外でべた豆乳鍋が忘れられず、家でつくりました。
たれは、豆乳300cc、水300cc、市販の白だし100ccで作ります。
鍋の煮汁が減ってきたら、豆乳を足していきます。味が薄くなったら、白だしを少し加えます。
具は、
白菜、水菜、大根、ネギ、キノコ、人参薄切り、豚バラ薄切り、シラタキ、豆腐、魚 などなど、、、、。
〆は、お蕎麦かうどんを入れてたべてください。
大豆たんぱくは、脳の老化を防止する効果があるようです。お年寄りには最適なメニューです。
外でべた豆乳鍋が忘れられず、家でつくりました。
たれは、豆乳300cc、水300cc、市販の白だし100ccで作ります。
鍋の煮汁が減ってきたら、豆乳を足していきます。味が薄くなったら、白だしを少し加えます。
具は、
白菜、水菜、大根、ネギ、キノコ、人参薄切り、豚バラ薄切り、シラタキ、豆腐、魚 などなど、、、、。
〆は、お蕎麦かうどんを入れてたべてください。
大豆たんぱくは、脳の老化を防止する効果があるようです。お年寄りには最適なメニューです。
今、島根県浜田市は、瀬戸が島という場所にある20年以上放置したままの広大な埋め立て地に、集客見込める施設を整えて、町を活性化しようと計画を発表している
その壮大なプロジェクトは20億の予算をかけた地方都市には壮大なものである。
多額の予算を使うということ、そして、その内容について、疑問に思う人もいて、反対して阻止したいという意見もでている。
お金の無駄遣いにならないようにしてほしい。市民の思いはそこに集約されている。浜田市の場合は、ふるさと創生の予算がつき、市は一部を負担することで事業を行うことができるようである。いくら、国や県が予算を出してくれても、失敗するのならやめた方が良いという意見もある。難しい。
市はどうにかして 有効活用しようと必死なのであるが、フェイスブックでは反対の人が意見をのべている。これから、市民から広く意見を求めていくことも考えているようだが、市民の方へのアピールが弱いため、市長が批判をうけている。
では予算のついた計画を白紙にしてよいのか?ということになる。あちこちの既存の施設の充実に使ってほしいという意見はあるけれど、具体的な核になる町おこしの対案というのはまだ伝わってこない。
もし市のプロジェクトを推し進めることを前提に、若い人を中心にもっと多くの人に広く意見を聞いて、意見ををひとつひとつ取り入れて、前にすすめていけたら、どうなるのだろう?意見の調整は必要になるが、目的は一つにできると私は思うようになった。反対はいつでもできる。でも、もっとこうしたらよくなるとか、こういうことなら協力できるという方向でとらえたら、有効活用につながるのではないだろうか?
私は反対する方に、計画内容などをもう少し丁寧に説明してもらって、協力する方向にできないか?とお願いした。地方を良くしたいという思いは皆同じ。しかも、一生懸命活動している人がほとんど。祈るような気持ちで、フェイスブックにコメントを残した(何度も推敲くりかえし、削除と投稿をくりかえして、ご迷惑をかけたけれど。)。
どうしてこれほど気になったのか。
それは、父の時代にさかのぼる。
以前にもブログに書いたのであるが、再度紹介する。
バブルの絶頂期だった30年前、瀬戸が島の壮大な開発プロジェクトが発表された、県と国の複数の省庁がかかわった計画で、マリン大橋をつくり、瀬戸が島のおばせの浜の海岸を埋め立て、そこに、水産加工、養殖、教育施設、公園、娯楽施設などをつくり、人が集まって楽しむことができる夢のあるものだった。
当時その計画の説明を議長であった父が代表で、官僚から聞いた。説明が終わった後父は、
「びっくりするぐらい壮大な計画なのですが、ぜひぜひ絵に描いた餅にならないようにお願いいたします。」
こうのべたとたん、官僚は
「複数の省庁が考えた地方再生の素晴らしい計画にあなたは水をさすのか、とんでもない。失礼だろう。」
こう言われたのだ。そして父は、ひきさがり、計画の実行をひたすら願い、賛成した。
そのあと、マリン大橋がつくられ、海岸が埋め立てられ、道ができた。しかし、計画はそれで終わってしまった。予算がなくなったと理由であった。
引退したあとも、父はマリン大橋をみるたびに、計画半ばで捨て去られた事業のことを話してくれた。自分の無力さが原因だったとずっと後悔しつづけていた。こうした事業の失敗は、誰が責任をとるのか?日本はだれも責任をとらない。あのとき、父がたとえば、首にナイフをつきつけて、実行しなければ誰が責任をとるのか、と官僚に詰め寄り、計画をダメにしたほうが良かったのか?少なくとも亡くなった父は自分のせいだと思っていた。
私が、この埋め立て地に特別な思いを寄せるのは、後悔しながら亡くなった父のことがあるからなのだ。
おそらく、父も天国で、今度のプロジェクトが絵に描いた餅にならないように、誰よりも願っているとおもう。
事業計画推進のゴーサインがでたら、ぜひ、ぜひ、成功してほしいと、私も願っているのである。