上野千鶴子さんのエッセイが載っていました。
みだしは、
『シリーズ<現在への問い>第4部【創造力の行方】④
フェミニズムはどこへ向かうのか?
-ネオリベの下で広がる「女女格差」
男に有利な社会は変わっていない-』
という長いものですが、
9.11総選挙の結果を受けての、
「女ならだれでもいいのか?」という問いに対する
上野千鶴子さんからの明解な答えです。
「フェミニズムはネオリベから袂を分かつことになるだろう。
そうなれば、
女のなかでだれが味方で、だれが敵かはっきりしてくるだろう。
処方箋はすでに練られ、考えつくされ、提案されている。」
というくだりを読んで、つよく共鳴しました。
わたしもこの問いに対しては、すでに、
明確な答えをだしています。
上野さんから毎日新聞のエッセイを送って下さる、
とお聞きして、楽しみにしていましたが、
さきに見つけました(嬉)。
ビンビンと心に響くエッセイです。
あなたも是非、お読みになってください。
(上野さんの了解を得て、全文を転載します)
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シリーズ<現在への問い>第4部【創造力の行方】④
フェミニズムはどこへ向かうのか?
-ネオリベの下で広がる「女女格差」
男に有利な社会は変わっていない-
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
9・11の総選挙で、国会の女性議員数は、敗戦直後の39人というそれ以後いちども更新されたことのない記録を抜いて、43人に達した。女性公認候補を指名し、比例区の名簿上位にならべた小泉自民党の「アファーマティプ・アクション(積極的差別是正措置)のせいである。わたしたちはこれをもって、自民党が「女にやさしい」政党に変身した、と解釈していいのだろうか?
女「刺客」たちは、「郵政民営化」という小泉=竹中ネオリベラリズム改革路線の一兵卒として送りこまれた。議場では、数をたのむ与党の陣笠代議士として党議拘束に従い、次期の公認をあてにして党に絶対服従を誓う。女が増えたからといって、それで政治が変わるわけではない。「民でできることは民へ」という小泉構造改革は、20年遅れて登場したサッチャー=レーガン改革だと言われている。「鉄の女」を宰相に持ったイギリスでは、女がトップに立っても「女にやさしい政治」などもたらさないことを、経験からだれでも知っている。女性大統領候補に熱狂するのは、ナイーブなアメリカ人くらいだ。だが、かれらとて、好戦的なライス国務長官を目の前にして、鼻白む思いを味わっているのではないか。
女ならだれでもいいのか? 今度の選挙ほど、この古くからある陳腐な問いが、新たな意味を持ったことはない。
ネオリベことネオリベラリズムは、「自己決定・自己責任」を原則とする。小泉チルドレンの女たちは、恵まれた出自に高い学歴、能力も実績もある。「才能と努力で」地位をかくとくした「勝ち組」の女たちだ。それなら、フリーター、ニート、パート、派遣労働の「負け組」の女たちは? それをもネオリベは「自己責任」というのだろうか?
フリーター問題もパート・派遣問題も、「本人の選択」ではなく労働市場の構造的な要因であることはすでに立証されている。労働市場の柔軟化というグローバルなすう勢のもとでの労働条件の切り下げに、男性正規雇用者の既得権防衛のみに汲々としてきた連合が、最近の会長選挙で、高木剛・新会長に対する対立候補、全国コミュニティ・ユニオン連合会会長の鴨桃代さんに集まった批判票の多さに衝撃を受けたのも当然だろう。
ネオリベのもとで拡大する格差に、女もまた巻きこまれている。男女格差だけでなく、女女格差が拡大し、「勝ち組」のなかに参入する女性が増えるいっぽうで、「負け組」の女は「自己責任」とされる。ネオリベのもとでの、「男女共同参画」のいちばんわかりやすい指標は、「あらゆる分野における女性の代表制」、すなわち人口比に見合った女性比率の達成である。国会議員の半数を女性に、官僚の半数を女性に、管理職に女性の登用を、ベンチャー企業の経営者にも女性を、右翼にも女性の参入を、そして自衛隊にも国連PKOにも女性を、それに加えてリストラ自殺者の半数を女性に・・・・?
こんな悪夢がフェミニズムの目標だったのだろうか。他方で、育児休業取得者の半数を父親に、介護労働者の半数を男性に・・・・・はいっこうにすすまない。
こういう「目標」は、現在の社会のしくみをそのまま現状肯定した上で、そのなかに「男女共同参画」しようという「目標」である。だが、社会のしくみそのものが、男に有利にできているところでは、多くの女はなるべくして「負け組」になり、男のようにふるまった少数の女だけが「名誉男性」として男から分け前を与えられる。フェミニズムは「こんな社会はいらない」、つまり社会のしくみを変えよと要求したはずだった。
だが、「男女平等」を掲げることに及び腰だった「男女共同参画社会基本法」すらその廃案を自民党の一部が言いだし、「ジェンダー」の用語を禁句としようという提言が公然とまかりとおるようになった今日、ネオリベの「男女共同参画」さえ、逆風から守らなければならない立場にわたしたちは立たされている。
「こんな社会」に対する女たちの答えは出ている。非婚化と少子化である。こんなところで産めない、育てられない、と女たちの集団意識は、歴史的な答えを出している。「ジェンダー」バッシングは、家族の危機に対する守旧勢力の反動だろう。だが、声高に「家族を守れ」と叫ぶほど、ネオリベの圧しつける「自己責任」の重さは、家族を崩壊させる結果になることに、かれらは気づかない。
フェミニズムはネオリベから袂(たもと)を分かつことになるだろう。そうなれば、女のなかでだれが味方で、だれが敵かはっきりしてくるだろう。処方箋(せん)はすでに練られ、考えつくされ、提案されている。いつでも誰でも何歳からでもやりなおせる社会を。働き方を選べて、そのことで差別的処遇を受けない社会を。育児や介護が強制労働や孤独な労働にならず、その選択が不利にならない社会を。女が男の暴力やセクハラにさらされない社会を。女が家族の外でも、ひとりで安心して子どもを産み育てることができる社会を。それらがひとつとして実現されないからこそ、フェミニズムの歴史的役割はまだ終わらないのだ。
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(2005.10.31 毎日新聞夕刊より転載)
上野さんの文章に出合うことが多くて
よろこんでいます。直近では、一昨日読んだ
★『婦人公論』11/22号、
「シングル、遠距離で親の介護に向き合った手応え」が
おもしろかったですね。そのまえは、
★中日新聞夕刊(11/2)の映画「亀も空を飛ぶ」解説。
★『at(あっと)1号』連載「ケアの社会学 序章」。
★『現代の理論』特集・性・エロス・家族の行方
「フェミニズムをリアルに生きる」etc。
「お花」のブログだと思って、見にきて下さって、
「上野さん」がなんで多いの?と思っているあなた。
わたしは、上野さんがだいすきだし、
もともとこのブログは、3月に開催した
「当事者主権~私のことは私が決める」講演会の
紹介のために作ったものなんですよ(笑)。
関連の記事をもっと読みたい方は、こちらから。
追伸(11/11)
今日の中日夕刊「あの人に迫る」に、上野さんの
写真入りの大きなインタビュー記事が載りました。
みだしは「『女』のムカつき理論化し伝える」。
東京新聞にも載ったかもしれませんね。
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一見新しく見えるモノの裏にうまく隠されたものが、臭う。
なんか変やなぁと感じるていました。
上野さんの言葉を読むと、
「そう、そう! そうなんだ」と
すっきりしました。
いつもそうなんです。
なんか変だと感じているけど、
うまく言葉にできなくて、胸の中でもやもや。
上野さんの<問題を看破して、解りやすい道筋を示す>言葉に溜飲を下げています。
みどりさん、転載ありがとうございました。
社会学が「使える」学問とは知りませんでした。
でも、「当事者主権」や「老いる準備」を読んで、
確かにそこに書かれていることは現場で使えるはずだと思いました。
みどりさんの「市民派議員になるための本」の最後にも、
「この本は上野さんの著書から学んだ理論を
現場でカタチにしたものだ」とありますね。
「すでに練られ、考えつくされ、提案されている」処方箋とは何なのか、
とても興味があります。
そして、それを現場で実現する方法を
来年のイベントで語り合えたらいいですね。
追伸:
明日にでも本屋へ行って、婦人公論を探してきます。
読んでくださってありがとう。
ことばって力がありますね。
前に上野さんとのフォーラムで『形にして言い続ければ実現する」というところで、お互い共感したことがあります。
★かおるさん
社会に向けて発言を続ける上野さんを見ると、励まされます。
市民自治の分野でも「すでに練られ、考えつくされ、提案されている」と思います。その上、現場ではすでに「実践されている」段階です。先進地といわれるところ、でね。そうやって経験が積み重ねられていく。失敗例も成功例も、貴重な経験です。
来年、なにをしたいか考えましょうね。
その後、発展途上ではありますが、男女間の格差解消の方向へ向う歩みは、確実に定着していると思われます。現実としては、依然格差があることは否めませんが、これからは、女性達の努力で解消に努めていくべきだと思います。勿論、男達も協力しなければなりませんが。
Fminine:女らしさ、と言う言葉から開放されて、新しい同権主義と言う単語を見つけようではありませんか。
上野さん、今日の中日・夕刊にも写真入りで大きく載っています。ぜひご覧ください。
ところで今日「亀も空を飛ぶ」を見て来ました。もう見られましたか?
その時できる人、手が空いている人がやればいいと思っていて、
そのように生活しています。
今回の上野さんのエッセイ。
このようなことについて、考えたことはありませんでした。
上野さんの文も、この前のみどりさんの
”2005年11月03日のブログ”で初めて読みました。
うーむずかしい~。カタカナ用語でわからないものがある。
用語を調べました。
何回か読んでくうちに、徐々にじわじわと沸き上がってくるものが、
自分の中にある。
何年か前に、私の職場でやむなく退職した女性の方がいます。
共働きで核家族。
子供が小学生になって、放課後、子供預かる小学校の児童クラブの
預かり時間が17時までという。
えっ何それ?!正社員で働くなって、言ってんのと同じである。
私は、今回の上野さんのエッセイで
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育児や介護が強制労働や孤独な労働にならず、
その選択が不利にならない社会を。
---------------------
に特に強く共鳴しました。
何か特別なことをしてほしいと言っているわけでもなく、
すごく当たり前のことなのに、まだ、そのような世の中になっていない。
他の上野さんの本を検索してみました。
「老いる準備」に興味をそそられました。
読んでみよう思います。
私は男で、女性に差別意識を持っているのかどうかもよくわからない、フェミニズムの核心部分もよくわからないという
立ち位置なんですが、
>>育児休業取得者の半数を父親に、
私が会社に育児休業を申請して、
「何考えてんだ?ばかか?」
という反応で却下された場合、フェミニズムの人達に相談すれば、どう行動したらいいかを教えてくれるのでしょうか?
というのも、昔のウーマン・リブ運動も雑学的知識しか持っていないんですが、なんとなくイメージは
社会縦横型の女性全般の組合というのがあり、その時代に私が
相談に行ったら、「他人事でも我が事のように」という感じで
交渉に?再申請に?同行してくれたんじゃないかと思うのですよ。
まぁそれをやりすぎたから退潮してしまったように思うのですが、
フェミニズムの人達はどう行動「してくれる」のでしょうか?
なお、回答がどうであれ、利用しようとしたり、あちこちに喧伝しようとは思っていません。
ただの素朴な疑問です。
上野さんの「意地介護」、すごいですね。
フェミニストとして、学者として
冷徹に両親の死にいく様と周りの対応を見つめる一方で、
病床の母を責めてしまったことへ後ろめたさを感じるあたりや
父の美化された思い出を壊さない思いやりは、
上野さんの人間としての大きさを感じさせます。
それに比べて、私はなんと薄情なんだろうと思いました。
上野さんがなんと言おうと、
こんな上野さんを育てたご両親は
やっぱりそれなりの方だったのだと私は思います。
上野さんのファンとして、
「上野さんを生み、育ててくれてありがとうございました」と
言いたいです。
上野様が、フェミニズムに関して日本で較べもののない大権威でいらっしゃるとも知らず、大変失礼な言い方をしてしまいました。みどりさんのコメントしようの無い、お困りの様子が目に浮かびます。
改めてお詫び申し上げます。
私は、1950年代末期の学生運動の経験者です。
当時は、男子の4年制の工学部卒業者でさえ、就職難の時代でしたから、女性の4年制の卒業者の就職難は良く分かります。
幸い就職は出来ましたが、後で管理職になっても、4大の女子は、コネ以外は採用するなと言う会社の方針は理解できました。と言うのも、当時の女性の人生観が、数年で会社をやめて、結婚退職することを最優先していたからです。これでは、会社が新入社員に投資しても元がとれるのは、高卒女子だけで、短大卒はトントンでした。女子社員は、せいぜい職場の花程度にしか期待されていませんでした。
その後、女性の価値観が変わり、経済的に自立する方を優先するようになって、会社の見方も変わりました。過渡的には、給料を欲しがるだけで、仕事では、男子に及ばない女性もいて、厄介者にされる時期もありましたが、最近では、男子をしのぐ女性管理職もどんどん出てきて、男子社員をリードしています。
化粧をしない、男勝りの管理職の女性は本当に頼もしく思えます。
男女間の同権化と言うよりも、弱者を思いやる世の中
、人類愛、世界の動植物達へのおもいやり、地球環境、そして宇宙へも思いを馳せる心、そう言った価値観の実現のために、Feminineを卒業しましょうと考えたのですが、勉強不足の身で不相応なことを書いてしまいました。お許し下さい。
わたしたちも「老いる準備」の読書会をしています。
上野さんの文章で、共感するところがあるがあるのはうれしいですね。転載したかいがありました(笑)。
★てんてけさん
「もし・・・・したらどうするのか」の答えを出すのは、当事者自身だと思っています。「問いと答えは当事者のなかにある」ということ。少なくとも、上野さんのいわれるフェミニズムは「わたしのことはわたしが決める」という自己定義権ですから、「社会縦横型の女性全般の組合」というようなものではないと思います。そういう意味では、「フェミニズムの人達」というくくりかたをすること自体がよく解りません。
フェミニズムの人達って、わたし、のこと??(笑)
なら、ご自分で考えてください、ですね。わたしは、だれに対しても、答えを「教える」つもりはありませんし、「教えられる」とも思っていませんから。
★かおるさん
「カウンターモデル(反面教師)」ということばもあるでしょ。わたしだったら、こんな年にまでなって「○○さんを育てたご両親」なんて言われたくないtu(笑)。上野さんは???
★mcnjさん
むしろこのコメントのほうが「困惑」(爆)。。上野さん「大権威」じゃないですよ。反対に「権威・権力」とたたかうひとです。急に態度を変えられたら困りますう。
あなたの考える「男女の同権化」って、女が男並みになるってこと?? それとも、男が女並みになるってこと??
コメントでは説明しにくいので、もしわたしが考えてることに関心を持っていただけるのでしたら、ぜひ本を読んでみてください。2冊とも、上野さんと組んで作った本です。『市民派議員になるための本』は市民自治がテーマで、プロデューサーの上野さんに説得されて書いた本。2冊目の『市民派政治を実現するための本』で上野さんと共有する問いは「弱者が弱者のままで生き延びることができる社会システムの構築」です。
あなたが実現したいとおっしゃっている社会とあまりかわらないように思うんだけど・・・・。