常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ワクチン

2021年05月24日 | 読書
東京、大阪の大規模接種会場でコロナのワクチン接種が始まった。感染が収まりを見せない中、報道はこのニュース一色である。今日、日本のコロナ感染者はこの1年半で72万人、死者1万2千人。世界に目を向ければ、感染者1億6千7百万人、死者は345万人で、なお感染は拡大中である。減少傾向を見せているのは、イギリスやアメリカなどワクチン接種が進んでいる国だ。思えば、人類の歴史は、感染症との闘いであったとも言えそうだ。

幕末の蝦夷の地でロシアに捕らえられながら、種痘の知識を得て、北海道南部で種痘を行った人物がいる。中川五郎治、陸奥に生れ、エトロフ島で松前藩が設けた番小屋の小頭であった。北方開拓に夢を抱いた五郎治は、多少
ロシア語も齧り通詞の役もこなした。だが、この冒険とも言える五郎治のエトロフでの仕事は悲惨を極めた。日本へ通商を求めて、厳しい交渉を行うロシアは、幕府の煮え切らない返事に武力行使も選択肢に入れていた。まして、蝦夷の東海岸やクナシリ、エトロフなどは、少数の番人がアイヌ人を使役しながら島を支配しようという小勢力であった。武器を持つロシア船は、島の島民の家を襲い略奪をほしいままにしていた。そこの番小屋で守りに就こうとした五郎治だが、まともな抵抗もできず、囚われの身になる。

極寒の地での脱走、飢えと寒さと死に向き合う凄まじい期間が2年余続く。だが逃げ込んだロシア人の家で僥倖が訪れる。ロシア政府は、捕虜の日本人を日本で囚われたロシア人と交換するため、五郎治もその一人に選ばれる。やっとのことで帰国の途につき、ある商家に泊まった。そこで目についたのが、種痘の記述あるロシア語の本である。かの解体新書にしてもそうだが、当時の日本人の知識欲の凄さは並はずれていた。おぼつかない読解力でそれを読むと、街に医者の頼み込んで種痘の実際を見せてもらった。牛痘苗、天然痘患者の膿を牛に植えて得られるものである。

解放された五郎治は松前藩の目立たぬ役人となって細々と暮らすことになった。文政7年、五郎治が暮す松前で天然痘の大流行が起こった。五郎治はこの状況を見て、自分が得た牛痘による種痘法で人の命を救う決意をする。患者たちは五郎治の方法が信ずることができずなかなか種痘を受けようとしない。11歳の少女が、命欲しさに種痘を受け、その効果が出ると次々と種痘を植えるものがでてきた。洋医学が導入されて日本で種痘が始まる25年も前のことであった。五郎治はこの牛痘苗の製法を人に教えることをしなかった。死をかけて得た知識は、自分の財産としたかったのだ。ワクチンの原型がここにある。吉村昭の『日本医家伝』に中川五郎治の一項がある。コロナワクチンの接種前にぜひ一読しておきたい本である。

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