいうべき一人前の大工の日当が500文ぐらい、農村で一家族が楽に暮らせるには一両、当時の高級照明だったナタネ油で夜更かしすると一晩で20文、といった具合に、当時の生活を自分の頭の中で再現できるのも面白いと思いました。
 福島での原発事故により電気中心の生活スタイルの見直しが迫られている今に読むと一段と面白い本だと思います。公共図書館でも借りられ、文庫本として買っても安く手に入る本ですので、是非一読されることをお勧めします。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

石川英輔『大江戸リサイクル事情』その1

2011-09-16 07:19:00 | ノンジャンル
 深作欣二監督・共同脚本の'81年作品『魔界転生』をWOWOWで見ました。徳川への復讐で生き返った天草四郎が、やはり世に未練を残して死んだ細川ガラシャ、宮本武蔵らを生き返らせて、徳川側の柳生十兵衛と戦うというストーリーで、主演沢田研二で当時話題になった映画でしたが、安っぽい音楽にもかかわらず、緒方拳、千葉真一、若山富三郎、丹波哲郎、真田広之といった充実した助演陣と、ひたすらおどろおどろしさを追求した画面によって、結構楽しく見ることができました。

 さて、朝日新聞で紹介されていた、石川英輔さんの'97年刊行の文庫本『大江戸リサイクル事情』を読みました。江戸時代の生活スタイルについて述べられたノンフィクションです。
 現代の社会が、何千万年、何億年もの時間をかけて太陽エネルギーを蓄積した石油、石炭などの化石燃料を数年のうちに使って成り立っているのに対し、江戸時代の日本社会は直前の数年の太陽エネルギーを蓄積した植物をうまく利用して成り立っていたこと、つまり持続可能な生活スタイルであったことが、本書全編にわたって語られています。それは徹底した植物の利用により可能となったのであって、衣食住に必要な製品の大部分が植物でできていて、例外である鉱物製品も、石以外の金属や陶磁器は大量の植物性燃料、つまり炭や薪によって作られていたのでした。
 あるアメリカの学者の試算によると、地球環境を変えずに現在のアメリカ人の平均的生活を維持しようとすれば、地球人口の限度は2億人であるそうです。アメリカ人の平均エネルギー使用量は、一人当たり日本人のそれ約4000万kcalのざっと2.5倍だといいますから、日本人に換算すればその数は5億人になります。現在の地球全体の人口は約50億人ですから、全世界がアメリカ型資本主義に追随して富の追求を続けている限り、今後自然とジェノサイド、あるいはホロコースト、あるいは大規模な飢饉による人口減は避けられないと考えるのが自然でしょう。そこで著者は、かつてその地域ごとに長い時間を生き抜いてきた民族の伝統的な生活スタイルに今こそ学ぶべきことがあるのではないか、と問いを投げかけます。
 江戸においては、前述の通り、ほぼ100パーセントのエネルギーを過去数年の太陽エネルギーから得ていました。照明については、明治時代後半における石炭を燃料とする蒸気機関による発電が始まるまでは、植物から採れる燃料に頼っていました。稲の稲穂は食生活を支え、残った稲藁は草鞋などに使われ、その草鞋も使い古されて街道に捨てられたものは子供たちに拾われ堆肥となりました。(そしてそのように加工しやすい稲の品種が選ばれて栽培されていました。)竹は加工品の材料や包み紙として使われました。(現在、それに変わるものとしてプラスチックが使われていますが、プラスチックを分解する微生物が開発されたとしても、プラスチックに溜められた何億年分もの二酸化炭素を空中に解き放つことになってしまうという事実があります。)衣類も手間はかかりましたが、絹や木綿という純植物性の原料で作られ、人々の糞尿はすべて肥料として業者に買い上げられていました。食事の準備をするためだけでも大量の木が燃やされていましたが、その灰も肥料や酒造、製紙、製糸、染色、陶器の釉薬、洗剤などに使われ、捨てられることはありませんでした。(大都会で灰を専門業者が買い集めていたのは、世界広しと言えども、当時の江戸だけです。)(明日へ続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/