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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

梅雨の日曜は寝て曜日だぁ~

2007年06月24日 | 日記
ほとんど一日中寝て過ごした

昨日張り切った反動だろうか

朝食をとってからは 何も食べず

パンダなら死んでるね


これだけ眠ると普通は目が冴えて眠れないものなのに まだぼんやり

ビール 飲もうかなぁ~

とても不味い枝豆が冷蔵庫にあるのだけれど

欠伸が ふたつ みつ 続けざまに


今日しなければならなかった事は 多分 これだったのだろう

明日しなければならない事は 明日に任せて

リレーの夢を見よう 明日へ渡すバトンを持って

そして 何時の日にか 最終ランナーとなって

たすきをかける

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てふてふが一匹韃靼海峡を渡つていつた

2007年06月24日 | 日記
子供の頃 作文や読書感想文は苦にならなかった(上手か下手かは別問題だ)

教室で 他の生徒がえ~~ っと嫌悪の声を上げる中 スイスイと書き始めたものだ

だが 詩というものは判らなかった

大人びた子供が物憂げに 微熱を帯びたような視線で ややロマンティックに見る世界

そんなイメージがあった

男の子と 忍者ごっこだの秘密基地を作って遊ぶような少女には無縁の世界だった


何時とはっきりと言える記憶は無いのだが(最近富にその傾向にある) 国語の教科書で一編の詩と出合った


―てふてふが一匹韃靼海峡を渡つていつた。―


強烈だった

たったこれだけの言葉で まるでシネマの様な世界が広がる

(岩波の記録映画でもいいんだけどねぇ~)

か弱いと思われている蝶 しかも一匹 

それが韃靼海峡(間宮海峡)を渡っていく(何でだ?向こうに何がある?)

小さきものと大きなもの 強と弱の見事な対比

韃靼(だったん)という言葉の響き

厳しい自然の空を 淡々と羽を休めることなく飛び続ける姿

授業で習ったまんまみたいな凡庸な解説だが 偏見と理解力の無さからくる詩に対する軟弱というイメージが

雷親父が卓袱台をひっくり返すが如く イッペンに覆ったのだ


詩という形態をもってして描く美の世界がある事を知ってからは 時折手にするようになった

これしかないという言葉を捜す作業が面倒で 私はほとんど滅多に詩を書く事は無い

駄文は内容に救われることもあるが 詩の美学はそんなものを許さないだろうと思うからだ

五・七・五の俳句の世界は生活に馴染みがあるから 粗忽という俳号で超駄作を作って遊ぶ事もあるが

詩の世界は とても怖くて遠巻きに眺めるだけであるが 見ようとも思わなかった頃もあったのだから

この詩との出会いは 感謝以外にはない

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