どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

おひとり様の鍋

2011年12月04日 | 日記
一人になってから五年以上が経過している

その間の生活は 変わったこともあり変わらなかったこともあるが 食生活は大きく変わったことの一つかもしれない

揚げ物をしなくなったし 鍋料理も口にしなくなった


どちらも時々無性に食べたくなることがある

外食で事足りると思うだろうが 家庭の味のそれとはまた違うのだ

ことに鍋料理にいたっては さて何を入れようかとか カセットコンロを準備したり 具材をお皿やざるに並べて

そうしてコタツに入りながら 一体何を話していたのか ワイワイやりながらの食事は 今も鮮やかに蘇る光景である

とこんなことを書けば 将来は寂しき独居老人の姿が見えてくるやもしれぬが 独居が寂しいなどと思われてはかなわない

これはこれで快適なのだ


昨日 スーパーに買い出しに出かけて 今日の夕食は何にしようかと物色していたら タラに出会った

三種類あって 外国産 北海道産 北海道根室産(と思った)

最後のものが一番高くて色も良く 甘いと書かれてあった

それを見ていたら これを買って久しぶりに鍋にしようと思い立った

スダチはどこだ?

日頃買わないものだからどこに並んでいるのか うろうろと探し回った


スーパーでの買い物の前に本を買った

父が好んで読んでいた作家の中には 父が生存中にすでに新刊が出なくなった人も 活躍中の人もいたけれど

そうした新刊を父はもう読めないのだと いつも感じながら棚の間を歩いている

それがつらいのか単に遠慮なのかは自分でもわからないが 私もそうした作品を買わずにきている

俺の代わりに読んでくれよ と 多分そう言うだろうことはわかっているのだが… 

そして私もいつか どんなに素敵な本が出ようとも それを目にすることの無い日が来るのだと

そんな当たり前のことを しみじみと実感した

それで 題名こそ知っているのに あるいは気になっているのに読まずにきた本の隙間を これからは埋めていこうと決めた


夕闇の中 急いで帰り支度をする

本来ならぐつぐつやりながらが鍋の神髄だが おひとり様の鍋はこれは割愛

父が読まないような本も 読みたくても読めなかった本もこれからは私が読む なんてことを考えながら

風情の欠片も無い鍋はわずかな時間で完食となったが それでも十分美味しかった
 
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