きのう上山の萱滝を見てきた。桜はようやく蕾が赤く膨らんで、ここ一両日に開花を迎える状態であった。滝の水量は多く、白いしぶきが新緑に映えていた。雪がとけて一週間も経っていないが、ここのところの高温で木々がいっせいに芽吹き始めている。
一番わらびという言葉を教えてくれたのは山仲間のSさんだ。蕨は地下茎が伸びて次々と新芽を萌えさせるが、そのおおもと一番太いわらびのことを言う。あるいは一番取りと言っていいのかも知れない。食べると柔らかく、特においしい。
萱滝を平地の方へ下りながら山菜を探す。ヤマニンジン(シャク)、コゴミ、ナンマイ葉、フキノトウと見つけて、きょうはこんなところでやめようかと、話したとき、わらびが萌えだしているのに気づいた。まさに一番わらびである。周囲に目をやると、そこ、ここと15センチほどの太いわらびが競うように伸びている。たちまち手に掴みきれない収穫となった。
わらびの節になると、なぜか新関岳雄先生を思い出す。村木沢に住まいしていた先生は、バスで大学に通われた。先生は教養学部でフランス語を教えられていた。飯塚にいた私は朝の通勤で、同じ路線だったから同じバスにしばしば乗り合わせた。先生はいつも最後尾の座席に陣取って、周りの女子学生と話をされた。地声が大きいのか先生の声はバス中に聞えた。
石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
万葉集にある歌だけれどいい歌だねえ。萌えだしたばかりのわらびをさわらびと表現しているのが実にいい。この歌の作者は志貴皇子だが、不運な皇子でね。時の権力は天武が握ったから、天智の子だった志貴皇子は傍系になったわけだよ。だけど歌はいい。不運な人生を歩む人は、文学の感性を研ぎすますことになるんだろうねえ。
先生の声は教室のなかのように、バスのなかで響き、聞く人の耳に伝わった。
そういえば萱滝の水しぶきは、この歌とそっくりな情景であった。わらびが万葉の時代に出てくるのは、すでに食用として知られていたことの証でもある。延喜式などの文献で、わらびを塩蔵して用いたことが記されている。また根からとるわらび粉もわらび餅として作られてきた。