春さんとの千葉徘徊の続きを書こう
教会から歩いて こんどは「千葉市美術館」へ行く
ここは新しい建築物ではあるのだが 1・2階が「さや堂ホール」と呼ばれ 実は「旧・川崎銀行千葉支店」の建物を保存・修復したものである
新しい建築物が 古い建築物に覆いかぶさって内包している姿は また面白いものでもある
なお 設計は矢部又吉で 横浜の日本興亜馬車道ビルになっているあの外観だけ残したビルも彼の作品
彼の作品として他に 第百銀行横浜支店も 今は高層マンションになってしまったその一階部分の外観にもとの姿を残している
大阪では 旧川崎貯蓄銀行が素晴らしいカタチで堺筋倶楽部・アンブロシア(レストラン)として今も現存・利用されているし あの明治村にも川崎銀行本店の一部が保存されている
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建物全景
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大きな柱のむこうに さや堂の柱が見える
この建物の中にレストランがあることを教会できいていたので 私たちはここで昼食にする
そのあと千葉駅まで歩き 本日最後の場所になる稲毛まで電車に乗る
天気は 朝とはまるで違い晴天そのもの
まず初めに「千葉市ゆかりの家・いなげ」という名前のついた 愛新覚羅溥傑(ラストエンペラーの弟)が 伯爵令嬢である浩と新婚当時の半年ほどを暮らした家を見る
当時の稲毛は海も近く 保養地や別荘地として多くの文人墨客が訪れる土地であったらしく この家も平屋で小さいものではあったが快適な住まいであっただろうと想像できるものだった
ほとんど政略結婚でありながらも 自分の立場を運命と受け入れ 互いを尊重し 愛を育んだということは 両者とも優れた人格者だったのだろう
次は「千葉市民ギャラリー・いなげ」と呼ばれ 国登録文化財となっている「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」
今となっては有名なところでは 浅草にある「神谷バー」と「電気ブラン」の名前くらいだろうか
本格的フランスワインの醸造法を導入し 日本のワイン王と言われた人の別荘である
そのせいだろう 玄関のシャンデリアに葡萄のモチーフを使ったり 二階の床柱の一部にその木を使ったり 欄間にも絵柄を利用したりと まさに「葡萄の館」であり 素敵な洋館である
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一枚板をくりぬいた木瓜窓
いつかは茨城県牛久にある「シャトーカミヤ」(重文)にも行きたいと思う
最後はすぐそばにある「千葉トヨペット本社」(旧日本勧業銀行・国登録文化財)
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これは妻木頼黄(よりなか)と武田五一との共同設計になってはいるが ほぼひとまわりの年齢差があるために おそらくは役割分担(設計と監督といったような)があったのだろうと思う
妻木の作品として有名な物で今も現存しているものの一つが あの現・横浜県立歴史博物館である
武田は 京都には非常に作品が多く 先日見てきた京都大学人文科学研究所もそうである
この建物は和洋折衷というよりも いささか和に近く 私は建物の意匠よりも 数奇な運命をたどったことの方に興味が湧いた
銀行本店として日比谷公園の向かい 今のみずほ銀行がある場所とほぼ同じところに明治32年に建てられる
その後大正15年 本店改築のために売りに出される
京成が買い取り 「谷津遊園」に移築し 「楽天府」と名づけて娯楽場などとして利用したのだが 昭和15年に千葉市が庁舎として使うために無料でもらいうけることになり 再び移築されて昭和36年まで使用される
そのあと 千葉トヨペット本社として稲毛に移築され 今も社屋として使われている
屋根は建築当時と同じ木造銅葺だが 躯体はもちろん鉄筋コンクリートであり 中に入れば過去を物語るものは一切ない
何度も転々とし 所有者もその利用のされ方も違う人生を過ごしてきた彼?が ここを安住の地として末永く生きていけますように
これにて千葉徘徊は終了
東京から近いのになかなか行けなかった場所の徘徊にお付き合いしてもらい 楽しい一日になった
番外編も書きます^^
教会から歩いて こんどは「千葉市美術館」へ行く
ここは新しい建築物ではあるのだが 1・2階が「さや堂ホール」と呼ばれ 実は「旧・川崎銀行千葉支店」の建物を保存・修復したものである
新しい建築物が 古い建築物に覆いかぶさって内包している姿は また面白いものでもある
なお 設計は矢部又吉で 横浜の日本興亜馬車道ビルになっているあの外観だけ残したビルも彼の作品
彼の作品として他に 第百銀行横浜支店も 今は高層マンションになってしまったその一階部分の外観にもとの姿を残している
大阪では 旧川崎貯蓄銀行が素晴らしいカタチで堺筋倶楽部・アンブロシア(レストラン)として今も現存・利用されているし あの明治村にも川崎銀行本店の一部が保存されている
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建物全景
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大きな柱のむこうに さや堂の柱が見える
この建物の中にレストランがあることを教会できいていたので 私たちはここで昼食にする
そのあと千葉駅まで歩き 本日最後の場所になる稲毛まで電車に乗る
天気は 朝とはまるで違い晴天そのもの
まず初めに「千葉市ゆかりの家・いなげ」という名前のついた 愛新覚羅溥傑(ラストエンペラーの弟)が 伯爵令嬢である浩と新婚当時の半年ほどを暮らした家を見る
当時の稲毛は海も近く 保養地や別荘地として多くの文人墨客が訪れる土地であったらしく この家も平屋で小さいものではあったが快適な住まいであっただろうと想像できるものだった
ほとんど政略結婚でありながらも 自分の立場を運命と受け入れ 互いを尊重し 愛を育んだということは 両者とも優れた人格者だったのだろう
次は「千葉市民ギャラリー・いなげ」と呼ばれ 国登録文化財となっている「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」
今となっては有名なところでは 浅草にある「神谷バー」と「電気ブラン」の名前くらいだろうか
本格的フランスワインの醸造法を導入し 日本のワイン王と言われた人の別荘である
そのせいだろう 玄関のシャンデリアに葡萄のモチーフを使ったり 二階の床柱の一部にその木を使ったり 欄間にも絵柄を利用したりと まさに「葡萄の館」であり 素敵な洋館である
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一枚板をくりぬいた木瓜窓
いつかは茨城県牛久にある「シャトーカミヤ」(重文)にも行きたいと思う
最後はすぐそばにある「千葉トヨペット本社」(旧日本勧業銀行・国登録文化財)
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これは妻木頼黄(よりなか)と武田五一との共同設計になってはいるが ほぼひとまわりの年齢差があるために おそらくは役割分担(設計と監督といったような)があったのだろうと思う
妻木の作品として有名な物で今も現存しているものの一つが あの現・横浜県立歴史博物館である
武田は 京都には非常に作品が多く 先日見てきた京都大学人文科学研究所もそうである
この建物は和洋折衷というよりも いささか和に近く 私は建物の意匠よりも 数奇な運命をたどったことの方に興味が湧いた
銀行本店として日比谷公園の向かい 今のみずほ銀行がある場所とほぼ同じところに明治32年に建てられる
その後大正15年 本店改築のために売りに出される
京成が買い取り 「谷津遊園」に移築し 「楽天府」と名づけて娯楽場などとして利用したのだが 昭和15年に千葉市が庁舎として使うために無料でもらいうけることになり 再び移築されて昭和36年まで使用される
そのあと 千葉トヨペット本社として稲毛に移築され 今も社屋として使われている
屋根は建築当時と同じ木造銅葺だが 躯体はもちろん鉄筋コンクリートであり 中に入れば過去を物語るものは一切ない
何度も転々とし 所有者もその利用のされ方も違う人生を過ごしてきた彼?が ここを安住の地として末永く生きていけますように
これにて千葉徘徊は終了
東京から近いのになかなか行けなかった場所の徘徊にお付き合いしてもらい 楽しい一日になった
番外編も書きます^^
また、ごいっしょできる場所、探しておきたいです。生きる楽しみは多いほうがいい。
私は静嘉堂文庫に何度か行っているのに、展示、展覧会だけ見ていて、庭園の中の霊廟(コンドル設計)を見ていません。納骨堂なので非公開だと思い込んでいたのです。「節度を守れば拝観可能」と知りました。いつか見に行きたい。
こちらこそ^^。少なくとも来年の春以降でしょうね。
場所を検討しておきます!
他にも・・・千葉と言うと新しい町のイメージなのですが、
見どころ満載なのですね。
一度行ってみたいと思いました~
海側は、お魚の美味しい店が多いみたいだし、伊勢海老も沢山とれるしね。
海鮮浜焼きやバーベキューなんかが、安くて美味しいらしいの~~。
美術館は、せっかくの建物部分、何に使っているのかがよくわかりませんでした。