
正月に遊ぶのは、百人一首だけではない。子どもたちが夢中になった「いろはカルタ」は、雪のなかに大きなカルタを置いて、札をめがけて駆けつけながら、取り合う勇壮なものもあった。太宰治は、『懶惰の歌留多』で、苦し紛れにひねり出した歌留多の文句に、注釈をつけて一編の小説に仕立てた。
い、生きることにも心せき、感ずることにも急がるる
ろ、牢屋は暗い
は、母よ、子のために怒れ
に、憎まれて憎まれて強くなる
ほ、蛍の光、窓の雪
へ、兵を送りて悲しけり
と、とてもこの世は、みな地獄
へ、の札に、太宰はこんな注釈をつけた。「戦地へ行く兵隊さんを見送って、泣いては、いけないかしら。どうしても涙が出て出て、だめなんだ。おゆるしください。」
太宰治は青森、津軽生まれの作家である。私が学生のころ、青森出身の同級生が、立派な太宰治全集を持っていて、いつも読んでいた。だが、その小説はなぜか納得できず、好きになれない作家であった。それから随分年月を経てから『津軽』を読んで、太宰のユーモラスな一面を知り、小説を選んでは読むようになった。