常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

荻生徂徠

2015年01月19日 | 


荻生徂徠は五代将軍綱吉の侍医方庵の子である。8歳にして漢詩を作り、9歳でみごとな文をを草し、その才能を早くから認められた。綱吉の懐刀である柳沢吉保に仕え、儒学者として経世済民の思想は柳沢の政治力の大きな力となった。

私が詩吟を習い始めたころ、詩吟教本に荻生徂徠の「還館口号」という詩文があり、先生の口からこの漢詩の吟じ方を教わった。

甲陽の美酒緑葡萄

霜路三更客袍を湿す

須く識るべし良宵天下に少なるを

芙蓉峰上一輪高し

みごとは七言絶句である。甲斐の国の葡萄で作った美酒、つまり葡萄酒であるが、その酔いに浮かれながら、富士山の上の出ている月を愛でてて従容する徂徠の姿が目に浮かぶようである。

享保13年(1728)正月19日、江戸の街に大雪が降った。病の床についていた荻生徂徠は、障子を開けさせ、降りしきる雪を眺めながら言った。「天下の儒者が、息を引き取ろうしているじゃによって、天が世界を白銀に変えたわ」と。思えば、徂徠の一生は、学問にのめりこんだ一生であった。あるとき、某家の蔵書が一蔵ごと売りに出た。喜んだ徂徠は、家財一切を売り払い、それでも足りない分は借財までして、60両でその蔵書を買い取った。

その読書の様子を語る逸話は、「部屋が暗くなると縁側に出て読み、灯がともると書を両手にもちながら部屋に入る」という風であった。こうして勉学に務めた結果は、幕府へ提出した政治改革論「政談」に結実している。


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