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ドイツにはきれいなところがいっぱいある。

2007-08-14 | ドイツの友人からのメール
モーゼル
【ドイツの旅】

歴史 見どころ

【人口】モーゼル地域は約525000人の人口を数え、トリア(10万人)、コブレンツ10万9千人)、ベルンカステル・ヴィトリッヒ郡、トリア・ザールブルク郡にほぼ同数の住民(10万人程度)が居住。


【モーゼル川】: 全長545kmで、そのうち317kmはフランス国内を流れ、36kmにわたりドイツとルクセンブルクの国境をなす。192kmにわたりラインランドプファルツ州を横切り、コブレンツでライン川に合流。標高差は676mに及び、そのため水門を設け、船の運行を可能にしている。


【気候】: 峡谷にあるため、ドイツでも一番気候の温暖な地域で、年間平均気温は他のドイツ地域より1~2°C高く、ブドウ畑(ブドウの樹の高さレベルで温度測定)では4~5 °C高い。


【ブドウの栽培面積】 約12000 ha。そのうち50%が傾斜地ないし段々畑。


【経済】: 中心はブドウ栽培、ぶどう酒の販売、観光で、工業はトリア、ヴィッティッヒ、コブレンツに点在するのみ。

歴   史

【歴史】

BC 500年頃 ゲルマンの一部族トレヴェリー族がモーゼル地域に定住。

BC 55~53年 シーザーの軍隊がトレヴェリー族の居住地域を占領し、支配下に収め、ライン川に進出。

BC 16年頃 ローマ皇帝アウグストス、トリア(Augusta Treverorum)を造営。

BC 9~8年 モーゼルがラインに合流する地点にローマ軍の要塞 Apud Confluentes (後のコブレンツ)がつくられる。

AD 1世紀 ローマ人がモーゼル渓谷でブドウ栽培を始める。

AD 70年 トレヴェリー族及び他のゲルマン部族がローマ軍に反乱するが、Riol (Rigodorum)で鎮圧。

180年頃 ポルタ・ニグラ(トリアの黒門)がつくられる。

3世紀 モーゼル地域、キリスト教化。トリアは最初の司教座となる。

275年 アレマン族、フランク族がモーゼル地域に侵入、トリアを破壊。ローマ人はトリアを再建。

285年 トリア、西ローマ帝国の首都となる。

395年 ローマ皇帝の居城がミラノに移され、トリア及びモーゼル地域のローマ時代最盛期が終わる。

5世紀 トリアは何度も破壊される。5世紀末にフランク族がモーゼル地域を支配。

870年頃 フランク王国の分割により、モーゼル地域は東フランク王国の一部となる。

882年 ノルマン人、トリアを破壊。

10~12世紀 トリアが再建され、新たなドームも建てられ、重要なキリスト教都市として栄える。

1307~1354 大司教で選帝侯であった Balduin von Luxemburg の時代にトリア選帝侯領は大きく拡大し、最盛期を迎える。

1618~1648 三十年戦争によりモーゼル地域も荒廃。

1687~1689 レユニオン(ルイ14世の強制併合政策)戦争の過程で、フランス軍がモーゼル地域を破壊。

1784年 モーゼル地域、大洪水に見舞われる。

1794年 フランス軍、トリア選帝侯領を占領。

1801年 ライン川左岸地域がすべてフランス領となる。

1815年 ウィーン会議。モーゼル地域、プロシャ領となる。

1839~1879 最初の蒸気船がモーゼル川を航行。鉄道も敷かれる。

1892~1903 ブドウ栽培、ぶどう酒の販売が最初の最盛期を迎える。

1918~1930 第一次大戦後、モーゼル地域は初めアメリカ(~1923年)、後にフランス占領下に入る。

1946年 モーゼル地域は新たにつくられたラインランドプファルツ州に編入。

1970年 トリア大学創立



 見どころ

コブレンツ、トリア等の「大きな都市」は別に紹介しますので、今回はモーゼル河畔にちらばっている真珠のような町を紹介します(コブレンツ →トリアの順路)。

(1) コーベルン・ゴンドルフKobern-Gondorf マティアス礼拝堂(Matthiaskapelle)(ロマネスク様式)には福音書を書いたマティアスの頭部が保存されていたという。

(2) トゥーラント城砦 Burg Thurant 丘の上に建てられた典型的なモーゼルの古城。


(3) エルツ城(Burg Eltz) 森の中にそびえ立つドイツ有数の美しい城。以前500マルク札に印刷。破壊、略奪にあっていないため(エルツ家はフランス軍に従軍し、ドイツの他都市を略奪)、往時の姿を残している。4月~11月1日(09:30~17:30)。電話(02672) 95 05 00。モーゼルケルンから車で約 15分。



(4) コッヘム (人口:6200)

モーゼル下流地域の観光中心地。
見どころはマーケット広場とライヒスブルクの二つ。

866年に初めて文献にその名前が出現。Mont Royal (トラーベン・トラーバッハ)の要塞を拠点にフランス軍が略奪を繰り返し、この町も灰塵に帰すが、徐々に手工業、商業の町として復興。20世紀30年代にモーゼル観光の名所としての発展を開始。

マーケット広場: 木骨建築の家並み、バロックの市庁舎が美しい。マルティン教会、カプチン会修道院。

ライヒスブルク(3月15日~11月15日: 9時~17時。12月24日~1月1日:11時~15時)。エルツ城とならびモーゼルで最も美しい城の一つ。1000年頃、プファルツ伯エーレンフリード(皇帝オットーの義理の弟)が建てさせた城と思われる。1151年、Reichsburg(帝国直轄地を保護するため、城砦伯の管理下に置かれた城砦)に格上げ。12世紀末、国王アドルフ フォン ナッサウ・コッヘムがこの城砦を抵当にしてトリア大司教から借金をする。この頃からこの地域の繁栄が始まり、1332年には都市権を授与され、市壁で囲まれる。1689年、フランス軍に破壊されるが、城砦は1869年に再建。



(5) ブレム Bremm ヨーロッパで最も傾斜の急なぶどう畑を誇る村。

(6) バイルシュタイン Beilstein。「ミニ・ローテンブルク」と呼ばれ、1960年代のHeimatfilme(郷土映画)にも度々登場。

(7) ツェル アン デア モーゼル(人口:5000)
600万本のブドウの樹を誇る町(ドイツ最大)。観光客にも人気があり、シーズン中は環境客でごった返している。特に有名なのが、《ツェルの黒猫》と呼ばれるGroßlage(ブドウ栽培地域)で、その名前の由来については多数のもっとらしい説があるが、一番頻繁に語られる説明は以下の通り。昔、アーヘンから三人の商人がワインの買いつけにこの町にやって来た。じっくり試飲をした後、3つの樽にはいったワインが選択肢として残ったが、どれにしたらよいか迷っていると、ケラーマイスターがもう一度試飲してもらうためワインを取り出していた樽にワイン栽培業者の飼い猫が飛び乗り、背中を丸めて、攻撃姿勢をとった。これを見て、三人は猫がこれだけ熱心に防御したいと思うからには良いワインにちがいないと、即座にその樽を買って行った。しばらくして、この三人の商人が再びアーヘンから戻って来て、その栽培地域からとれたワインをすべて買って行った。三人から、ワインが「ツェルの黒猫」の名前で販売され、とぶように売れたことを聞いた栽培業者がそのことを同僚達に話すと、同僚たちも町役場も、ツェルのブドウ栽培地域全体を「ツェルの黒猫」の名前で呼ぶことに合意した。

(8) ピュンデリッヒPünderich 典型的なワイン造りの町。彫刻のきれいなFährhaus(渡し守の家)、ゴチック様式の市庁舎/裁判所。

(9) エンキルヒEnkirch 15世紀~18世紀に建てられ(その後改修された)木骨建築の美しい町。既に1248年に都市/開市権を授与。シュタルケンブルク(廃墟)からの眺望が良い。

(10) トラーベン・トラーバッハ(人口:6300)
ほとんどがカトリックのモーゼル地域の中で珍しいプロテスタントの町で、ヨーロッパで二番目のぶどう酒取引量を誇る。
その豊かさは建物にも反映されている。だが中世の町並みは3回にわたる大火(1761、1857、1879年)でほとんどその跡を留めていない。
ここも二つの町が統合(1904年)した町で、トラーベンの方がトラーバッハより早く、830年に文献に初出している(アーヘンのマリア・シュティフトに対する十分の一税の徴収を行ったAacher Hofとの関連)。トラーバッハは1142年に文献初出。1254年には都市権を授与。その後、シュポーンハイム伯爵及びその子孫の居城地となる。1688~98年、フランスのルイ14世はトラーベンの丘に要塞Mont Royal をつくらせ、占領したライン諸地域に対する権力拡大の基地として利用。モン・ロイヤールは1698年に破壊されている。グレーヴェンブルク(城砦。現在廃墟Grevenburg) 1350年築。4つの四角い塔をもつ城。1620~1734年にかけ13回も所有者が代わり、1734年に最終的に破壊。

(11) ベルンカステル・クース(Bernkastel-Kues) (人口:8000)
モーゼル中流域の中心に位置。ベルンカステルとクースという二つの町が合併した町で、モーゼル川にかかる橋でつながれている。トリアからコブレンツに向かって右側にある地区がクースで、ミヒャエリス・ブルンネンを中心にした非常にロマンティックなマーケット広場がある。特に旧市庁舎(Altes Rathaus)、シュピッツホイスヒェン(とんがった家。Spitzhäuschen)が可愛い。ちょっとした喫茶店がいくつもあるので、一休みしながら小さな町を一巡するのもよい。また、ここは枢機卿で後に大司教になった中世の神学者・哲学者ニコラウス フォン クース(クザーヌス)(1401~1464)の生まれた町でもあり、生家(Cusanus-Geburtshaus。1570に再建。1970年代に1570年の建物を基準に修復)ではニコラウスについての常設展示が行われている。(火~土:10:00~12:00、14:30~17:00、日曜、祭日: 10:00~12:00。電話(065 31) 28 31。
ベルンカステル・クース:マーケット広場


聖ニコラウス施療院(St.Nikolaus-Hospital) ニコラウス フォン クースが町の人達に寄進した(貧者のための)養老院。(月~金:9~12、14~18、土、日:9~12。電話(06531) 22 60)。図書室が有名。

これもクース側の橋のたもと、大型バス駐車場の近くに遊園地を走っているような小さな観覧列車の発着所があり、1時間に一度(夕方5時00分が最終)丘の上の元(トリア)選帝侯城砦Landshut(ランツフート)の廃墟まで登れ、そこから360°蛇行したモーゼルの流れ、ぶどう畑、板岩の瓦でふいた町のたたずまいを眺望出来る。

(12) ノイマーゲン・ドローンNeumagen-Dhron 「ドイツで一番早くからぶどう栽培の行われた村」と言われている。教会の門の前に「ワイン船」(模造。オリジナルは州博物館/トリア)。元来は、ローマ人ワイン商人の墓の一部。




リンク:モーゼル観光案内
   一度言ってみたい感じですね、写真見ているだけで!
コメント
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