好雨時節を知り
春に当たってすなわち発生す
風にしたがって潜かに夜に入り
物を潤して細やかにして声なし
唐の詩人、杜甫は春の雨をこんな風に詠んだ。そんな小糠のような雨が夕べから午前にかけて降っている。気温13℃、最高気温も20℃に届かぬとの予報だ。昨日、移植したウルイやニラ、蒔いた種を思うと、連休中の雨だが乾燥が続いていただけにうれしい。頭を出し始めたアスパラや、山で出始めたわらびも伸びるだろう。
新聞の投書欄に、ワラビの初物を食べると75日長生きするという話が載っていた。俗信に初物を食べたら東を向いて笑うと健康になる、というのもある。この一週間、毎日のように初物が食卓にのったような気がする。今朝の食卓には、ワラビの一本漬けがのった。
タケノコ、アスパラ、ニラ、五月菜、ワラビ、行者ニンニク、花ワサビ、蕗、コゴミ・・知り合いの方からのいただきものがほとんどで、ただその厚意に感謝するばかり。ひとつの初物で75日とすると、実にこの一週間で675日も長生きできることになる。
だが、今年は春が遅いだけに、一速とびに初夏になっててしまった。山菜にしても、春が深まるにつれて収穫する種類も異なり、順々と初夏へたどりつくのだが、山はいっせいに春たけなわとなり、山菜の季節はまたたく間に過ぎ去るだろ。畑への植え付けもまたいっせいとなる。それだけに今年の春は忙しい。
義母は屋敷周りに生え始めた雑草を気にして、覚束ない足で暑いなかで草取りをする。それでは危険なので、きのう、小一時間ばかりかけて家のまわりをきれいにした。老化していく速度と、ほとんど停滞してしまった意識のギャップが埋められない。一人で生活できないという現実を受け入れられず、がんばろうとするところに苦しみがある。
介護はそれらをすべて了解して、できる支援をしていくことだ。
介護制度はまだまだ複雑な多様性を持つ個別ケースに対応できていないように見える。制度の変更も、事務手続きばかりが優先されて、個別ケースをどうするのか答えはみつからない。