どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

8月9日月曜日―その弐―

2010年08月15日 | 日記
安土で降りたのは 旧伊庭(いば)家住宅(大正二年)を見るため

住友二代目総理事だった伊庭貞剛が 四男慎吉 沙沙貴神社の神主就任を機に彼の住居として建てたもの

沙沙貴神社とは佐々木源氏の氏神様で 全国のささき姓のルーツであり 京極氏や旧財閥三井氏もその子孫だそうだ

そしてその伊庭家は 現在は安土町郷土館として使われているとあった

駅の出口から反対側に回ったまではよかったが そこから先はわからない

安土町城郭資料館が目の前にあったのだが 生憎と休館らしい

参ったな

また駅の向こう側に戻るしかないかと思ったその時 この資料館に勤務していると思われる人を発見

さっそく尋ねたところ パンフレットを下さり道も教えはくれたのだが・・・

年に二度 春と秋にしか公開していません とのこと

見切り発車をすると こういうことになるのだ!

だがどのみち 私にはそれを狙ってこの地を訪れるのはおそらく不可能だろう

外観だけ見ておく事にした


歩いて15分ほどでそれはすぐに見つかった

失敗だった

ネットにあった写真は もっと奇麗な庭だったのに・・・

おそらくその公開日にあわせて 庭の手入れをするのだろう

今は 外観がわからないほど庭の木が生い茂っている

それでも庭に入ってみた

シャンシャンと鳴くセミの声

侵入者に 二度もおしっこをかけやがる~~


木々の間に張られた蜘蛛の巣が怖くて 先に進めない

それを取り払う棒切れはないかと周囲を探してはみたのだが 見つからない

方向転換をして 別の玄関へと向かう

屋根の傷みもかなり激しそうだ

だが 垣間見れる二階のハーフティンバーの感じは 悪くない

特に一階の洋館部分のお洒落な白い窓枠と 荒々しく石積みにした外壁は 印象に深く残るものだ


帰りに先ほどの資料館に寄って お礼を述べた

すると よかったら中をご覧になりませんかと

―城は よくわからんて―

戦国時代は幕末と肩を並べる人気ぶりだが 私はともに苦手なのだ

それでも断るのもと思い(その言葉が見つからなかった) 見せていただくことにした

展示品として二十分の一の安土城があった

電動で真っ二つに分かれ 城の内部の様子がわかるようにしてある模型だが それもわざわざ開いて見せてくれた

―だからぁ 城はわからんてぇ~^^ 

でもこれが近江商人魂なのかもしれない

近江商人の精神「売り手よし 買い手よし 世間よし」の「三方よし」は 今も確かにこの地に残っているような気がする


来年の大河ドラマの主人公はお市の方の娘「江(ごう)」

この地もさぞかし来年は 観光客で賑わうことだろう

私は 今年でよかった♪

来年観光で訪れた方には 是非沢山お金を落としていって欲しい

そうすれば伊庭家住宅の補修の費用の一部も きっと捻出されるだろうから

彦根に戻り 近江鉄道で「豊郷(とよさと)」に行き小学校を見る

階段のウサギとカメが有名な これもまたヴォーリズのものだ  


ひたすら歩き 待ち 汗を流し ペットボトルのお茶を飲み 電車に乗り 汗を拭き  

そのリフレイン

次第に疲れは増し 外食する気分にもなれない

このあたりでよく見かける駅前の大型スーパー「へいわどう」で 適当に買い物をして 

ビールの500mlで眠くなり その日はぐったりと寝込んでしまった
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8月9日月曜日―その壱―

2010年08月14日 | 日記
彦根には3泊の予定

日を重ねるごとに疲れもし 結果 もういいや となるだろうことを想像して 一番遠いところから攻めることにした

甲賀市水口(みなくち)町

草津から貴生(きぶ)川という駅までJR

勿論 例の周遊券の範囲内だ

そこから近江鉄道に乗り換える


話は変わるのだが 私は決して「鉄っちゃん」(鉄道ファン・マニア)ではない

だが 乗り物の中で一番好きなものは列車だ

ところで ここ滋賀県では ライオンズのマークをつけたバスが走り 

私の慣れ親しんだ西武鉄道の黄色い電車が 近江鉄道とプレートを変えて走っているではないか

ということは 傘下・グループ企業なのだろうと 旅をしていてそこまでは想像していた

帰宅して調べたところ 創業者堤氏は滋賀県出身だった

私の住む町も彼の学園都市計画から生まれたものだ(それは結局ポシャッたのだが)

そしてこの近江鉄道の経営も戦前からのことだったと 初めて知ったのだ

琵琶湖にプリンス・ホテルがあったのも そういうわけだったのか(とても泊まれないほどお高い~)


水口石橋という駅で降りる

先に書いたようにPC不調もあって このあたりは曖昧に調べただけだったので 昨夜ホテルのPCで確かめておいた

単線で無人駅

駅前からすぐに道は三股にわかれる

その一本が旧東海道で ここは第50番目の宿場町(そんなことも知らなかった^^)

特産物はかんぴょう 

4月には水口まつりがあり 三つの町内から曳山が出る

水口囃子というものもあるようだ

線路を渡って水口キリスト教会まで歩く

今津 堅田 と同じくここも近江兄弟社グループということになる

どこかできいたことがある と思った方は正解 メンタームだ


その話は省くとして 昭和5年竣工

ドアや窓は すでに過去のものではなかった

設計もヴォーリズ設計会社になっており 彼自身がどこまで携わったかはわからない

まぁ 素人としてはどうでもいいことだ

赤煉瓦の塀は異常に低い

塀というよりも 境界線といった程度だが それが教会にはふさわしい

長手積み(レンガの家を描けと言われたら おそらく多くの人がこう描くだろう積み方)だったようだが

ところどころ修復の跡が見られ その積み方もすでにランダムになっている箇所あり

それがまた 時の流れを感じさせて微笑ましい


隣に付属の幼稚園があった

ここのジャングルジムが非常に良かった

木製で 木登りも楽しめるし フリー・クライミングもできそうだし 想像が膨らむような仕組みになっている

3年幼稚園に通った私としては(年少の時は こんなのつまらないと あまり行かなかったが)

もう一度 こんな幼稚園に通ってみたいなと^^


駅まで戻り 今度は反対側にある水口小学校へと行く

ここには旧水口図書館がある

今回の旅 決してヴォーリズを訪ねて というコンセプトではないのだが 

ここ滋賀県においては 古い建築となると必然的にそうなってしまうのだ

小さな建造物だが これはとても感じが良かった

そういうのは 一目ぼれと似ていて ほとんど一瞬で決まるものだ


椰子科の植物がすっくと何本かあり それが実によく似あっている

内部を見ることはできなかったが 説明によると主要な躯体は鉄筋コンクリート

壁は煉瓦積みらしい

外観でまず目に付くのは 小さな丸い塔だ

ランタンが置かれているとあるが 残念ながらそれは下から見ることはできなかった

次は 入り口の上の窪んだ半円アーチ部分のレリーフ

ここには 中央に燭台 その両側にブックエンドに支えられた本が対照的に描かれ 周囲にはオリーブの葉 

こういう細かいところが 彼のファンが多い理由の一つだろうと思う

細長の窓は両開きで 二階には小さな小さなバルコニーもついていて それは無用なだけにお洒落でもある

さほど目立つ外観ではないが 図書館という建物の性質を捉えたものとして 私は美しいと感じた


そのあと例によって 電車の時刻まで町を歩いてみる

からくり時計二箇所あり 古い町並みもありと 小さいけれどさすがは元宿場町だけのことはある

ポツポツと小雨が振り出した

駅前のからくり時計のところに腰掛けて 電車を待つ

60代の(後で年齢を知った)女性に 歩いてらしゃるの?と声をかけられる

清水からこちらに住むきょうだいのところに 昨日来たのだという

元々こちらの出身ではないようで 清水からみてもここは田舎だと

だが お祭りはなかなかのものらしい

この町でも3基 水口全体では16基だそうだ

そんな話をするのも 旅の面白さだ

いつも思うのだが 勿論 建物も自然も最高だけれど やはり それもこれも人あってこそかなと

単に 現存する生の人というだけでなく 有名無名に関らず 過去の人も含めてだ


さて 今日はこれからどこへ?

そうだ!安土に行くんだった!
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―コーヒーブレイク―

2010年08月14日 | 日記
実は 旅に出る少し前から異常にPCが重くなった

まだ調べたいことがあったのに あまりの遅さに諦めたのだ

帰宅してからも どうも良くない

何しろ アクセスランプがつきっぱなしなのだ

タスクマネージャーを開いたり 滅多にしないデフラグをやったりと 昨日の後半は日記どころではなかった

今日は それが効を奏したのか そらとぼけた顔をしてサクサク動き ランプも元気に点滅

心臓停止から復活したかのように ピッカピッカ


さきほど足跡拝見

長いだけの日記に付き合ってくださる方には 本当に感謝する

特に 私の徘徊をネット上で追体験してくださった方がいると知って どんなに嬉しかったことか

それは 私が密かに願ったことでもあったからだ

たとえ全てではなくとも 一つでも興味の持てるものを私の徘徊日記で見つけてもらえたなら

いつか行ってみてくれてもいいし へぇ~ で終わってもそれは構わない

知ってもらえた ということだけで十分満足


では 旅の続きに戻るとするか

お留守番をさせられて拗ねものだった私の8歳のPCがご機嫌なうちに

サクサク ピッカピッカ ランランラン♪
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8月8日日曜日―その参―

2010年08月13日 | 日記
堅田教会は駅から徒歩で15分ほどの住宅街の一角にあった

外観だけを見て引き返すつもりだったのだが 運良く?牧師さんに見つかってしまい

まぁ どうぞどうぞ 中も見ていってくださいと

おそらく相当数のこうした見学者が来るのだろう

説明も慣れたものだ

ここの教会の魅力は 各処に見られる統一されたアーチと とんがり帽子のような尖った塔と 低い赤煉瓦の塀

そして 天然のステンドグラスだろうと思う

ステンドグラスそのものは無いのだが 教会の中からガラス越しにうっすら見える蔦の葉が なんとも美しい


竹中牧師は 教会の実情も含めて歴史を説明してくださり なんと二階の和室まで見せてくださった

そうして当然だがヴォーリズの宗教心についても 熱く語っておられた

無論 この教会が自慢であることも言葉にはしなかったが よくわかった

建築そのものにも興味のある方なのかもしれない

私が右近家に言った話をすると 行ったことがある 道路を隔てて北前船の模型があるところでしょうと


お金が無かったがゆえに さほど手を加えることもなかったことが幸いしたようだ

やはり窓には木枠が似合う

アルミサッシュだったら がっかりだもの

屋根の修復の資金集めとしてポストカードも作っているというので さんざん説明も聞いたことだし

募金箱に500円入れた


そろそろ戻らないと友人との待ち合わせに遅れると 御礼を述べて玄関を出たら

やはり教会を見に来たらしき人が 写真を撮っている

あぁ~ 同じような人がいるものだと思った瞬間 おぅ~と その人物が声を上げた

なんだ なんだ?と思ったら なんと待ち合わせをするはずの友人だった

牧師さんの誘いに乗った友人は ちょっとだけ見ていこうとばかりに中に消えていった


教会から琵琶湖大橋の西詰までは 歩いて20分ぐらいだっただろうか

遠くから見た橋は中央が高くなっているために どれだけ勾配があるかと思っていたのだが

いざ歩き始めると それほどには感じられなかった

ただ 振動で揺れるのはちょっと気持ちが悪かった


真っ青な広い空と大きな湖と吹き抜ける風 と 照りつける太陽^^

途中のベンチで腰を下ろし360度のパノラマを見渡す

何故 橋を渡ろうなどと思ったのか

多分 橋があって そこを渡れると知ったからだろう

そして きっとこんな眺めだろうと想像したら それを体感したくなったのだ

それだけのこと


渡りきるのに休憩も入れて30分ほどだろうか

渡った先には守山駅がありバスも通じているが 湖からは離れているために乗っている時間は長い

ちょうど堅田に帰るバスがそろそろ来るという時刻だったので それを待って駅まで戻った


それにしても琵琶湖畔を走る特別快速は すごい

以前 近江八幡への旅をした時 友人と早くて便利でしかも特急料金などないこの電車に いたく感動したものだった

何しろ敦賀から姫路まで3時間ほどで走るのだ

いつか乗ってみたくなる


京都の一つ手前の山科で友人と別れ 私は3泊の予定の彦根へと向かった
 
まだまだ元気 明日も強行軍
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8月8日日曜日―その弐―

2010年08月13日 | 日記
この先どんどん話を進めないと えらいこっちゃになる

読んでくださる方にも 私にも大事な時間だ

もっとも安心して欲しい(の予定)

ここからはメインディッシュが二つほどだ(メインが二つだが 魚料理と肉料理だと思って欲しい)

あとはデザートと食後のコーヒー程度だから


今津では完全ヴォーリズ散策

近江八幡を中心として関西と関東にかなりの建築物を建てた人だし 建築会社としての仕事もある

教会は言うに及ばず 学校 病院 ホテル 公共の建物から個人邸までと幅広く手がけたその数は1600とも

昨日見た右近家洋館でさえ 彼のものと書いてあるものも見たほどだ(それはありえないだろう)

さて 肉じゃがも出来上がったのでイッパイやりながら話を続けようか


この地は 琵琶湖周航の歌 発祥の地として有名だそうだ

ヴォーリズ建築は 3棟

まず 今津ヴォーリズ資料館(旧百三十三銀行・現在の滋賀銀行)

これは銀行として利用されたあと 図書館になった

その時 改修が行われたようだが 元の姿に復元したものがこれ

一見して銀行だとわかる 私には感動の薄い建築物だ

次は今津基督教会館

これはまずまずだ(今津だけに~^^)

正面の 大きくとった妻壁がいい

その屋根の勾配と並行する張り出した玄関部分があるおかげで だだっ広いだけになりそうな正面を美しく見せている

こじんまりとした鍾塔も仰々しさが無くどこか明るく温かみのある教会になっている

おそらくは併設されている幼稚園も そんな教育を行っているのだろう

手入れはされているがほどよく昔のままを残し 今も立派に使われている建築物というのが最高だ

旧今津郵便局

語りたくない

あればいいってもんじゃない


堅田へと向かう

ここで関西に住む友人と待ち合わせ

酔狂にも琵琶湖大橋を渡るのに付き合うという

予定は2時だが まだ時間はある

その前に堅田教会を見ておかなくては
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