常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

裸木

2021年11月17日 | 日記
春には花を咲かせ、つい先日まで紅葉で楽しませてくれた桜はすっかり葉を落して裸木になった。やがて来る雪に備えて、芽を固く包んで防御の姿勢だ。葉はなくとも、この冬も耐え抜いて生き続ける意思を示しているように見える。無言のうちにじっと川にむかって地中で根を伸ばす姿には、威厳をも感じさせる。

 裸木   大木実
すっかり葉の落ちつくした
けやきの枝々の あちらがわが
はっきり視える
今まで視えなかった気づかなかった
いろいろのものが
そこに視える

わたし達の人生も
そうなのだろう
さまざまなもののつながりや
意味が
あきらかに視えてくるのも
きっと 人生の終りになってからだろう

一年というスパンで木を見を見つめることで人生が見えてくることを、この詩は教えてくれる。春の花から冬の眠りにつくまで、木はじっと動かずに生きてひとつだけ年輪を重ねる。人は裸木に生の終焉を見るかも知れない。春になって分かることは、木にはそこはひとつの通過点でしかないことだ。台風や害虫に犯されないない限り、木々は生き続けほんの数ミリの年輪を重ねて生き続ける。人と木の違いはそこにある。
コメント
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