福田首相の突然の辞任会見から五日目、
巷の関心はもうポスト福田に移っている。
自民党は華々しく総裁選挙をやって、世の中の関心を自民党にひきつけ、
新総理誕生のご祝儀相場で、支持率が上がっている間に、
一気に、解散・総選挙をというシナリオだろう。
女性あり、若手あり、注目の新人たちが、つぎつぎに
自民党総裁選に名乗りを上げている。
福田辞任の失点を、総裁選で忘れさせようというミエミエの魂胆に、
目先のことばかり追うマスコミも乗ってしまっている。
5紙を読み比べて、マッチポンプぶりが激しいのが、朝日新聞。
朝日は、自民党のお先棒をかついでいると分かってるのだろうか??
こういうときの話題づくりは、民主党より自民党が一枚上手の感じ。
民主党はいまごろ、党首選挙をしておけばよかった、と後悔してるだろう。
この自民党の思惑は、以下の田原総一朗の政財界「ここだけの話」に詳しく出ている。
田原は、小池や石原の総裁選立候補まで予言している。
田原総一朗の政財界「ここだけの話」
首相電撃辞任を逆手に総裁選を祭りにする自民(200.9.3 日経BP)
そんな様子を、昨年の既視感とともに、「またか」としらけて見ながら、
人をすげ替えても、体質はかわらないのに、と思っていたら、
昨日の岐阜新聞に、政治学者で北海道大学・大学院教授の山口二郎さんの
「緊急識者評論『政権投げ出し』(下)」、「保守政治の歴史的な限界 」
という興味深い記事が載っていた。
どこかにアップされていないかと探してみたら、
わたしのブログにリンクしている、ご本人のホームページに全文がありました。
緊急識者評論『政権投げ出し』(下)」 保守政治の歴史的限界 山口二郎・北海道北大大学院教授 (2008.9.4 岐阜新聞) 日本政治を見ていると、あまりの起伏の大きさに、言葉を失う。三年前の九月は郵政解散で自民党は未曾有の大勝を遂げた。二年前には、自民党内の圧倒的多数の支持で、安倍晋三氏が小泉純一郎元首相の後継に選ばれた。 一年前はその安倍氏が突然政権を投げ出し、福田康夫氏が首相に就任した。そして今年は、福田氏も同じように政権を投げ出した。今回の退陣は、福田氏個人の問題ではなく、日本の保守政治の歴史的な限界の現れととらえるべきである。 戦後の保守政治は、外における対米追随、内における富の再分配を二本柱としてきた。この枠組みが揺らぎ始めたのは、冷戦が崩壊し、バブルがはじけた一九九〇年代である。 このころ自民党は政治改革の激震にも見舞われた。しかし、新党勢力が再編の過程でまごまごするのを尻目に、自民党は他党を巧みに引き込んで政権を維持してきた。 そして、改革を看板とした小泉政権の段階で、富の再分配による国民統合という伝統的手段を自民党は放棄した。 安倍政権では、憲法改正という政治的争点を軸に新しい国民統合の手法を試みた が、あえなく挫折した。 その後を襲った福田氏は、結局統治の基本構想を持ち合わせていなかった。小泉路線を継承して経済競争の徹底を進めるわけでもなく、安倍路線を継承してナショナリズムを鼓吹するわけでもなく、昔のような地方と庶民に優しい保守政治に回帰するわけでもなかった。 この秋の経済対策をめぐる綱引きの中で、福田氏が自分の考えを明確にできなかったのはその現れである。 今の自民党は、この十数年間の生き残りのためにさまざまな政策や人気取りの手法を駆使した結果、本来相いれないはずの理念や政策を抱え込んだ恐竜のような存在になった。小泉時代にふくれあがった自民党は、逆に政策的一体性という面では、きわめて脆弱(ぜいじゃく)になった。 福田氏は退陣表明の会見で、参院における野党の抵抗が政策実現を阻んだと愚痴を言ったが、これは一国の最高責任者としてはみっともない責任転嫁である。 何かの政策路線を選択すれば必ず与党にはあつれきが起こる。首相はそれに耐えきれず、重要な政策課題を先延ばしにした。一日夜の会見を見て、次々と言い訳を繰り出して夏休みの宿題ができなかったと始業式の時に泣き言を言う子どもを思い出した。 自民党の混乱は結局この党が小泉氏を首相に据え、いくつかの政策転換を進めたことに起因する。たとえは悪いが、小泉は自民党にとっての覚せい剤であった。これを吸引した当座は元気になったような錯覚に陥る。改革という意味不明の言葉を振り回せば何かをしていられるような気分になれた。しかし、これに依存してしまうと、体はぼろぼろになる。 今の自民党に必要なことは、政党としての原点を確認する作業、どのような日本を目指すのかという理念を固め直すことと、国民の声に耳を傾ける作業である。次の総選挙に向けて、自らのアイデンティティーを再確立しなければ、自民党は過去の存在になるに違いない。危機はそこまで深刻である。 -------------------------------------- やまぐちじろう 1958年生まれ。東大卒。 93年から北海道教授を務め2000年から現職。 著書に「ポスト戦後政治への抵抗軸」、 「強者の政治に対抗する」なと。 --------------------------------------- (2008.9.4 岐阜新聞より) |
有権者の直接選挙から選ばれないために、
派閥の権力闘争ばかりに目が行き、国民のニーズに無関心だから、なのだと思う。
問題は自民党ばかりではない。
民主だって、公明だって、内輪目線で、政策ではなく、
選挙でどう勝つかの政局ばかりに気を取られている。
総選挙で、民主が勝って、自民が民主に変われば、政治はよくなるのか。
「よりまし」になるとは思うけど、
大きく変わる、とは思えないところに、政治への失望感がある。
「保守政治の限界」というより、政党政治(議院内閣制)のひずみが来ているのだろう。
国のトップを直接選ぶシステムの、お隣のアメリカでは、
共和党が「副大統領候補」に、「女性」で「5児の母」のペイリン氏をサプライズ指名。
昨日の共和党大会の初演説では、熱狂的に迎えられたとか。
彼女は「超保守派」で、マケイン候補以上に右よりのタカ派。
保守派とクリントン支持の「女性」票の獲得を、というのが狙いとか。
共和党で、副大統領候補の候補を「麻薬をしたことがあるか」
「買春をしたことがあるか」など60数項目にわたって「身体検査」をしたら、
残ったのが彼女ともう一人、だけだったとか。
とはいえ、
どこの国の政党も、窮地に陥ると「おんなでたたかう」のは同じようだ。
「オンナナラダレデモヨイワケデハナト」と思っていたら、
全米最大の女性団体「全米女性機構」は、
「女性だからといって女性の権利を守るとは限らない」との
否定的なコメントを出した、という。
2008.9.5 朝日新聞
米大統領選の本選は11月だが、衆議院も「10月解散・11月総選挙説」が濃厚。
どちらからも目がはなせない。
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最近は、硬派の記事ばかりつづいています。
アップしたい画像はどっとたまっているのに、
次々に起きる「事件」に振り回されて、整理する余裕がないのです。
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