常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

木村蒹葭堂

2015年01月25日 | 日記


難波の収集家、蒹葭堂木村世粛が逝去したのは享和2年1月25日である。家は代々の酒造家で、非常に裕福な家に生まれた。ここ山形にも掬粋巧芸館や出羽桜美術館など、酒造家で骨董の有名な収集家がいる。蒹葭堂の収集の規模や質は、世を驚かすに十分なものであった。奇物珍品の膨大収集に加え、蔵書2万巻、物産の収集と研究、さらに長崎で清国の商人とも交流し、中国の珍品の収集にも手を伸ばしている。

ある著名な人が蒹葭堂に借金の申し入れをした。蒹葭堂はそれに応えて、自分の持っている珍品をかすので、それを見せて見料を取ってはどうかと言った。そこで開いた小博覧会は、「唐の開帳」と名づけられた。それは市中の評判となり、見物人は引きもきらずという具合で、たちまち欲しかった金銭を得ることができた。

日本中の知識人が蒹葭堂の評判を聞いて、上方にでると彼を訪問した。彼は自分の収蔵品を見せ、文学、書画、物産と何についても問われて答えられないことはなかった。江戸の太田南畝も蒹葭堂を訪ね、その博識と数多い収蔵品を見て驚いた人の一人である。

私は以前、中村真一郎の『木村蒹葭堂のサロン』という評伝を求め、いまも本棚にある。菊版750頁に及ぶ大冊で、いまだに完読していない。江戸の日本にこのような人物と、そうした人が生きる環境があったことは、極東の島国に豊かな文化が花開いた証しであると言えよう。


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三吉山・葉山

2015年01月24日 | 登山


三吉山は「みよしやま」ではなく「さんきちやま」と呼ぶ。ベランダからほとんど真南に見えている。毎朝、その山の景色を眺めていると、いつしかその山と会話しているような錯覚を覚える。三吉山の登山口に斉藤茂吉の歌碑がある。

をさなくて見しごと峯のとがりをる三吉山は見れども飽かず 茂吉

茂吉の生家から三吉山を見れば、我が家から見るよりはさらに間近に見えたであろう。朝な夕やに見上げた山は幼い茂吉に語りかけたであろう。母に叱られた茂吉をやさしく慰めたのもこの山であった。登山口から反対に目を向けると、朝日に輝く雪景色があった。雪面にウサギが走った足跡があった。



これほどの好天に恵まれるとは正直ここにくるまで想像していなかった。朝日を受けた白く輝く雪と山の陰になって青白く見える雪景色の対比がみごとである。それは、純白の雪の美しさを引き立てる対比であった。すると、1羽のウサギが数十メートル先を走り去った。雪のなかでウサギの毛は白く光って見えたが、やや黄色味を帯びているような気がした。たった1羽であったが、その飛び跳ねるようすは、温かい朝日がさすのに喜んでようるようであった。



登山口の看板にニッコウキスゲと松茸の路と書かれた看板があった。このあたりは赤松の林である。松茸が出るとすればこのあたりの松林であろうか。登山道は踏み跡がついていてカンジキを履いたが、それほど沈む感じはなかった。三吉山の頂上から尾根筋を歩いて葉山へ、往復5キロほど山歩きである。葉山は687m、山頂の東側は採石場となっており、その山容は年々変貌している。



とき折り姿を見せぬ鳥の鳴き声が聞こえてくる。木の梢の先に、深い色の青空があった。こんなに美しい青空をみるのは、この冬初めてのことである。その青空の中を飛ぶ飛行機が、日を受けて白く輝いて見えた。写真ではほんの白い点のようであるが、人工のものが大空のなかで輝いて見える不思議さを思った。この日の山行の参加者6名、うち女性5名。いずれも元気に、いい日和の山歩きを楽しんだ。


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丹田

2015年01月23日 | 詩吟


丹田とは臍の下の下腹部ををさす。俗に臍下一寸ともいう。詩吟を教える先生はよく丹田に力を入れてという。広辞苑には丹田に力を入れると健康と勇気を得られると書いてある。とにかく丹田は体の重要な場所であるらしい。戦場で多くの大功を立てた武士の言葉に、「事急なる時は水を一つ飲み、足拍子を二つ三つ踏みならして出づるがよし。それに依りて心気が臍下に落ち着くなり」という心得が語られている。大相撲で四股を踏むのにも同じ効果が期待されるようだ。

禅寺や丹田からき納豆汁 夏目 漱石

漱石は禅寺で振舞われた納豆汁を丹田からきと表現した。身体が温まる納豆汁は丹田に効き目がある、つまりは身体を元気にするとこの俳句に詠んだものと思われる。ところで丹田に力を入れるにはどうすればよいか。まさか詩吟をしながら四股を踏むわけにもいかない。そこで横隔膜をあげて、下腹部を絞めるようにする。詩吟は喉で唄うな、腹で唄えというのもここからきている。実際丹田に力を入れて吟じると、詩吟の声は見違えるような力強い声になる。


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納豆汁

2015年01月22日 | グルメ


寒い冬の食べ物の東の横綱がどんが汁とすれば、西の横綱は間違いなく納豆汁である。どちらもメインデッシュではないのだが、故郷の香りに満ちた懐かしいたべものだ。今夜の納豆汁には、納豆汁の素に加えて、刻んだ納豆、豆腐、コンニャク、ナメコ、芋がら、ねぎ、油揚げなど具だくさんである。納豆の香が立ち、汁全体に寒い冬でなければ味わえない味が浸み込んでいる。要するに身体を芯から温めてくれるのだ。

板の間に敷く座布団や納豆汁 草間 時彦

納豆は冬納豆汁にすると、ふるさとの味になるが、朝食べる納豆も欠かせない食材である。子どものころ、大豆を煮豆にして、藁づとにいれて保温し、納豆にして食べた味がいまだに忘れられない。それを食べながら、納豆の起源を聞いたものである。武田信玄の武者たちが、兵士の食べ物として煮豆を運んでいると、やがて腐敗して糸を引いた。しかし食べてみると非常に美味なので食料にしたのだという。

ある食通の人と旅をしたことがある。酒田の港で新鮮な魚を食べたのだが、ホテルで取った朝食は、納豆によく溶いた卵をかけ、タマゴ納豆かけにしたご飯である。聞くと、これが毎朝必ず食べる朝食だと言った。たしかに納豆も、こんな風にして食べてもとても美味しい。

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森の生活

2015年01月21日 | 読書


大寒らしく朝方冷え込んだ。山形市では-7℃を記録した。9時ごろから日がさして、気温も上がった風である。大学病院の西を流れる鳴沢川に行ってみた。カモたちはここで夜も過ごすのか、5・6羽がえさ取りに余念がない。あるものは川の流れのなかに首を突っ込み、またあるものは雪が消えかかった土手で、草の根をあさっているらしい。

ソーローの『森の生活』のなかの、「冬の動物」の項を読む。ウサギや狐、シャコまたリスが作者の住む家に積んである薪の上に来て、雪のなかに投げておいたトウモロコシの穂を啄ばむ様子が細かく書かれている。

「とうとうカケスがやってきた。かれらの調子のととのわない叫びはずっと前から、8分の1マイルも先から用心ぶかく近寄ってくる際に聞こえていたのだ。こそこそと人目をしのぶようなやりかたで樹から樹へ飛びかすめながらだんだん近づいてきてリスがこぼしておいた粒を拾いあげる。そしてヤニ松の大枝に停まってひと粒を大いそぎで呑みこもうとするが、大きすぎてのどに通らず息がつまる。で、大骨を折ってそれを吐き出し、嘴で何度も何度もくりかえし叩き、一時間もかかってそれを割ろうとする。」

ソーローの観察は実に細かい。森と湖の近くに自らの手で小屋を建てて移り住み、そこで畑を作り、四季の移り変わり、植物や動物の生活を観察し、訪ねてくる人々と交わした会話や思索を書いた。自然のなかの生活記録である。アメリカの古典文学として、いまや不動の位置を占めている。雪の閉ざされて外出もなかなかできない暮らしのなかで読むには実に共感できる本である。


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