難波の収集家、蒹葭堂木村世粛が逝去したのは享和2年1月25日である。家は代々の酒造家で、非常に裕福な家に生まれた。ここ山形にも掬粋巧芸館や出羽桜美術館など、酒造家で骨董の有名な収集家がいる。蒹葭堂の収集の規模や質は、世を驚かすに十分なものであった。奇物珍品の膨大収集に加え、蔵書2万巻、物産の収集と研究、さらに長崎で清国の商人とも交流し、中国の珍品の収集にも手を伸ばしている。
ある著名な人が蒹葭堂に借金の申し入れをした。蒹葭堂はそれに応えて、自分の持っている珍品をかすので、それを見せて見料を取ってはどうかと言った。そこで開いた小博覧会は、「唐の開帳」と名づけられた。それは市中の評判となり、見物人は引きもきらずという具合で、たちまち欲しかった金銭を得ることができた。
日本中の知識人が蒹葭堂の評判を聞いて、上方にでると彼を訪問した。彼は自分の収蔵品を見せ、文学、書画、物産と何についても問われて答えられないことはなかった。江戸の太田南畝も蒹葭堂を訪ね、その博識と数多い収蔵品を見て驚いた人の一人である。
私は以前、中村真一郎の『木村蒹葭堂のサロン』という評伝を求め、いまも本棚にある。菊版750頁に及ぶ大冊で、いまだに完読していない。江戸の日本にこのような人物と、そうした人が生きる環境があったことは、極東の島国に豊かな文化が花開いた証しであると言えよう。
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