千歳山は山形市のシンボルのような里山だ。
山形駅に降り立って東を望むと、正三角錐の美しい千歳山が目に飛び込んでくる。かっては全山を松が覆い、一名松山とも呼ばれていたが、今では松喰い虫の被害によって、雑木が増えた。松に代わって落葉樹の新緑が、この山の新しい魅力になった。
コナラやカエデ、サクラ、ツツジなどの落葉樹が増えることで山の素顔は大きく変わる。いま、山ザクラやツツジの花が咲き、加えてナラなどの芽吹いた新緑が山にゆたかな表情を与えている。
先月の27,28日東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で、この千歳山に伝わる伝説をテーマにした「阿古屋松」が上演された。主演は観世清和(観世宗家)である。陸奥の国守として仙台に赴任した藤原実方は、勅命を受けて阿古耶の松を探していたが、とある老人の案内で千歳山の松にたどり着く。この老人は塩釜明神で、ここ千歳山で松を寿ぎ、都の風雅を偲び舞う。
千歳山の頂上には「阿古耶の松」跡の碑があり、その後方に伝説の松を偲ぶ若木が植えられている。この山周辺の集落には、阿古耶姫伝説だ語り継がれている。都から赴任してきた藤原実方と契った阿古耶姫は、夫の藤原実方から意外な事実を知らされる。
実方は、「私はこの山の松の精です。いま川にかける橋を作るために伐採されて命を失いました。人のために末永く奉仕いたします。どうか悲しまないでください」。これを聞いた阿古耶姫は、実方を供養して松を植え、「千歳千歳折(ちとせせんざい)折るなかれ切るなかれ」と唱えその霊を慰めたと言う。千歳山な名の由来でもある。
ここへ来るのは、この春になって初めてだが、不思議に旧知の人に出会う。
もと山仲間だったTさんは、足を故障して山登りを断念していたが、10年ぶりここで再会した。この山を登りながら、山歩きをして6年になると話してくれた。
M広告の元社長Hさんとも10数年ぶりで会い、話をした。「ここへよく来るの」という短い会話だったが、昔日のやさしい目がそのままであった。広告営業という未知の世界に飛び込んだばかりのころ、ライバル社でありながらいろんなことを教えていただいた。
阿古耶姫の精がはたらきかけて、こんな出会いをさせてくれているような気がする。
朝、山形の街が前方に霞んで見えた。ウグイスの声に交じって、山の裾野から行き来する車の音が聞えてくる。老若男女、この山へ日課のように登る人たちと挨拶を交わしながら約1時間の朝の散歩である。
農園記録 種(春蒔きサントウ菜、ほうれん草、そば菜)収穫 ニラ おろぬき ほうれ ん草 除草、鶏糞散布など