常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

母狩山

2021年11月07日 | 登山
山中に残された紅葉を愛でながら、登山道に積る落葉を踏みしめて山道を歩くのは晩秋の登山の魅力である。見上げれば月山の山頂は雪化粧。季節の移り変わりをこれほど身近に感じるのは、晩秋の登山が一番だ。母狩山(751m)、庄内の摩耶連峰の一角を占める地域の人に親しまれている里山である。谷定集落から登るコースは、山中を渓谷をなして下る谷定川に沿って、ブナ林を登って行く。落ち葉の下の道は、昨日から降り続いた雨で濡れ、滑りやすい条件であった。

母狩山とは珍しい名だ。尾根の向こうには鎧ヶ峰という戦国を思わせる名の山が続く。平安時代の末期、奥州の衣川柵と厨川柵を拠点する豪族安部氏の台頭があった。1062年朝廷が遣わした源義家軍と安部貞任・宗任兄弟の決戦が厨川を舞台にくりひろげられた。この時、清川氏の支援を受けた義家軍が、兄弟を打ち破った。安部兄弟の母この乱を避けてこの地に落ちのびいた。史実では貞任は戦死、宗任は囚われて筑前の国へ流された。伝説では、合戦を逃れた兄弟がこの地で母を探したという。兄弟の鎧は隣の峰に収めらて、鎧ヶ峰と呼ばれるようになったという。伝説は史実とは異なっているが、奥州藤原氏の威勢が、この地にまで及んでいたことは間違いない。

沢沿いの道を登り切ると、尾根に出る。振り返れば、集落の向こうに庄内平野。その上には月山が聳える。頂上は雲に隠れ、朝方見た雪景色の眺望はない。751mという低山の割には、沢を巻いて登る道がスリルに富み筋力も消耗した。だが冬の前の山中にそそぐいっぱいの陽ざしがいかにも貴重に思える。最後の急登を頑張ると、やや広い頂上につく。駐車場から2時間半。コースタイムでは80分となっている。高齢者を含むグループとしては妥当なところか。輪になって弁当を広げる。食事中に、金峰山経由で登ってきた男性が二人。一人は同じ山形の人、もう一人は地元の山好きの人。山中で人に会うのは珍しい。

帰路は尾根道をさらに直進して別の尾根へ。高見台まで来て、登った来た二人の外人。手にほら貝を握りしめている。片言で話かけると、上手な日本語が返って来た。4年間酒田に逗留して、山伏の修行をしているという。ほら貝を吹いてくれるように頼むとこころよく聞いてくれ、山中に勇壮なほら貝が鳴り響いた。彼等の足を見ると履いているのは布製の足袋。一人が我々の山靴を指さして「ハイ」、自分たちの足袋を指さして「ロウ」。これが通じてグループから笑い声が起こった。「下りは泥で滑ります。植物に掴まって気をつけて」と注意までしてくれた。山中での思いがけぬ国際交流となった。本日の参加者9名。内男性2名。アグリの産直でお土産を買う。


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