五月の下旬を迎えたばかりで梅雨の気配である。関東の入梅も視野に入っている。こちらでも、天気予報に雨マークが連日のようにつくようになった。テッセンの紫が、そんな気候をうつしているのか、濃く見える。コロナの感染は、各地に非常事態や蔓延防止の措置が発令されて一向に収まる気配が見えない。先日、やっとの思いで電話をかけて、ワクチンの接種が28日の4時に決まった。報道では一回の接種だけでも、感染や重症化を防ぐ大きな効果が報じられている。毎日、感染の暗いニュースばかりだが、一週間後の接種まで、人込みを避け、運動に心がけてしっかりと日々を送りたい。
江戸の寛政の頃、京都に神沢杜口という奉行与力を勤め上げてた人がいた。名が杜口というだけあって、寡黙に役所勤めを終えて60歳くらいで職を退いた。この人の業績は、その後の20年間にある。『翁草』と名付けた見聞録200巻を書き残した。このなかで杜口は、老い方や死に方の対する信念のようななものを随所に書き残している。
残る世を其の日ぐらしの舎りかな
明日ありと思うから余念が出てくる。其の日その日を老いの掘り出しとして楽しく暮らすのがいい。この世を憂き世と煩う必要はない。憂きも楽しきも所詮は心の持ち方次第なのだ。
「我独り心涼しく楽しみ暮す故、気滞らず、気滞らねば百病発せず、病ひ無ければ起居易し、起居易ければ介抱も入らず、80になっても山野を歩いて疲れず、目のあたり極楽に住めば死にたき事もなし」
こんな杜口の身の処し方は、コロナ禍のいまこそ見習うべきものであろう。明日は、千葉から帰って10日を過ぎ、発熱もなく、披露感もとれてきたので仲間と一緒に尾花沢の大平山に登る。しっかりと体力を蓄えてワクチンの接種に臨む。