
天平18年(746)の正月、奈良の都、平城京に雪が降った。記録によれば数寸、15cmほどの積雪である。このときの天皇は聖武天皇、左大臣は橘諸兄であった。左大臣は大納言藤原豊成をはじめ諸卿をしたがえて、先の元正天皇がお住まいになる西院へ雪掃きに行った。天皇の住まいの方は、常駐の役人がその役目を果したのであろう。左大臣を初めとする諸卿は、今日の内閣の閣僚というべきか。実に重鎮たちによる雪掃きであった。
諸卿の労苦に応えて太上天皇は、豊の明かりという宴会を催した。豊の明かりとは、酒が入ると人の顔は赤くなり、豊作の縁起によいとされた。そして、太上天皇は、この雪に因んだ歌を詠めと諸卿に命じられた。左大臣橘諸兄が奏上したのは
降る雪の 白髪までに 大君に 仕えまつれば 貴くもあるか
このとき橘諸兄は64歳、その頭にはこの朝積った雪のような白髪を蓄えていたのであろう。元正天皇は譲位してすでに22年、諸兄がこんなにも長くお仕えできたことを、かたじけなくもったいないこととしたのである。
大伴家持の歌は、5番目に見える。
大宮の 内にも外にも 光るまで 降らす白雪 見れど飽かぬかも
白雪は太上天皇の威徳によって、あのように降りつもり、光っていることを讃えている。このときの閣僚は、このように歌によって、宮廷を讃え、その威徳を天下に知らせる業を持つことが絶対条件として必要であった。

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