元禄7年(1694)、松尾芭蕉は、5月に江戸を立ち、故郷の伊賀、大津、京都の旅に出た。この年、芭蕉は51歳の齢を迎えていた。旧友との俳諧の席を重ね、秋になって大阪に向かった。9月28日には畦止亭で秋の名残り惜しむ句会に出かけた。翌29日には、芝柏亭の句会で発句のつとめることになっていた。旅の間体調がすぐれなかったが、いよいよ起きることも叶わず、宿泊しているところから使いの者にこの句を持たせて挨拶句とした。
秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉
句の意味するところは、句会に集まっている面々に、一夜の興をともすることはできないが、自分の心は皆さんのところにあります、と句の解説にあった。芭蕉が泊まっていた家は町家の長屋であったらしく、病で寝ながらも、隣の家の生活音が届いていたであろう。挨拶の句を作りながらも、この先自分の運命どうなることかと、頭をよぎったかも知れない。事実この句を詠んで10日ほどで、芭蕉は帰らぬ人となった。
一句のなかに、俳諧の仲間への挨拶、現実に自分が寝ている隣の人、さらにこの先の自らの運命と幾層にもわたる意味を込める句には、読めば読むほど味わいは深くなる。この地では、今日から秋雨がしちしとと降り始めている。