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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大穴

2015年01月11日 | 日記


日帰り温泉に行くと、意外だが、競馬やパチンコなどギャンブルの話題が多い。常連の人が、「今日は遅かったね」と声をかけられると、「ウン、パチンコをやってきたから」「どうっだった」「今日は4万ほど出たよ」「すごいねえ、そんなに出るんなら俺もやりたいよ」「止めたほうがいいよ。損ばかりでめったに儲かることなどないから」

永井龍男が『わが切抜帖より』で、昭和25年の1月1日の朝日新聞神奈川版の記事を紹介している。映画を見たいと言って母から100円だけ小遣いをもらって、競輪場へ行った少年の話である。少年は中学生、ついふらふらと家の近くの競輪場に入った。

「一日のレースが終り近くになると、僕のような中学生でも入場料を払わなくても入れてくれたんです。たくさん並んだ窓口では、みんな行列して100円の車券を買っていました。ぼくは恥ずかしいからだれも列んでいない窓口で、「連」の窓口から一枚買いました。そのレースは、水色の縞のセーターを着た人が一等でした。その選手が先頭で走ってきたのをいまでもハッキリおぼえています。黒板に出た一着と二着の「連」の番号は、僕の買った券のミシン穴の番号と同じでした。」

少年は連番で大穴を当てたのだ。賞金は4万円、窓口で賞金の札束をもらうと、風呂敷に包んでお腹にぐるぐる巻きにして、途中で知り合いから自転車を借りて家に帰った。正直に話したが、母にひどく叱られたと述懐している。そしてその金は、この子が進学するときの費用にと銀行へ積んだ。昭和25年の早稲田大学の授業料が年12,000円、慶応が10,000円であったから、このお金で私学に進んでも授業料を賄えたことになる。母の賢明な判断であった。戦後すぐに始まったギャンブルは今日に至っても衰退することはないようだ。


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コメント (4)
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