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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

徘徊で一番学んだ事は…

2007年06月18日 | 日記
夕食後 少量のビールで寝入ってしまった

いかん!いかん!前回の徘徊についてはまだ残りがあったのに…


蔵の町川越を後にして 私は西川口へと向かった

河鍋暁齋記念美術館(埼玉県蕨市)に行くためだ

彼の名を初めて目にしたのが何時の事だったか 記憶は定かでは無い

昨年の若冲ブーム(恐らくは2度目のか・・・)となったプライス・コレクションには ごく僅かだが

ただ一人の明治期の画家として作品を連ねていた

比較的近くに記念館がある事も知っていたが

それが日本の近代建築の父とも言われるコンドルと深いつながりがある事は 最近まで知らなかった


プライスは かの有名なフランク・ロイド・ライトと知り合いだった

帝国ホテルを建てた人であり 古い名画ファンならばアン・バクスターのおじいちゃんと言えばよいか

まだ若かった彼はライトから 日本の美と共に

自然界における合理的な構造に対する深い感嘆と賛美と尊敬の念を学んだ

一方 建築の教授として日本政府から招かれたコンドルは 日本の美に惚れ込み自ら絵筆を取るに至った

三次元の世界を構築するのが商売の建築家に絵を描くことを得意とする人が少なくないのは 当然かもしれないが

彼の絵もなかなかである

建築家と収集家 建築家と画家 時代も構図も違うのにどこか近似値を感じさせる


初めて下車する土地は ミステリアスである

歩いて行けないところは無い という妄信が私にはある

何度失敗しても懲りない学習能力の低さは 粗忽者を通り越していると思う

此処でも迷った

素直にバスに乗れば良かったと後悔しながらも ようやく辿り着いた


小さな美術館だった

元は住居だった場所を改装して作られたという庭には 暁齋がモチーフとして好んだという蛙の置物がある

蛙の会があり 日本全国のファンが会員となって活動しているとネットには書いてあった


美術館員の女性が案内してくれる

展示品はスペースの関係もあって少数ではあるが ビデオを見る時には紅茶のサービスもあった

狩野派の画家として 幕末から明治という激動の時代を生きた彼の作風は 種々に及ぶ

地獄や骸骨などを描き 残酷とも思える作品や風刺のせいで異色の画家と言われるが

決してそれだけの画家では無い


欧州での万博以来 ジャポニズムの風潮が一気に高まり来日した数多くの外国人が日本の美の虜になった

日本人が身近ゆえにあまりにも当然として受け止めていた美を再発見したのは 彼らだった


キャバレー王として名を馳せた福富太郎氏のコレクションに「雨中白鷺図」がある

ほとんどモノトーンの作品だが 大胆な構図とデザイン 北斎が描くような直線の雨 しっかりと大地を掴む足

私の好むものである

彼は人物を描く時 先ず人体そのものから描きそこに服を着せるのだそうだ

身体の線にどう衣服が流れるのが 自然であり当然であるか

そういった師の画法をコンドルは仔細に記録しているのだ


私は 建築にも絵画にもド素人もよいところだ

判断の基準は いいねぇ~ と思うかどうかで別段研究しようとも思わない

興味はいつも芋蔓式で あちこちへと飛来する

だが今回の徘徊を通して 多くの事を学んだ気がする

自然とは何かという事も考えたし 全てがそうであるが 

これ以上足すことも引くこともできないギリギリのところに美は存在するなんて事も思った(当たり前か^^)

コンドルが歌舞伎は勿論 落語や講釈 日本舞踊から生け花に至るまで習得しようとした事

日本の衣装史から造園に至るまで(これは建築家として当然だが)の研究をしていた事も知った

興味あるものへの集中力には驚嘆するばかりである


だが 今回一番学んだ事は 地図はちゃんと用意して徘徊しようということだったかもしれない

その日 私は満足しながらもヘトヘトになって帰宅したのだった


コメント
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