八十八夜を過ぎると、霜降の心配もなく、農家では種まきや野菜苗の定植が始まる。「八十八夜の別れ霜」というのは、そんな農村の心を現す言葉だ。しかし、この時期「忘れ霜」という言葉もある。大気に寒気が入ってきて、来ないはずの霜が降りるのもよくあることだ。今日は、こんな言葉を思い出させる寒い日だ。戸外では冷たい雨が降っている。連休の3日目は雨で、明日は天気が回復する。しかし翌日はまた天気は下り坂、目まぐるしく天気が変わる。ライラックの花が満開となって芳香を放っている。
今日は雨読の日、手元の『遠野物語』を開く。28は附馬牛村に住む猟師が、早池峰山に初めて山道を着けた話だ。この山は村人に恐れられ近づく人もなかった頃の話だ。山の中腹まで道を開いて、仮小屋を建て休むことにした。炉を切り、火をおこして持参した餅を並べて焼きながら食べていた。
すると小屋の近くを通る者がいる。小屋の中を伺いながら、行ったり来たりするうち、小屋の中へ入ってきた。見れば大きな坊主で口をきくでもない。焼けた餅を珍しそうに見、猟師が食べているのを見て、自分も取ろうとしている。猟師は見なれぬ異人の様子が怖くもあり、餅をとって与えた。坊主はうれし気に餅を喰い、並べてあった餅を喰い終わると礼を言うでもなく帰って行った。
猟師はあの坊主は次の日もやってくるだろうと思い、餅のほかによく似た形の白い石を餅の中に並べて焼いた。石は焼けて火のようになっている。案の定、次の日も坊主が小屋に来て餅を喰った。全部食べて焼けた白い石が残ったが、坊主はためらうことなく石を口の中にいれた。餅と思ったのが火のような石であったので大いに驚き、小屋を飛び出すとそのまま姿が見えなくなった。猟師は後に、この坊主が谷底で死んでいたという話を聞いた。
話はこれだけだ。文庫本の10行、1頁にも満たない分量である。早池峰山は、自分も3度ほど登った山である。県内はおろか、日本中から登山者がやってくる人気の山だ。僅か10行で収まる話のなかに、異界であった山とそこへ道をつけようとする村人との葛藤が語られている。村人が山の幸や景観を求めて入山することは、そこの異人に焼ききった石を喰わせて殺すという残酷な行為を経て初めて可能になる。山で自然を楽しむという行為には、知らず知らずに自然のものを壊している部分があることを自覚すべきことを教えている。