常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

行く秋

2016年10月25日 | 日記


日の経つのが早くて、秋が深まってきたと思うと、北から初雪の便りが聞こえてくる。北海道で冬、沖縄で夏。この季節ならではの、日本の秋である。森鴎外の俳句に

行秋やでゞ虫殻のなかに死す

でゞむしとはでんでん虫で、カタツムリのことである。夏の間は、頭の角を出しながら、木々の葉をついばんでいたが、秋が深まると、殻を捨てていずれかへ去ってしまう。中身のない殻に、鴎外は虫の生命をみている。触るとすっかり乾燥して、海岸の貝殻とは違った軽さだ。秋の寂しさのシンボルのような存在である。草むらには、青い葉がなくなり、霜や雪への準備が完了した。
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菊水

2016年10月24日 | 日記


最低気温が10℃を切って、朝夕寒く感じる頃に、花を咲かせるのが菊である。秋深くなって咲くためか、菊が長寿の妙薬であることが、昔から信じられてきた。話は古代中国の魏の文帝の治世にさかのぼる。皇帝から長寿の妙薬を探すように命じられた勅使の一行が、霊水の源を訪ねてレッケン山という山に入った。そこで邂逅したのが慈童という若者であった。姿は若者であったが、菊の葉から滴る露で霊薬になった沢の水を飲んだところ、700年経っても昔のままの姿であるいう。さっそく勅使は沢の水を汲み、帝に献呈した。

新潟に菊水という酒がある。この酒の醸造場が国道沿いにあるので、誰でも寄って試飲し、この酒を求めることができる。この蔵から宣伝を依頼された訳でもないが、おいしい酒だ。ただし、アルコール度が他の酒に比べて高いので、少量を飲んでも酔う。菊水は、9月9日の重陽の日に酒に菊の花びらを浮かべて飲むと長生きするという中国の風習から命名されたものであろう。その奥には、慈童の伝説があることは、容易に想像できる。だが、その後文帝が不老長寿であったという記録は、歴史に残っていない。
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有耶無耶の関

2016年10月22日 | 登山


笹谷峠へ行く古道を歩いた。車などない時代、この地に住む先人は、峠を越えて、他国へ行った。いま好天の秋、紅葉を楽しみながら歩くのと違って、峠へ至る道を見いだした人々の叡智にあらためて感嘆する。一歩間違えれば、深い渓に迷い、また急峻な絶壁に行く手を遮られる。こんなに歩きやすい峠道を見出した先人にただ驚き、深い敬意を抱く。同時に、峠には様々な危険が隠されていたであろう。

この峠道を登りつめたところに、有耶無耶の関がある。この関についての言い伝えは、この道を使うことがどういうことであったかを語っている。この山には鬼が住み、ここを通る旅人を捕らえて喰ってしまった。旅人を哀れんだ仙人が、鳥に姿を変えて、旅人の問いに答えるようななった。「仙人さま、今日は鬼はいますか?」仙人の鳥が「有耶(うや)」と答えると、旅人は身を隠して鬼が去るのを待った。仙人が「無耶(むや)」と言うと、旅人は安心して峠を越えたという。ここから、この関を有耶無耶(有耶無耶)の関と呼ぶようになった。



峠には鬼が出没するというだけではない。冬の峠道はさらに危険が旅人を待ち受けていた。この峠道に吹き付ける風雪は尋常のものではない。ある年、吹雪のなか、峠を越えようとした6人の旅人がいた。ところが、あまりにすさまじい風雪に吹き込められて、6人の旅人は命を絶った。春になって近在の人が雪を掘ると、これらの人々の遺体が見つかった。あるものは、自分の家のある方角を見つめ、あるものは風雪に背を向けて倒れ、6人とも別々の方を見ながら死んでいた。麓の人々はこれら遺体の見た方角に、6体の地蔵を立てて慰霊した。これが6地蔵道である。



戦後になって、現代の人々にはまた別の峠感を持つようになった。閉じられた世界から、開ける世界への接点、それを峠とした詩人真壁仁の詩の一節を見てみよう。

  峠  真壁仁

峠は決定をしいるところだ。
峠には決別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける

秋晴れに恵まれた峠歩きは、こんなことを考えながら楽しく歩いた。本日の参加者10名、うち女性10名。峠路の紅葉ももうすぐ終わりになる。


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秋風

2016年10月21日 | 日記


ちょっと郊外を散歩すると、秋の景色がいっぱいに広がっている。風景を見ながら、昔口ずさんだ唱歌を思い出す。

夕空晴れて秋風吹き

 つきかげ落ちて鈴虫なく

おもへば遠し故郷の空
 
 ああわが父母 いかにおはす

中学の同期会があってから10日、やはり故郷の夕焼けの空が思い浮かぶ。英語を習い始めたばかりの頃、突然先生が黒板に一節の英文を書いた。

If a body meet a body comin' through the rye. 書き終えるとすぐに先生は、名指しして「訳してみろ」と言った。教科書に出てくることのない、不思議な英語に、「身体と、身体。え、これどう訳せばいいんですか。」と答えると、脇のませた女生徒が、「誰かさんと、誰かさん、麦畑。こっそりキスしていいじゃないの。」と、続いていた節まで訳してしまった。

M先生は、赴任したばかりの若い先生で、融通のきかない生徒をからかうような気持でこんな文章をかいたのかも知れない。その訳文は、「夕空晴れて」のメロディで教室中で合唱になった。合唱の好きな先生で、練習していた曲の原詩で見つけた詩の一節であったかも知れない。青春時代の懐かしい一コマである。

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りんご園

2016年10月20日 | 日記


りんご園で赤く色づいたふじりんごがたわわに実った。木の下に敷いたシートは日光を反射してりんごのあて、色づきをよくするためである。りんごがる景色は懐かしい。北海道の生れた村では、果樹を植えている農家が多かった。花が終わって実が成長を始めると、どの農家でも働き手が不足し猫の手でも借りたくなる。まど小学生のころから、農家に手伝いに行った。そこには、青森や秋田からくる出稼ぎの人たちがいた。

出稼ぎの人たちは、国の民謡を歌いながら陽気に働く人たちであった。

わたしや 真室川の梅の花

あなたまた、新庄のウグイスよ

花の咲くのを待ちかねて

蕾のうちから通うてくる

子どもながらに、歌の意味を解釈してドキドキした。あの頃、そんな大人の人の話から、大人の世界を垣間見たような気がする。マスメディアも少なく、遠い地方の人たちの話が聞ける貴重な時間であった。先日の同期会でリンゴ農家の子であったA君は、昔の話をしてくれた。「今は猿や熊の被害が話題になるが、昔はみんな人間だったよ。誰もが腹を空かせていたから、泥棒という意識もなく、リンゴ園のりんごを失敬する。まともに収穫したことなど、殆どなかったよ。」
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