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川上未映子 訊く・村上春樹 語る『みみずくは黄昏に飛びたつ』その2

2018-11-20 05:03:00 | ノンジャンル
 今日はトルストイの命日に当たります。1910年に82歳で死去。今年は数えて109回忌となります。『イワンのバカ』を書いてくれたトルストイに、改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 そして先日FACEBOOK上で福田かおるさんがシルヴィ・バルタンさんの「あなたのとりこ」の音楽と写真をアップしてくれていて、書き込みが多くなされているのを発見しました。歌詞は

「どうしようもなくあなたにひかれてしまうの、以前のように
どうしようもなくあなたに結びついてしまうの。そう感じるの。夜のあとに朝が来るように
雨が上がったあと太陽が出るように
鳥が巣に戻るように
私も彼のところに行ってしまうの
どうしようもなくあなたにひかれてしまうの、どんな時でも
どうしようもなくあなたに結びついてしまうの。そう感じるわ
岩に打ちつける海のように
決してこの気持ちは変わらない
2人の間に不幸なことが起きても
愛さえあれば、立ち直れる
どうしようもなくあなたにひかれてしまうの、どんな時でも
どうしようもなくあなたに結びついてしまうの。そう感じるわ
涙のあと喜びが戻るように
冬のあと花の季節がやってくるように
すべてが死に絶えてしまうと思っても
再び愛が打ち勝つのよ
どうしようもなくあなたにひかれてしまうの、どんな時でも
どうしようもなくあなたに結びついてしまうの。そう感じるわ」
(サイト「フランス語の扉を開こう~ペンギンと」より転載させていただきました))

というもので、ポップなサウンドとバルタンさんの歌声、清楚な彼女の美しさのおかげで、
今でもこの曲を色褪せないものにしていると感じました。
ちなみに作曲者はジーン・レナードという方だそうです。

 また、昨日、神奈川県の本厚木(ほんあつぎ)駅頭で、安倍首相による9条改悪を思い留ませるための3000万人署名と、改憲に賛成か反対か、それともよく分からないかを問うシール投票というイベントにも参加してきました。結果は「改憲に賛成」という方はお一人、改憲に反対という方は十数名、わからないと答えた方が多数というものでした。特に若い世代の方は圧倒的に「わからない」が多く、9条の内容も知らないという方が結構いました。私が中学生の頃は(もう40年近く前になりますが)、学校で日本国憲法がしっかりと教えられ、「日本国憲法の3本柱は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義で、2度と戦争を起こさないように、軍隊を持つことを禁ずる“9条”の内容をかなり詳しく学んだ記憶があります。今の若い人たちはどうも学校で9条の存在を教えてもらってないようで、「わからない」という高校生にきちんと話をすると「だったら9条を変えるのは反対」と言ってくれる人も何人かいました。まず9条の内容を若い人たちに理解していってもらわないと、と強く思った次第です。

 さて、ここからは昨日の続きです。
(「第二章の続き」スピリチュアリストと小説家の違い・ポジティヴな資格でありたい・書くことで村上さん自身は変化しますか?
「第三章 眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」
文章さえ変わり続けていけば、恐れることはない・『ノルウェイの森』幻のシナリオ・本当に求めているのは、男性なんじゃないのかな・文章を書くことで、自分を知るということ・読者を眠らせないための、たった二つのコツ・生き方は教えるのは難しい、書き方も同じ・文体は心の窓である・手を引いて、どこかへ導いてくれる存在・女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか・こんな女の人、いままで読んだことがない・地下に潜んでいる、僕の影に触れる瞬間
「第四章 たとえ紙がなくなっても、人は語り継ぐ」
日記は残さず数字は記録する・まずは適当に書き飛ばせばいい・新しい一人称の世界が始まったのかな・昔書いた本は、古くて読み返せない・スプリングスティーンの自問のように・僕はインダストリーズの生産担当に過ぎない・死んだらどうなると思いますか・言葉が一人歩きしているものだから・本物の牡蠣フライよりそそりたい・善き物語は、遥か昔の洞窟の中に繋がっている

 そして最後の村上春樹さんによる「インタビューを終えて」という2ページ強の文章で、この本は終わります。
 この本は345ページからなる本ですが、私は30ページまで読んだところで、その先を読むことを断念しました。私は川上未映子さんの作品のファンで、この本もそれに釣られて読みだしたのですが、村上春樹さんと私は相性が悪く、以前に村上さんが書かれたエッセイを読んで拒否反応を起こしてから、今日まで至っているので、この本も最後まで読むことができずに終わってしまいました。
 川上さんが「はじめに」の部分で書かれているように、この本自体が村上さんの創作活動や創作作品に関しての、川上さんからの質問で成り立っていることから、村上春樹さんファンにはたまらない本なのかもしれません。


川上未映子 訊く・村上春樹 語る『みみずくは黄昏に飛びたつ』その1

2018-11-19 05:17:00 | ノンジャンル
 2017年に刊行された「川上未映子 訊く・村上春樹 語る『みみずくは黄昏に飛びたつ』」を読みました。川上未映子さんによる「はじめに」という文章を全文転載させていただくと、

 村上さんに初めてお会いしたのは今からちょうど十年前、ある授賞式でのことだった。登壇を待っているときに「どうしよう、話すこと何も考えてないんですよ」と話したら「そういうときはにっこり笑えばいいんですよ」と言ってくださり、安心したのか本番では気づけばたくさん話していた。会場を出たあと、くるりとこちらを振り返った村上さんに「けっこうしゃべったじゃん」と言われて、大笑いしてしまった。
 時は流れ、柴田元幸さんから、村上さんへのインタビューの依頼をいただいた。これは『職業としての小説家』の刊行を記念し、2015年に文芸誌「MONKEY」に掲載されたもので、本書の第一章に収められている。このインタビューはいろんな人から「面白かった」と言ってもらえてとても嬉しかったのだけれど、村上さんもわりに気に入ってくださっていたようで、そのあと、福島の文学ワークショップでお会いしたときに「あれ、よかったね。一冊になるといいよね」なんて話してくださった。そして2016年の秋。村上さんは長編『騎士団長殺し』を書きあげられ、ついてはその作品を中心に本格的なインタビューを、という依頼があった。内容はもう、わたしの好きなように、好きなだけ。そして冬の真ん中あたり、三日間にわたるインタビューが行われ、こうして一冊のかたちになった。
 最初は「たくさんの読者の思いを背負っている」という責任のようなものを感じて準備しながら色々と考え込んでしまった。でも、あるときに「ききたいことを、ききたいようにきけばいい」━━こう書くと相田みつをみたいであれだけど、そのことにふと気づいた。そうだ。誰のことも気にせずに、十代の半ばからずっと読んできた作品の作者に、今の自分が本当にききたいことをききたいだけ、きけばいいのだ。村上さんの井戸をうえから覗き込んであれこれ想像するのではなく、入ってしまえばいいのだ。そしてもし可能なら、村上さんと一緒に。それで気持ちが、すっとらくになった。
 インタビュアーの経験が一度もなく、あっちへいったりこっちへいったり混乱し、また、しつこいわたしのどんな質問にも、村上さんはじっくり丁寧に答えてくださった。書き手として読み手として、わたしは村上春樹という作家から、そしてその作品から多くのことを学んでいるけれど、今回の出来事はそのどれとも違う位相と迫力でもって、じつに多くのものを見せてくれた。
 対話のなかに、原稿のやりとりに、ふとあらわれる比喩に、冗談に━━至るところに村上さんのマジックタッチの瞬間があって、わたしはそれを文字通り体験したのだと思う。そんな強力な磁場のなかでわたしはいつも少しだけ謹聴していたけれど、でも、最初に村上さんにお会いしたときの印象はそのままずっとそこにあってくれて、笑いのたえない、とても楽しい時間を過ごすことがきでた。
 読者のみなさんが本書をどんなふうに読んでくれるのかはわからないし、今回の仕事がわたし自身にとっていったいどんな意味をもつのかも、今はまだわからない。でも、大切なのはうんと時間をかけること、そして「今がその時」と見極(みきわ)めること。村上さんはくりかえしそれを伝えてくれたように思う。ミネルヴァの梟(ふくろう)がそうであるように、物語の中のみみずくが飛びたつのはいつだって黄昏、その時なのだ。
 でもそれはそれとして━━まずはみなさんも一緒に入ってくださると、すごく嬉しいです。ようこそ、村上さんの井戸へ。

 章立てについても書くと、
「第一章 優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」
朗読会の思い出・“語りかけ”の変化・キャビネットの存在・“人称”をめぐって・登場人物、囚われない魂たち・本当のリアリティは、リアリティを超えたもの・物語を“くぐらせる”・文章のリズム、書き直すということ・村上春樹の驚くべき“率直さ”・中上健次の思い出・“頭が沸騰”している時間・自分にしかできないことを追求する・本との出会いから始まった奇跡・ゆくゆくはジャズクラブを……

「第二章 地下二階で起きていること」
タイトルと人称はどのように決まる?・“悪”の形が変わったような気がする・地下へ降りていくことの危うさ・それが僕の洞窟スタイルだから・僕は芸術家タイプではありません・ノープランで小説を書き上げるためには・みみずくと作家のキャビネット・水先案内人は三十代半ばがいい・信用取引、時間を味方につけること・地下二階の“クヨクヨ室”問題・“渥美清と寅さん”では困りますからね・免色さんに残された謎・僕のイデアはそれとは無関係です(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『静かなる叫び』その2

2018-11-18 06:50:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 「よく来てくれたわ。シモーヌおばさんが心配してたのよ」「どうしてる?」「元気よ。クロードとマルタンは24日に来るって。クリスマスの予定は?」「未定だ。試験は1ヵ月延期になった。父さんは年越しパーティーを」「兄弟も集まるわ。あなたは?」「どうかな。母さんは何を?」「いつもどおり。何なら来る?」「おいしかった。もう帰らないと」「夕食は?」「食べない」「日帰り?」「勉強があるんだ」「何かあったら来なさい」「ありがとう」「心配してるの」「いつもだろ?」。
 車から降りて吐くヒゲの男性。
 ライターをいじる青年。
 雪原を進む車を超ロングで。
 排気ガスを車内に送り、自殺を図るヒゲの学生。フェイドアウト。
 「男女に分かれろ! 女は左、男は右だ。男は外に出ろ。女は残れ」。手を結ぶ女子学生。「残された理由は?」「技術者志望だろ? 僕はフェミニストが嫌いだ」「私たちは違う。だって……」。一斉射撃。積み重なる死体。ヴァレリーは助かるが、顔の右側は血で染まる。ステファニー「動けない」「助けを呼ぶわ」。
 まともに歩けないヴァレリー。
 ヴァレリー「死んだふりを」ステファニー「寒い。動けない」。ドアが開く音。「目を閉じて黙ってね」。ヒゲの学生、教室に入った後、出ていく。
 無人の学食や廊下。担架で運び出されるヴァレリーにヒゲの学生「ヴァレリーすまない。残るべきだった」「気にしないで。あなたは悪くないわ」。
 地下鉄に乗るヒゲの学生。
 夢にうなされた後、目覚めるヴァレリー。
 (中略)
 吐くヴァレリー。歯磨きをするヴァレリー。同棲相手「調子が悪いの?」「胸焼けよ」「また悪夢かい?」
 駐機場で実習を行うヴァレリー。
 事務机で仕事をするヴァレリー。
 トイレに座るヴァレリー。
 電話、「パパ、元気にしてる? こっちは変わりないわ。エリックは絶好調。昇進したのよ。喜んでいるわ。私なら平気。ママは? いいえ、様子を知りたくて。9月まで無理ね。パパ、よく聞こえない。切れちゃう。週末にかけ直すわ。それじゃパパ、またね」。
 車に乗るヴァレリー。
 木漏れ日の中、林の中を歩くヴァレリー。
 「投函しない手紙を書いています。面識もなしに絆を感じて。人生で2度目の恐怖を感じ、筆を取りました。1度目はあなたの息子。あの時憎悪の恐ろしさを知りました。つきまとう記憶……。彼は死に、私は生きてます。彼は解放され、私は呪縛の中に残されたままです」。自分の額に銃口を向け、自殺する青年。
 夜の校舎。死んだ2人の女子学生を俯瞰で。ヴァレリー「昔は“君は強い”と言われた。でももう疲れた。身も心もズタズタになったと叫びたくなる。傷ついた動物のように隠れたい。ステファニーのことが頭から離れない。犠牲になった友人たちのことも。女性は誰もが痛みを感じたはず。そんな考えが重荷となり、疲れてしまった。愛からの贈り物があり、私は身ごもった。心から喜びたいのに怖い。恐怖に対することにも、もう疲れた。人生の信頼と勇気を取り戻し、再び立ち上がらなければとは思っているのだが……。それも自分の力で……。男の子が生まれたら愛を教え、女の子なら世界へ羽ばたけと教えるつもりだ」。ヒゲの学生と抱き合うヴァレリー。
 廊下の前進撮影。フェイドアウト。
 「被害者を追悼。ジュヌヴィエーヴ・ヴェルジュロン、エレーヌ・コルガン、ナタリー・クロトー、バルバラ・テイニョー、アンヌ=マリー・エドワール、モード・アヴィエルニック、マリーズ・ラガニエール、マリーズ・ルクレール、アンヌ=マリー・ルメイ、ソニア・ペルティエ、ミシェル・リシャール、アニー・サン=アルノー、アニー・トゥルコット、バルバラ・クルチェニク=ヴィダイェヴィッチ、サルト・ブレー。本作を被害者家族や大学関係者に捧ぐ」の字幕で映画は終わる。

 コントラストの弱いモノクロ映画で、長さも1時間半ぐらい、オールロケという低予算映画でした。死体のリアルさは印象的でしたし、2000年作品の『渦』のようなイメージショットもなく、すべてのショットがストーリーの進行に寄与している作品だと思いました。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『静かなる叫び』その1

2018-11-17 05:16:00 | ノンジャンル
 11月13日の東京新聞の一面に「防衛省、地権者に無断伐採 委託業者、石垣島、駐屯地建設で」という記事が載っていました。希少種の宝庫である森を、地元の反対が強まる前に強行して伐採したとのことです。このところの安倍政権の横暴さは目に余るものがあります。何とかしてこの動きを止めていかなければなりません。

 さて、WOWOWシネマで、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督・共同脚本協力の2009年作品『静かなる叫び』を見ました。
 コピーをする女子学生たち。銃の乱射。
 血まみれの左耳を押さえて、音が聞こえなくなった女性学生。
 「モントリオール理工科大学で1989年12月に起きた悲劇に基づいているが、登場人物は架空のもの」の字幕。
 額にライフルの銃口を当て、引き金を引く青年。空砲。ルームシェアしている友人は外出する。冷蔵庫の中を見つめる青年。
 椅子に吸わり、スープを弄ぶ青年。向かいの窓越しに、外出する女性の姿を見る青年。
 「15分で書いた。乱文で済まない。今日僕が自殺しても理由は金銭面じゃない。仕事を探さず蓄えが尽きるのを待ったのも政治的信念のため。僕の人生を破滅させたフェミニストをあの世に送る。この7年間喜びを感じず、冷めた心で男まさりの女どもを妨害すると決めた。士官候補生として入隊できていたら、軍の武器で乱射事件を起こしたはず。兵士のローティより先に。(燃やした紙を洗面所に)だが社会性欠如で入隊は不可。よって計画の実行を今日まで待った。学業を続けようとしたが、結末を知る僕は無関心だった。それでも成績は良好。レポートは提出せず試験勉強をしなかったのにだ」。
 1989年12月のカレンダー。「“イカれた殺人者”と言われるだろう。でも僕は理性的な人間だ。ただ死神が来て極端な行為に走らせたのだ。(マガジンに銃弾を入れる。)国のために無理して生きる必要はない。科学以外では昔が好きな性格だ。女性の特権を手放さないフェミニストに怒りを覚える。安い保険や産前産後の特別休暇を享受し続けながら、男の権利まで奪う。もしオリンピックが男女の区別がなければ、多くの競技で女子は消える。だからフェミニストは性別の壁を残す。ご都合主義で、男が築き上げた知識を利用して、はばからない。連中はいつだって事実を歪曲する。“世界大戦中、前線で戦ったカナダ男女を讃える”? 当時、女は前線に立てなかったのに? そのうちカエサル軍やガレー船漕ぎも、半分は女性になって、嘘で歴史が塗り替えられる。これが開戦事由だ。短い手紙ですまない」。
女学生のヴァレリー、外出着をステファニーのアドバイスで替え、「仕事は自分で奪うものよ」と勇気づけられる。
 雪。大学。ヴァレリーは友人に挨拶しながら、自分のロッカーに行く。
 車内の青年。「母さんへ 許してください。仕方なかったんだ」。その紙を自宅のポストに入れる。
 大学の図書館。
 「ヴァレリー・ドンピエールさん」。面接室に向かうヴァレリー。面接官は「モーリス・マルティーノです」と自己紹介し、握手すると、ヴァレリーは椅子に座る。書類を見て「機械工学のインターン希望? 珍しいね。女子学生には土木工学の方が簡単だ」「航空業界で働くのが夢なんです」「子育てする時の話だ。途中退職されては構わん」。
 トイレの個室に入り、気持ちを落ち着かせるヴァレリー。
 学生でにぎわう学食に現われた青年は一旦車に戻る。
 ステファニー「結果は?」ヴァレリー「受かったわ」「すごいじゃない」。
 「子どもを望むと言えば受かってない。ずっと見下されていた」「元気を出して。あなたは優秀で勉強家よ」。
 学食でヴァレリーにノートを借りるヒゲの学生。
 コピーの順番待ちをしていて、『ゲルニカ』の絵に見とれるヒゲの学生。
 自家用車内の青年、緊張している、「僕の人生を破滅させたフェミニストをあの世へ送る」。ジャケットの内ポケットにそう書いた紙を入れ、外ポケットに弾丸を入れる。震える青年。吹雪の中、車を降り、校舎に向かう青年。
 廊下の椅子に座る青年。受付の女性から「要件は?」と聞かれ、歩き出す。
 エントロピーの授業。
 ライフルを持ってその教室に入っていく青年は威嚇射撃をし、「そこまでだ。女は左、男は右に行け。男は外に出ろ。女は残れ」と言う。
 ヒゲの学生、猛ダッシュで警備室に行き、「人質事件だ。すぐ警察に通報を」と言う。
 学食でも発砲。パニックに。
 戻るヒゲの学生。廊下には血痕。教室に戻ると、女子学生は皆殺されている。コピー機に瀕死の女子学生を見つけ、「すぐに戻る」と言う。射殺体のそばを通るヒゲの学生。包帯を他人のロッカーからごっそりと持ち出し、コピー機のところへ戻り、出血を止めようとする。血だまり。廊下で発砲を受け、騒動に気づいていないサークル室に逃げこむヒゲの学生。
 車を運転するヒゲの学生。大俯瞰の画面。
 「母さん」「突然どうしたの?」。(中略)(明日へ続きます……)

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P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

手塚治虫(解説・小森陽一)『手塚マンガで憲法九条を読む』

2018-11-16 06:27:00 | ノンジャンル
 2018年に刊行された手塚治虫(解説・小森陽一)『手塚マンガで憲法九条を読む』を読みました。その中から野上暁さんの「手塚治虫の戦争と平和」という文章の一部を転載させていただくと、

(前略)この本では、戦争と平和をテーマにした数多くある手塚マンガの中から、ベトナム戦争以降に描かれた、比較的短くて憲法九条に関わる作品を選んで掲載している。「紙の砦」は、手塚治虫・マンガ家生活30周年を記念して『週刊少年キング』(1974年9月30日号)に読み切りで掲載された作品である。手塚は、戦後30年近く過ぎて、戦争の記憶が風化してきていることに危機感を抱いたことから、自らの体験を披歴(ひれき)したのだ。この数年前から自分の分身を登場させた半自伝的作品をぽつぽつ描き始めたのは、1969年に『ぼくはマンガ家』を出版したことも影響しているかもしれない。
 作中では、北野中学が南野中学になり、ホームに中津駅を思わせる表示もある。トイレに自作のマンガを貼ったり、監視陗の上から見た空襲の様子、焼け焦げた牛の死骸なども、『ぼくのマンガ人生』などに描かれているエピソードと同じだ。「紙の砦」とは、マンガという紙の城塞を強固に構築して戦争を阻止し、平和を守ろうとする手塚のマンガ家としての決意であり矜持(きょうじ)なのだ。そういう意味で「紙の砦」は、思春期の戦争体験を原点にして、反戦平和を希求する手塚にとって象徴的な作品でもあるのだが、この本に収めた各作品についての小森陽一さんの解説を読むと、手塚はその時々の平和の危機に対して極めて鋭敏に感応して、それをさり気なく作品の中に組み込んで来ていたことがよくわかる。
 ぼくは1967年からしばらく、雑誌編集者として手塚治虫を担当し、その後も亡くなるまで20年以上にわたって様々にお付き合いいただいた。ちょうどこの本で紹介する作品が書かれた時期とほとんど重なっている。その頃手塚は、何人もの編集者が泊まり込みで原稿を待つような超多忙な毎日を過ごしていて、自宅と仕事場がつながっていたにもかかわらず、自宅に帰るのもままならないような状態も続いていた。そんな中で、じつにビビッドに状況を反映しながら平和の危機をどうやってとらえていたのか。世の中の動向にも極めて鋭敏に反応しながら、それを作品の生命ともしていたのだが、それがなぜ可能だったのか。
 その秘密の一端がわかるのは、担当してしばらくしてからだった。記者会見があるので同行してネームの打ち合わせをしたいと、たびたび呼ばれた。あるときは日本ヘラルドの試写室だったり、紀伊國屋ホールでの安部公房の「棒になった男」の初演だったり、日本テレビでのドキュメンタリーだったりといろいろだったが、終わった後にコメントを聞かれる。それを「記者会見」と称して、映画の試写会を観たり芝居を観たり、ベトナム戦争の記録映像を観たりしながら、巧みに時代を呼吸していたのだ。ある程度気心が知れたので、隠密裏に呼ばれたのだから、他の編集者にはもちろん内緒だった。これは一例に過ぎないが、こうして手塚は、超多忙な中で様々な最新情報を仕入れることができたのだろう。
 敗戦の報を聞いた時、手塚は「これで、自由にマンガが描ける」と思ったという。戦後憲法で保障された表現の自由を、まさに謳歌しながら手塚は戦後のマンガに全精力を注いだのだ。ところが「それがいつの間にか風化し形骸化して、またもや政府がきな臭い方向に向かおうとしている。子どもたちのために、当然大人がそれを阻止しなければならないと同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うんです。」「生命あるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るのだという信念を子どもにうえつける教育、そして子ども文化はその上に成り立つものでなければならない。」(「未来人へのメッセージ」『ぜんぶ手塚治虫!』(朝日文庫所収)と手塚が述べたのは、1986年の第31回子どもを守る文化会議であった。それから30年以上たった今でも、この言葉はそのまま通用する。生涯に全400巻に及ぶマンガを描き残し、反戦平和を願う「紙の砦」を膨大に構築した手塚のマンガは、いまこそ世界の未来を照らし続けていく。

この本では手塚治虫の短篇「紙の砦」「ザ・クレーター 墜落機」「ブラック・ジャック やり残しの家」「アトム今昔物語 ベトナムの天使」「ブラック・ジャック 消えさった音」「ライオンブックス 荒野の七ひき」「1985年への出発(たびだち)」が取り上げられていて、それぞれに小森陽一さんが解説を書いています。ちなみに小森さんはあとがきにかえて、「九条改憲発議を3000万人署名で阻止するために、手塚治虫漫画を読み直そう」と書いています。今秋にも改憲案を発議しようとしている安倍政権に対抗するため、3000万人署名を成功させましょう!!!

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。