最近、孫の教育や、自分の能力の衰えをどうカバーするかということがいつも気になる。
そのせいか、数学に関する情報には、敏感になっている。
先日、アレクサンドリアという映画をTVで見て、ヒュパティアという、女性の数学、天文学、哲学(新プラトン主義)の研究者が、かつて、アレクサンドリアで活躍していたことを知った。映画では常に真理の追究を何より大切にし、キリスト教を信仰することを拒否し、魔女として修道士に惨殺された。
近代以前に活躍した女性の科学者はごくわずか。そんな女性のなかにあって、自分らしい生き方をつらぬいたのは立派である。
時代ごと、ひとは自分の計り知れない未知のものに対して、不安がつのり、人を迫害してしまう。科学の発達によって、ある程度未知のものの解明は少しずつなされてきた。現代では、真理を追究することを邪魔されるということはほとんどない。しかしまだまだ争いは絶えない。
人間は歴史のなかで多くの経験を重ねてどのくらい、進化できているだろうか?平和に暮らすことを第一に考えるのであれば、考え方の違う人、宗教の違う人どうしであっても、共通する部分を大事にする必要があると思う。その点はどこまで進化できるのであろうか。
ヒュパティアという女性の生き方をを通じて考えさせられる。
じゃことしそ、シイタケズッキーニ、野菜が沢山はいったアンチエイジングと頭のよくなるチャーハンをこの日はお昼に作ってみた。ヒュパティアが食べたらいったいどういう反応をしたのであろうか?案外野菜がきらいだったりして。。。。?などとくだらないことを考えたりする私。