大鵬さん死去:幕内優勝32回 「柏鵬時代」築く
毎日新聞 2013年01月19日
大相撲史上最多の幕内優勝32回を記録、柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」を築いた第48代横綱・大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが19日午後3時15分、心室頻拍(しんしつひんぱく)のため東京都内の病院で死去した。72歳。葬儀の日程、喪主などは未定。
北海道弟子屈(てしかが)町出身。自伝によればウクライナ系ロシア人の父と日本人の母の間に樺太(現ロ シア・サハリン)で生まれ、終戦直後に北海道に移り住んだ。中学卒業後に営林署に勤めていたところをスカウトされて二所ノ関部屋に入門し、1956年秋場 所初土俵。59年春場所後に18歳10カ月で新十両、60年初場所には19歳7カ月で新入幕。その場所で12勝を挙げて敢闘賞を受賞した。
入幕4場所目に新三役の小結になると、三役3場所目の60年九州場所で初優勝し20歳5カ月で大関へ。 大関5場所目の61年秋場所には、柏戸との優勝決定戦を制して柏戸とともに横綱昇進。新入幕から所要11場所での横綱昇進は歴代最速で、21歳3カ月は北 の湖(現日本相撲協会理事長)の21歳2カ月に次ぐ史上2位。
横綱昇進時で身長187センチ、体重133キロというバランスの取れた体と、右、左どちらの四つでも取 れる攻め手の豊富さで優勝を重ね、横綱5場所目の62年名古屋から63年夏場所まで6連覇、さらに66年春場所からも6連覇を達成。全勝優勝も8回記録。 その強さと人気から、子供の好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が生まれた。68年秋場所から69年春場所にかけては45連勝も記録した。
71年初場所で32回目の優勝。その翌々場所の同年夏場所5日目に貴ノ花(元二子山親方・故人)に敗れ て引退、一代年寄「大鵬」を襲名し、大鵬部屋を起こした。77年に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、再起して関脇・巨砲(おおづつ)らを育てた。80年2月 から96年1月まで日本相撲協会理事。05年5月に協会を定年退職後は相撲博物館長を務めた。09年には相撲界で初めて文化功労者に選ばれた。【上鵜瀬 浄】