一年でもっとも緑の豊かな季節。花が咲き、麦が実る。小満は24節気第八、言葉の感じも好ましいいちばん好きな節気だ。5月21日から6月5日がこれにあたる。万物に生気があふれ、草木が茂ることから、小満という。以前、自動車のコマーシャルに美しい日本として小満がテーマで放映されたことがある。そのとき写された花はアジサイであった。
この美しい季節は、震災の街にも、戦争で荒廃した街にもひとしく訪れる。
国破れて山河あり 城春にして草木深し
時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
と大乱で破壊された長安に春の訪れを詠んだのは、唐の詩人杜甫である。人の世の転変に比べて、自然の山や川は何の変化もないばかりか、破壊の跡はその美しさを際立たせる。人はその自然をみたとき、深い悲しみを抱く。
空襲にみまわれ、そんな自然の美しさを顧みるゆとりのない二人の男女がいた。昭和20年5月24日の夜、空襲で難にあい、命を救われて東京銀座尾張町の数寄屋橋の畔に安堵の息を吐いたのは、氏家真知子と恩人の後宮春樹である。
お互いの名も知らぬ二人は会話を交わした。
「これから先いつまで戦争が続くかしれないけれど・・・もし半年たってお互い生きていたら・・・これからあとちょうど半年目の夜・・・11月の24日だ・・・もう一度ここで会わないか!ねえ、きみ・・・」と恩人の青年が言った。自然に二人は握手をして別れようとしたが「あ、そうだ肝心なことを」焼夷弾に煤けた顔をほころばせて「君の名は?」と青年は聞いた。真知子は口ごもって「必ず来るわ・・・決して死なないわ・・・必ず生きのびて11月24日な晩8時ね・・・」と言って名前を告げずに別れた。
半年後、青年は数寄屋橋の畔に立ったが、真知子の姿は見えなかった。昭和29年、日本中の人をラジオの前に釘付けにした連続放送劇「君の名は」である。「すれ違い」がこのドラマの肝になっている。心なかで思いあっている二人が、様々な事情で会うことができない悲恋。「君の名はと たずねし人あり その人の 名も知らず 今日砂山に ただひとりきて 浜昼顔に きいてみる」の主題歌は、いまも懐かしく耳の底に響いている。
それは、小満の季節であった。敗戦を迎えた日本人に、杜甫の詩が響いた。だが、自分自身の心に聞いてみて、戦後の人生の歩みのなかで杜甫の悲しみをどれほどかみしめていたか、はなはだ疑問である。季節を見る目、生きることの意味をもう一度問いなおしてみたい。