
気温16℃、霧雨のなか階段に変わってウォーキングに出かける。ここ数日の雨天で、新緑が一段と美しくなっていることに気づく。階段では味わうことのできないウォーキングの魅力だ。目が周囲の緑に洗われるような心地がして爽快だ。いつしか、霧雨が上がった。
向こうの山は、雨上がりの靄に霞んでいる。朝の雨上がりは、ことのほか物がいきいきとして見える。デジカメと歩数形を持参した。デジカメは気に入った景色を撮影して、ブログのカットに使いたいと思った。
ところどころに家庭菜園があり、野菜の苗や種を蒔いたらしい畝が見える。デジカメを出してニンニクの伸び具合を写した。我が家のものと比べてみたいからである。カメラを持っていると、なにか面白いものはないか、と周囲に目配りをする。

先方に犬を連れて、朝の散歩をしている人がいた。もう老年の犬らしく足はガニマタである。背中には雨よけの合羽を着せられて、ヨロヨロとした感じで歩いている。ちょっと微笑ましい光景である。

やがて芸工大の建物に着く。伝統館と名付けられた能舞台が、ひっそりとたたずんでいる。ここで年に一度、黒川能が上演される。ずっと見てみたいと思いながら、まだ一度も見ていない。黒川能は庄内は櫛引に伝わる伝統芸能である。その年の豊年、豊穣を祈って神に奉納する農民芸能である。
GPSを持ってきたのは、機能の使いこなしに習熟するためだ。散歩の軌跡を、マップ上に表示せてみたいと思った。首にかけたデジタルツールが3点、いま散歩という人間の一番アナログな働きを手助けしようというのだから、なんとも滑稽なことである。
こんな詩を知っている人はもう少ないかも知れない。
楢の若葉 大木 実
あれは
何という木だろう
いま生まれたばかりのようなうすみどり
梢梢に揺れながら若葉は花のようだ
花のように美しい
「楢の若葉だよ」
友はこたえながら
「君は何も知らないね」と笑った
本当に私は何も知らない
木の名も
草の名も
それは私が街で育ったためだろう
そして草や木の美しさを知らなかったためだろう
私は知りたい
目に沁みる 楢の若葉よ
世界はいつからこう美しかったろう
そしてそれは何故だろう