きのう午前7時35分ころ、関東など太平洋側で、金環日食が観測された。
金環日食は太陽と月、地球が一直線に並び、地上で太陽を見ると、金色の輪にに見える現象である。テレビでも大きく取り上げられ、さながら日本中に開演された天体ショーであった。次に日本で見られる金環日食は18年後の北海道だという。
太陽や月、星などの空を仰ぐと目に入る天体は、古い歴史の時代からの関心事であった。5世紀中国・梁の武帝は教養高い学者で、文治を国家統治の根本に据えた。王子たちに書の王義之の筆跡から重複しない千字を選んで模写させて学ばせたが、この文字を暗記しやすい韻文にさせたのが「千字文」である。以後書の手本として中国の子どもたちに親しまれてきた。
日月盈昃(じつげつえいしょく)
辰宿列張(しんしゅうれつちょう)
千字文にある天体について述べた対句である。意味は1句、太陽は中に昇れば傾き、月は満つれば欠けることを繰り返しながらいつまでも盛衰を続ける。2句、星は北極星を中心に満天の星座が連なって不変の運行を続ける。この天体の不変性は、国の統治の不変とも結ばれ、これから外れることは不吉とされて戒められた。
人間の運、不運についてもこの言葉は教えている。つまり、運がよかったとしても何時までも続くものでないので、甘んずることなく努め、また不運にあっても打ちひしがれることなく、人間として正しい道を歩めばやがて吉がくるであろう。
日本へは奈良時代に遣唐使や百済との交易で論語とともにもたらされ、広く書の手本として書き継がれてきた。江戸時代に至っても、四書五経を暗記して教養を身につけてきた武士にも、天体についてのこのような考えは及んでいた。
江戸後期の儒者、塩谷宕陰は山形藩主として入部した水野忠清の補導役として山形に滞在した時の詩が残されている。
龍峯東首を占め
左右連嶂横たわる
西南百のしぎは
高低互いに兄弟たり
蜿蟺として北に向かいて走り
月嶽之がたり
恰も星宿の纏わりて
燦然として天営を守るが如し
宕陰は山形の山並みが東に龍山がその主峰となり、東南では月山を盟主とする山々が山形城を取り巻いている地形を、天空の星座がまつわって北極星を守っている様に例えて表現している。
天体の運行は地形に反映され、城を取り巻く人々は、星座に連なる星たちに見立てられている。この不変性は、日食という現象によって消されるものではなかった。
8時近くなって、太陽の明るさがしだいに薄れ、心なしか風が冷たく感じられた。天体の神秘のなかで、人間は様々に生きつづける。