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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬の雨

2015年01月20日 | 日記


今日、大寒。冬で一番寒い季節である。ところが、土曜日に雨が降り、このところの最低気温もせいぜい-2℃といったところだ。これでは、やはり北極の寒気が玉切れとなって、そろそろ寒い季節も終りつつあるということであろうか。大学病院の西を流れる川で、鴨がのんびりと泳いでいる。

大寒は今日一日だけでをさす場合もあるが、節分までの旬日を指す場合もある。実際に統計でみると、一年で一番寒いのは、1月24日から2月4日ごろであるようだ。このような季節の言葉も、春の兆しがはさまることによって、語感に変化をきたすようだ。しかし、これから、春分まで、まだまだ、寒気が入ってくる可能性も十分にある。

大寒やしづかにけむる茶碗蒸 日野 草城

せいぜい温かいものを食べ、身体を温めて風邪を引かないように注意したい。


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荻生徂徠

2015年01月19日 | 


荻生徂徠は五代将軍綱吉の侍医方庵の子である。8歳にして漢詩を作り、9歳でみごとな文をを草し、その才能を早くから認められた。綱吉の懐刀である柳沢吉保に仕え、儒学者として経世済民の思想は柳沢の政治力の大きな力となった。

私が詩吟を習い始めたころ、詩吟教本に荻生徂徠の「還館口号」という詩文があり、先生の口からこの漢詩の吟じ方を教わった。

甲陽の美酒緑葡萄

霜路三更客袍を湿す

須く識るべし良宵天下に少なるを

芙蓉峰上一輪高し

みごとは七言絶句である。甲斐の国の葡萄で作った美酒、つまり葡萄酒であるが、その酔いに浮かれながら、富士山の上の出ている月を愛でてて従容する徂徠の姿が目に浮かぶようである。

享保13年(1728)正月19日、江戸の街に大雪が降った。病の床についていた荻生徂徠は、障子を開けさせ、降りしきる雪を眺めながら言った。「天下の儒者が、息を引き取ろうしているじゃによって、天が世界を白銀に変えたわ」と。思えば、徂徠の一生は、学問にのめりこんだ一生であった。あるとき、某家の蔵書が一蔵ごと売りに出た。喜んだ徂徠は、家財一切を売り払い、それでも足りない分は借財までして、60両でその蔵書を買い取った。

その読書の様子を語る逸話は、「部屋が暗くなると縁側に出て読み、灯がともると書を両手にもちながら部屋に入る」という風であった。こうして勉学に務めた結果は、幕府へ提出した政治改革論「政談」に結実している。


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プラタナス

2015年01月18日 | 日記


プラタナスは日本名で鈴懸けの木といわれ、山形では大学病院の周辺に多く植栽われている。冬になると、葉は落ちて幹の斑模様が強調されて、ちょっと幽霊のような雰囲気をかもしだしている。これは、プラタナスの木の生命力の強さが原因となっている。このまま枝を放置すればたちどころに巨木となって街路樹の役目を果さないばかりか、大きな葉が道路の信号を隠し、落ち葉は朽ちて自動車のスリップ事故の原因になる。そこで、春と秋の二回、このような極端な剪定が行われる。

プラタナスは医療の祖であるヒポクラテスの木とも言われる。ヒポクラテスはこの木の下に弟子を集め、医療の真髄を説いた。「患者の立場にたって医療を行え」と繰り返し説いたという。大学病院の付近に、この木が植えられているのも、案外こんな木の由来があったからかも知れない。1942年、灰田勝彦の歌う「鈴懸の径」がヒットした。戦後にもこの歌は歌い継がれ、私にも思い出の歌になっている。

友と語らん 鈴懸けの径
通いなれたる 学び舎の街
やさしの小鈴 葉陰に鳴れば
夢はかえるよ 鈴懸けの径

この歌を聴いていた少年のころは、この木がプラタナスであることさえ知らなかったが、秋ちかく鈴のように下がる実を見て、なるほどと得心したものである。


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雪の里山

2015年01月17日 | 登山


今年初めての山行。山形市の東にある家形山を計画していたが、朝からの雨。急遽、西にある東黒森山に変更する。この日の同行者は、女性1名を含む4名。登山口に着く前に雨はやみ、陽射しも見えたが、登山口で雪になる。今年は雪が多いせいか、里山へも入山者は少ないようだ。雪のなかでも、新雪の美しさは格別である。登山口の林道には、スノーシューの跡がひとつだけ見える。ウサギやカモシカの跡さえない。新雪の下は、暖かい日が続いたせいか、締まって15cm以上はカンジキは沈まない。

白さもて魅惑す朝の雪嶺は 相馬 遷子



東黒森山は標高766m、登山口はすでに570mだから200mほど高度をあげるだけである。尾根をほとんどまっすぐに登り上げるだけなので、技術も不要で楽な山歩きだ。中腹あたりから勾配が急になるが、つま先でステップを切りながら、階段状の登り道を作っていく。ほぼ1時間ほどで、頂上に着く。頂上に山小屋がある。冬季は利用者がないのか戸は開かない。上空に少しだけ青空が見えている。こんな日には山へ来る機会が少ないためか、下が雨や雪でも、こんな天気になることは予想もできない。



山小屋の丁度裏側に赤松が一本立っていた。山頂は風や雪が多いため、木にはストレスがありそうだが、先端が少し曲がっているものの、姿のよい赤松である。頂上で持参したリンゴや餡ピン餅を分け合って食べる。小さな里山であるためか、一年最初の山歩きにしては、疲労も少ない。この山小屋の屋上には展望台ついていて、ここを訪れる人は、月山や葉山、そして蔵王の眺望を満喫するらしいが、あいにくの雪空で遠くの眺望はえられなかった。



下りは踏み跡をそのまま下る。林のなかにも陽射しが落ちて、雑木林の影ができた。山のなかはどこまでも静寂である。この下にある畑谷の大沼はかって市民のいこいの場であった。ボート遊びをするもの、釣竿をだしてのんびりと釣りをするもの、歴史の道を散策するもの、など多くの人が茶店のコンニャクを食べながら楽しんだものだが、この頃はどんな様子か、あまりこないので知らない。

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2015年01月16日 | 日記


昨日の雪から一転して小春日和。鴨の群れが小川で遊んでいた。雪の日は鴨がどのように過ごしているのか知る由もないが、日当たりのよい葦の枯れ茎のあたりで遊んでいる様子はいかにものどかである。

日輪のゆれて浮寝の鴨まぶし 水原秋桜子

南岸低気圧が北へ抜けて、陽射しがもどった。雪雲に覆われた空と、陽射しがでる冬ばれの日はまったく人の気分を左右する。たった一日がたっているだけだが、なにか春のきざしがあるような軽やかな気分だ。スポーツ店、ユニクロを巡って、明日の山行の準備をする。カンジキを履き、雪の里山を歩く。今年初めての山行が楽しみである。


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