また昨日の続きです。
小学五年生になる前の春休みにお父さんがいなくなって、七ヶ月が経つ。お父さんが出て行ってから、私は一週間に一度は手紙を書いた。(中略)ただ、ブラジルへの手紙の送り方はわからなかったから、出すのは梨花さんに頼んだ。(中略)お父さんから返事が来たことは一度もなかった。(中略)
お父さんが出て行って二ヶ月ほどで、梨花さんは「養育費だけではとても生きていけない」と働き始め、その一ヶ月後に「家賃が払えないし、二人にはこの家は大きすぎる」と、私たちは小さなアパートに引っ越した。(中略)梨花さんは、お金が余れば余った分だけ、使ってしまう。そのおかげで、(中略)貯金はきれいになくなり、秋になってからは「今月は苦しい」と嘆く暮らしが続いていた。
(中略)
「保険の営業なんてどうかなって思ったけど、私に向いてるわ。いろんな人と話せるし、私のこの愛想のよさがはまってるみたい」
仕事を始めたばかりの時も、梨花さんは、そうはりきっていた。
(中略)
大家さんは一人で暮らしているからか、私が行くと本当に喜んで、(中略)毎回、畑で採れた野菜だとか知り合いにもらった和菓子だとかをたくさん持たせてくれた。(中略)
私は不幸ではない。梨花さんとの生活だって楽しい。けれど、どうしたって寂しいし、お父さんが恋しい。(中略)
(中略)
大家さんは(中略)私に封筒を差し出した。
「これ、優子ちゃんに」(中略)
「二十万?」(中略)
「もらってほしいからだよ。この家出るからにはすっきり片付けたいしさ。(中略)まあ、お守りだと思って持っときな」(中略)
冬休みは大家さんの家の片付けを手伝った。老人ホームは満員のところが多く、大家さんが入るホームはずいぶん遠い場所だという。(中略)
あの時もらった二十万円は、今も使っていない。本当に困ったことは、まだ起きていないのだろうか。
(中略)
翌日、教室に入るや否や、林さんと水野さんが、
「ねね、超かっこいいんだってー?」
「何が?」
「森宮さんのお父さんだよ。漫画みたいだよね」(中略)昼ごはんも一人だったし、一人で家へと帰った。でも、ほんの少し空気がほどけたのは確かだ。私の生い立ちは、ごくたまにいい効果をもたらしてくれることもあるみたいだ。
(中略)
(中略)
「なんか、大事になっちゃってごめん」
校舎から出ると、萌絵はそう言った。
「別に萌絵が悪いわけじゃないよ」(中略)
それから、少しぎくしゃくしながらも三人であれこれ話して駅へと向かった。久しぶりに友達と帰るのは楽しかった。(中略)
その翌日。
萌絵と史奈と駅まで帰り、バスから降りて家へ向かうと、マンションの前に浜坂君がいた。(中略)
「あのさ、三宅から聞いたんだけど、俺が原因だって」
「原因?」(中略)
「ほら、なんていうか、墨田とかが森宮にからんでたのとか、田所ともめてたのとか」(中略)
もう解決したことなのに、掘り返すようで気乗りしなかったけれど、浜坂君に「教えてほしい」と何度も言われ、私は萌絵に仲を取り持ってほしいと頼まれた一件を話した。(中略)
十月も中旬を過ぎると、秋は一気に深まっていく。(中略)二学期の最期には合唱祭がある。(中略)
「ピアノは、森宮さんでいいよね」
学級委員の田原さんが終りのホームルームで言うのに、ぱらぱらと拍手が聞こえた。(中略)
小学六年生になると、ピアノを習う友達が増えてきた。(中略)
「ピアノ、習いたいな」
ピアノは高価なものだとは知っていたけど、そこまで深く考えていなかった私は、梨花さんと夕食を食べながらそう言った。(中略)
「でも、この家じゃ無理だね」と(梨花さんは)言った。(中略)
ところが、一ヶ月ほど経ったころ、梨花さんが、
「ピアノ、なんとかするね」
と言い出した。(中略)
それから半年ほど経った、小学校の卒業式の日。夕食後にケーキを食べながら、梨花さんは、
「卒業おめでとう。遅くなったけど、ピアノをお祝いにするね」
と言った。(中略)
「ここにはないよ。ピアノを弾ける大きい家と一緒にプレゼントするから」(中略)
翌日、朝からアパートに、四人もの引越し作業員の人が来た。(中略)
「さあ、着いたよ。降りて」
「そう。ここ。この家とピアノと、後、中学入学に向けて新しい父親も一緒に手に入ったんだ」(中略)
「ようこそ、優子ちゃん」
リビングの大きな革張りのソファに座っていたおじさんが、私を見ると、そう言って立ち上がった。(中略)
この人が父親となる人だというのは、わかった。(中略)
「泉ヶ原茂雄さん。先週、籍を入れたんだ。結婚したってことね。つまり、優子ちゃんのお父さんになるかな」
と梨花さんは簡単に説明し、「あー、引越しって疲れる」とソファにどっかと腰をかけた。(中略)
「この人は、吉見さん。料理や掃除やいろんなことをしてくれるんだ。とても親切な人だから、優子ちゃんもなんでも頼んでね」(中略)
(また明日へ続きます……)
小学五年生になる前の春休みにお父さんがいなくなって、七ヶ月が経つ。お父さんが出て行ってから、私は一週間に一度は手紙を書いた。(中略)ただ、ブラジルへの手紙の送り方はわからなかったから、出すのは梨花さんに頼んだ。(中略)お父さんから返事が来たことは一度もなかった。(中略)
お父さんが出て行って二ヶ月ほどで、梨花さんは「養育費だけではとても生きていけない」と働き始め、その一ヶ月後に「家賃が払えないし、二人にはこの家は大きすぎる」と、私たちは小さなアパートに引っ越した。(中略)梨花さんは、お金が余れば余った分だけ、使ってしまう。そのおかげで、(中略)貯金はきれいになくなり、秋になってからは「今月は苦しい」と嘆く暮らしが続いていた。
(中略)
「保険の営業なんてどうかなって思ったけど、私に向いてるわ。いろんな人と話せるし、私のこの愛想のよさがはまってるみたい」
仕事を始めたばかりの時も、梨花さんは、そうはりきっていた。
(中略)
大家さんは一人で暮らしているからか、私が行くと本当に喜んで、(中略)毎回、畑で採れた野菜だとか知り合いにもらった和菓子だとかをたくさん持たせてくれた。(中略)
私は不幸ではない。梨花さんとの生活だって楽しい。けれど、どうしたって寂しいし、お父さんが恋しい。(中略)
(中略)
大家さんは(中略)私に封筒を差し出した。
「これ、優子ちゃんに」(中略)
「二十万?」(中略)
「もらってほしいからだよ。この家出るからにはすっきり片付けたいしさ。(中略)まあ、お守りだと思って持っときな」(中略)
冬休みは大家さんの家の片付けを手伝った。老人ホームは満員のところが多く、大家さんが入るホームはずいぶん遠い場所だという。(中略)
あの時もらった二十万円は、今も使っていない。本当に困ったことは、まだ起きていないのだろうか。
(中略)
翌日、教室に入るや否や、林さんと水野さんが、
「ねね、超かっこいいんだってー?」
「何が?」
「森宮さんのお父さんだよ。漫画みたいだよね」(中略)昼ごはんも一人だったし、一人で家へと帰った。でも、ほんの少し空気がほどけたのは確かだ。私の生い立ちは、ごくたまにいい効果をもたらしてくれることもあるみたいだ。
(中略)
(中略)
「なんか、大事になっちゃってごめん」
校舎から出ると、萌絵はそう言った。
「別に萌絵が悪いわけじゃないよ」(中略)
それから、少しぎくしゃくしながらも三人であれこれ話して駅へと向かった。久しぶりに友達と帰るのは楽しかった。(中略)
その翌日。
萌絵と史奈と駅まで帰り、バスから降りて家へ向かうと、マンションの前に浜坂君がいた。(中略)
「あのさ、三宅から聞いたんだけど、俺が原因だって」
「原因?」(中略)
「ほら、なんていうか、墨田とかが森宮にからんでたのとか、田所ともめてたのとか」(中略)
もう解決したことなのに、掘り返すようで気乗りしなかったけれど、浜坂君に「教えてほしい」と何度も言われ、私は萌絵に仲を取り持ってほしいと頼まれた一件を話した。(中略)
十月も中旬を過ぎると、秋は一気に深まっていく。(中略)二学期の最期には合唱祭がある。(中略)
「ピアノは、森宮さんでいいよね」
学級委員の田原さんが終りのホームルームで言うのに、ぱらぱらと拍手が聞こえた。(中略)
小学六年生になると、ピアノを習う友達が増えてきた。(中略)
「ピアノ、習いたいな」
ピアノは高価なものだとは知っていたけど、そこまで深く考えていなかった私は、梨花さんと夕食を食べながらそう言った。(中略)
「でも、この家じゃ無理だね」と(梨花さんは)言った。(中略)
ところが、一ヶ月ほど経ったころ、梨花さんが、
「ピアノ、なんとかするね」
と言い出した。(中略)
それから半年ほど経った、小学校の卒業式の日。夕食後にケーキを食べながら、梨花さんは、
「卒業おめでとう。遅くなったけど、ピアノをお祝いにするね」
と言った。(中略)
「ここにはないよ。ピアノを弾ける大きい家と一緒にプレゼントするから」(中略)
翌日、朝からアパートに、四人もの引越し作業員の人が来た。(中略)
「さあ、着いたよ。降りて」
「そう。ここ。この家とピアノと、後、中学入学に向けて新しい父親も一緒に手に入ったんだ」(中略)
「ようこそ、優子ちゃん」
リビングの大きな革張りのソファに座っていたおじさんが、私を見ると、そう言って立ち上がった。(中略)
この人が父親となる人だというのは、わかった。(中略)
「泉ヶ原茂雄さん。先週、籍を入れたんだ。結婚したってことね。つまり、優子ちゃんのお父さんになるかな」
と梨花さんは簡単に説明し、「あー、引越しって疲れる」とソファにどっかと腰をかけた。(中略)
「この人は、吉見さん。料理や掃除やいろんなことをしてくれるんだ。とても親切な人だから、優子ちゃんもなんでも頼んでね」(中略)
(また明日へ続きます……)